ひとりと その2
その女は鈴と名乗った。
鈴の髪色は黒だったが瞳は青だった。肌も俺のような黄色人種よりいくらか薄いように見える。俺が思うに、ここの女共の容姿に統一感がない。そのことにふと違和感を感じた。
――日本ではないのか?
言葉は日本語だ。じゃあ日本に住んでいる色んな女子共の集まりか。あのアロンと言う奴は覚えている限りでは日本人のような姿をしていたが……。なんだか妙である。直感的に『おかしい』としか感じられないが、普通ではない。俺は、日本の豪華客船で飯を食っていた。そして眠った。起きたらここだ。じゃああの船の倉庫か何かに拉致されているのか。否、それにしては広すぎる気がする。監獄があるのも腑に落ちない。もしかして、と思ったが、その疑問は直接聞く方がいいと思った。
「鈴……でいいよな。ここはどこで、俺はなんでこんな状況なんだ?」
鈴は、もご、と口を噤んだ。なんだというのだ。静寂の時が流れ始める。何か考えている風にも見えるが本心はわからない。鈴は口を開こうとしなかった。そして、やっとその静けさを破ったのは別の声だった。
「ここは空球という惑星の、日本と言う国よ。そして貴方は、この空球と双子の星にあたる地球から召喚された、生贄」
現れたのは凛とした姿のアロンだった。鈴は顔を上げると、にこりとアロンに笑いかけている。
「お疲れ、鈴」
「いいえ、楽しかったですよ」
「あとはいいわ。休んできなさい」
アロンはなんて上から目線で物を言うんだろうと思ったが、今はそれは言わないことにした。鈴が帰る中で、俺はじっとアロンを見た。目は口ほどに、というだろ。そう、意味がよくわからないのだ。この女は何を言っているんだ。
「わからない、と言った顔ね」
「そりゃあ、そんな漫画みたいなこと信じられるわけないだろ」
「でも真実よ」
アロンは手に持っていた鍵で、この牢獄の部屋を開けた。また見下してくるのかとも思ったが、さっきとは違った様子だ。近寄ってくるとアロンは俺の手足の縄を解きはじめる。
「……いいのか?」
「鈴との会話を聞かせてもらっていたわ。縄を解くかその時に決めたのよ」
どうやら鈴が一人残っていたのは、アロンにそうしろと言われたような様子だ。なんだ。あいつの優しさじゃなかったのか。残念だな、それはそれで。
両手両足の縛りが取れると俺は痕のついた手足をさすりながら、目の前の女を見る。湧きあがってくる感情は非常に複雑だ。今の状況が意味不明なのと、男として、やっぱりこいつは綺麗系だなとかそんなことを思った。だから思考がごちゃごちゃになる。俺は頭を一振りすると、今すべきことに集中するためにぐっと目を閉じ、開いた。
「二つわからないことがある」
「いいわ、可能な限り答えてあげる」
「空球の日本ってなんだよ」
仮にだ。ここが地球じゃない、としてそれは置いておこう。なのに日本ってどういうことだ。俺の中には一つの仮説があった。それが当たっているのか確かめたかった。
「言ったでしょう。地球と空球は星として双子だと」
「もっとわかりやすく説明してくれないか。俺の予感だと、ここはパラレルワールドか何かか」
「平行世界ね……。そうね、そう言った方がわかりすいかもしれない」
アロンは続けた。どうやら宇宙には色んな銀河系が存在するが、この星は所謂太陽系と似た系統の中の一つの星らしい。この星は地球ができると同じ頃してできた生命がいる惑星だそうな。
つまりだ。地球とそっくりな立ち位置にある、地球とは別の星、ということだ。歴史は多少進みに差があるものの、日本と言う小さな島国ができるのも、不思議なことではないというのだ。そう言う意味では、似た世界の、パラレルワールド、ということだ。少なくとも俺はそう理解した。このサイエンスフィクション的な話は俺には難しい。
「空球は貴方達の世界より、数百年早く文化が発達した。だから私達のいる世界では貴方達の、地球の存在は既に確認済みなのよ。地球とコンタクトを取ることもできるし、地球には何人か空球人が偵察に行っているわ」
「その話が本当だとすれば、お前らのいう『召喚』は所謂テレポート機械かなんかを使ったのか。そして俺は、その偵察隊に捕まった、ということか」
「テレポートなんてもはや古いわ。もっと格別の機械よ。私達はセイントと呼んでいる。そして、貴方がここにいる理由はあなたの想像通りよ」
これでここがどこで、俺がここにいる理由がわかった。あの紅茶を注いだのは、恐らく偵察隊の人間だ。俺が眠っている間に、そのセイントとかなんとかの機械に連れて行かれ、ここに導かれたんだ。となると、俺の妹はどんな様子だったんだ。と、また思考が離れていく気がしたので、一度深呼吸をする。
「二個目の質問だ。生贄ってなんだ」
最初から気になっていた言葉だ。このおぞましい台詞に俺は嫌な予感しか感じない。生贄が辿る末路は殆どが死だ。この世界ではどうなのかわからないが、俺はこの言葉の意味が分からない限り安眠はできないだろう。
だがアロンは口を閉じた。おい、嫌な予感的中か。勘弁してくれ。
「俺は死ぬのか」
「安心してそれはないから」
「え?」
じゃあなんで今黙ったんだよ、と思わずつっこみたくなった。死なないならそれでいいが、じゃあ生贄ってなんなんだ。
「生贄の話は長くなるわ。また今度にして」
彼女は立ちあがる。そして俺に背を向けた。何か嫌なことでも思い出したのか、一番最初の印象と同じ、無表情だった。それを見て俺は何も言えなくなった。またの機会があるらしいから、去る姿を見送ることにした……はずだったが。
「ああ、それと」
「はい?」
「貴方は私以外の女性と触れてはいけない。ここのルールよ」
「なんだよ、その嫉妬の塊みたいなルールは」
思わず俺はその規則ににやけてそうこたえる。だが、アロンは無表情のまま、浮かれた俺にこう放つ。
「ルールが破られれば、セイントによって殺されるわよ。私達の世界はセイントが絶対。これから、もっと状況は厳しくなっていく。だんだんわかってくるわよ。嫉妬でもなんでもない。生き延びる術なだけ」
それだけ残して彼女は監獄を出ていくと、またがちゃりと鍵を閉めた。なんだ。また違和感が……。
だが、アロンの姿は見えず、俺は仕方なしにもやもやの中で再び眠ることにした。俺がいる状況が、考えているよりもずっと厳しいことなんてこの時まだ俺は知りもしなかった。知らなかったからそれだけ幸せだったのかもしれない。
俺はこれからどうなっていくのだろうか――