聖女子と生贄 その5
「は? いや、ちょ、待て。行かなければいいだけだろ?」
アロンは未だ戸惑う俺の腕を掴んだまま歩き出そうとするが、すぐに俺は抵抗して腕を振り払った。そうだよ。行かなきゃいいだけなんだ。だが、彼女はなおも威嚇してくる。全身の毛を逆立て、彼女は再び俺の腕を握った。静かに、でも確かに、彼女は怒っていた。
「あれほど何度も言ったでしょう? 触るなと。セイントから遠くにいてもダメなのよ。こちらから謝りに行かない限り、待っているのは死なんだから」
「死?」
俺はその単語に背筋がぞくりとするのを感じた。セイントは本当に死さえも与えるのか?
アロンは続けた。
「セイントはどこにいても、私達の動きを把握できるの。それがマーカーされたものの宿命なのよ。貴方もよ。セイントに逆らい、セイントが、彼が怒り狂ったらどうなると思う? 全ての機械を味方につけ、貴方を、そしてエマを全力で追ってくるの!」
「そうなる前に謝らないといけないんですよ」
アロンのやや興奮した説明の後に、静かなトーンで鈴がそう言った。彼女もまた、怒っているように見えた。この鈴が怒っているのだ。尋常じゃない。
俺はもはや逆らう気力もなく、セイントのある場所へ連れて行かれる。そこには既に野次馬の女子共と、同じく野次馬の男子共も沢山いた。こいつら、こういうときだけは戦争中止なんだな……。つくづく嫌になり、俺は項垂れる。もう裁かれるのを待つしかない。
セイントは、卵型のした機械で、俺の五倍以上もある高さだった。
「セイント、連れてきました」
『二人を前へ』
驚いた。こいつ、普通に会話までしやがるのか。完全に見た目以外は人間じゃねえか。
『その男、四日前に召喚した地球人だな。名を名乗れ』
「……前島勇人」
異常な威圧感に、俺はつい萎縮してしまう。
そしてどうも。やっと紹介できます、俺の名前は前島勇人。猿でもなんでもないです。立派な地球人で大学三年生やってます。今非常に危険な感じです。
一人自己紹介を心の中で唱えるも、口に出せるはずもなく、俺はセイントを凝視する。ここで臆してしまったら、今後ずっと負ける気がしたのだ。
セイントは低音ボイスでなお俺にいくつかの質問と、何故彼女に触れたのかを聞いてくる。この尋問中が一番精神的にもきつかった。俺が今一番疑われているのは、エマに手を出そうとしたのではないか、ということだ。こんな公でする話じゃないし、かといってエマの話をここで出すのも問題だ。彼女は慕ってきている部下でさえさっきの話を聞かせたくなかったくらいだ。
手を出そうなんてつもりは勿論なかったし、恐らくエマだってわかっているはずだ。
だからと言って怖くない訳ではない。現に手も冷え切って、足も力を緩めれば震えてしまう。俺は震える声を抑えて、一度深呼吸をした。
エマに罪はない。俺には……あるかもしれないけど、だけどこのまま引いていいとは到底思えなかった。
「俺はエマと会話をしていただけです。ルールを破った事は悪いかもしれないけど……ごく普通のコミュニケーションを取ろうとしただけです。俺は地球人なんで」
俺は地球人なんだと、空球人じゃないんだとそう主張した。その言葉に周りがざわつくのは、覚悟の上だった。
ああ、今は存分に空球人を馬鹿にしてやったんだ。どうぞ騒いでくれ。
罵声が男女問わず飛び交い始める。そして段々とそれはヒートアップしていった。
女子は「これだから男は」と男批判に走りだし、男子は「こんな地球人を召喚した女はくそだ」と言いだす。
これが俺の狙いだった。俺への視線が、互いに戦争相手に向かうのだ。彼らは常に武器を携帯している。ここで戦争を起こされて困るのはセイントのはずだ。
さあどうする? セイント。
俺は大きく息を吸い込むと、ぐっとセイントを睨みつけた。
ルールは破った事は悪いと思ってる。けれど、やはりおかしい。ここの規律は、基本的に狂っている。
きっと、セイントが悪だと気付いている者はここにいる者では少ないだろう。もしかすると鈴辺りは気が付いているかもしれないが……。だからと言って少数派がどうにかできる問題じゃない。恐らく先程エマが話していた、セイントのエラーを起こさせた者も、この異常な状況に勘付いた者なのだろう。そうでなければ、『母なるセイント』を狙うはずがないのだ。
「セイント……俺とエマは何も悪いことはしていない」
『……』
セイントは黙ったままだ。機械が悩んでいると言うのも変な感覚だが、明らかにこいつは何か考えていた。
『わかった。では、今回の事は不問にしよう』
しばらくして、そうセイントは放った。周りのざわめきが一瞬静かになる。「まさか」といった様子だった。
よし。ならば俺もこのチャンスに、事態を収める必要がある。
「俺は地球人です。郷に入っては郷に従えというのに、ここのルールもよく知らず、とんだ馬鹿な真似をしたことをお詫びいたします」
俺の一言でまた一瞬ざわついた。今度はいい意味でだ。
ざわざわと周りがどうするかと話し始めていた。俺とエマはその間もずっと黙っていた。
すると、
『以上で解散とする』
セイントがやっとその機械の口を開いた。
俺はよっしゃと内心でガッツポーズを決める。勝った!
次の瞬間までは、浅はかな俺はそう思ったのだ。
『ただし、エマ、お前は残れ』
「え?」
俺は相当間抜けな声を発しただろう。驚いて後ろを振り向き、エマを見た。
彼女は俯き、ただ黙ってこくりと頷く。
「なんでだ?」
エマだけ残る理由があるのか。残すなら俺にしろよ。いくらでも戦ってやるからよ。
『エマは過去に聖女子だったことがある。その影響は大きいものだ。一地球人が何をしたところで、大きな問題にはなるまい。問題なのは、エマ、お前の行動だ』
「待て待て待て! 俺が勝手に彼女に触れたんだ! 尋問するなら俺だろう?」
『部外者は黙ってもらおう』
そうセイントが言った瞬間に、俺は全身に電気が走ったような痛みに襲われ、意識を失った。気を失う寸前に、エマが俺を見て、また目に涙を浮かべていたのがわかった。
何が起きたんだ。エマお前は――




