ひとりと その1
――なんてこった。こんなことになるなんて聞いてない。この状況はどう考えてもおかしい。なんだこの手枷足枷は。なんだこの女子の軍団は。なぜ俺は椅子に縛られて、女子共に睨まれているんだ。
俺は動かすことのできない体にまず混乱し、そしてフルに動き出した思考で更に混乱した。混乱するなと言う方が無理のある状況だ。
「……っ」
言葉が出てこない。舌と唇が動かない。全身に力が入らない。ぐったりとしてる状態はきっとひからびた人参みたいなんだろう。そんなどうでもいいことにも頭が回り始める。
――確か俺は、地元の店の抽選で、『豪華客船招待券』が当たったはずだ。
ペア招待だったが俺には彼女と言う連れも、友達と言う相方もいない引きこもり大学生だったから、結局高二の妹と来たんだった。船から見る夜景もそこそこに、俺と妹は豪華客船で飯を食っていた。
俺の妹は、俺と似ても似つかず目のぱっちりした、黒髪ショートの見た目は可愛い奴だ。しかし、まあこれはこれは毒舌で、「所詮、豪華客船のご飯と言えど、抽選物だよね。味も普通だわ」とか言っていたな。
まあここまでは、現実味を帯びていたんだが、食後の紅茶を飲んだ時、妙な味がして、しばらくして眠るように意識が遠のいていった。食事中流れていたジャズバンドのミュージックが頭の中でぐるぐると駆け巡り、同時に妹が何か言っていた気がするけど、夢心地だったから全然覚えていない。
そして、だ。この状況である。真っ暗な部屋に、ぽつぽつと白いライトが灯っていて、うっすらと視覚に刺激を与える。意識がはっきりしてくると自分がどういう格好になっているのかがわかった。椅子に固定され、後ろ手に手錠、足も縄でぐるぐる巻きの状態だった。
体に力が入らないのはあの紅茶に薬か何か入っていたのだろう。もたれた首をあげることもできず、目だけで情報を得ようとした。目に入ってきたのは、ずらりと一列に並んだ人、人……。しかも全員スカートを履いていて、どうやら女子のようだ。
カツカツと足音が忍び寄ってきた。中央に立っていた黒の長髪の女子が、腕を組みながら近寄ってくる。目だけでそれを追うも、言葉も発せない今の状況では、身の危機を感じることしかできなかった。
「これが生贄ね。随分と貧弱そうな体……。こんなので遺伝子が残せるのかしら」
女は何か物騒な単語をいくつか並び立て、俺の顎を持ち上げた。近くで見ると随分と整った顔をしていたが、いかんせん無表情である。じろじろと舐めるように顔を見られ、恥ずかしさより、嫌悪感が湧いてくる。
「……な……っ」
やはり声は出せない。俺は元々目つきの悪い方の人間だが、きっと今はもっと目つきが悪くなっているに違いない。自分でも眉間に皺が寄っているのがわかる。
妙な威圧感を感じる。それは目の前の女子だけではなく、後ろで黙って待機している女子共のせいもあるのだろう。
「聖女子アロン様、それでは今宵の儀式をよろしくお願いします」
後ろにいる女の誰かが、そう言った。なんだ儀式って。そう思ったのも束の間だった。
――俺の唇に、目の前の女、アロンと呼ばれた女の唇が重なった。なんだこれは。儀式って、もしかして、もしかすると、エロいことなんじゃないか。
内心どこかで脅威を感じ、同時に男としての妄想が広がる。が、それだけだった。唇は離れ、女は立ちあがると見下すように睨みつけてくる。おい、待て。この場合俺が睨みつけるのが普通じゃないのか。なんで突然ファーストキスを奪われた俺が見下ろされないといけないんだ。さっきの期待は訂正だ。これは俺へのいじめだ、きっと。嫌悪だ。俺がこいつらに抱くのは嫌悪感である。きっとそうだ。
なんて思うも、体は正直な物で、顔が火照っているのがわかった。ああ、悔しい。
アロンは踵を返し、またカツカツと音をさせて後ろの女共のもとへと戻っていく。そして、俺はうなだれたまま、また眠りに落ちそうになっていた。
あの、女。絶対今ので何か盛ったんだ。くそう。
「男なんて猿よ。猿なんかと儀式しなければならないなんて、なんて哀れなアロン様」
ぼんやりと意識が戻りかけていた時、はっきりと聞こえたのがその言葉だった。待て、猿って俺のことじゃねえよな?
だが残念なことに、この場合どうやら俺のようだった。うっすら目を開けると、俺は監獄の中に入れられていて、その檻の向こう側に女共が動物を見るかのようにうじゃうじゃと集まって来てやがった。そうか、動物園の動物はこんなに不快な思いをしていたのか、今度から動物園に行くのは俺だけでもやめてやろう。
女共はひそひそと話すものもいれば、あからさまに俺に聞こえるように嫌みをいってくる奴もいる。その一人が先程の女とは別の、これまた長髪の金髪女子だった。ハーフなのか、外国人のような顔立ちをしているも話している言葉は日本語だった。彼女は今にもつばを吐き付けてきそうな勢いで、俺をありとあらゆる言葉で罵ってくる。普通の精神なら言えないような言葉も平気で言う女だ。俺がどМなら喜んで受けただろうが生憎そういうタイプではない。
「見なさい。猿はああやって寝るのよ。なんてださいのかしら」
くすくすと笑われる俺。ああ、確かに。今は両手両足完全に縄で縛られているから滑稽でしかないだろうな。監獄に入れといてしかもお縄なんて、なんて用意周到な嫌がらせだ。
だが体は先程と違い動く。勿論口もだ。俺は何よりも優先にして聞かなければならないことがあった。
「おい、これはどういう状況なんだ」
女は嫌いだ。平気で裏で陰口も言うし、平気で裏切り行為もする。こいつらもどうやら俺のことが嫌いなようだが、俺も嫌いだ。
「人に物を尋ねるというのに、その口の聞き方は何かしら」
「人のことを猿呼ばわりするようなあほな奴に敬語を使うなんてごめんだね」
その言葉にいらついたのか一瞬金髪女性の顔が歪んだ。ざまあみろと思ったが、その矢先、その女は俺に背を向ける。
「さ、行きましょう。猿の鑑賞は終わりよ」
「ちょっと待て! 質問しただろうが!」
「猿の質問なんて聞く気もなれないわ」
どうやら周りの女の殆どはその金髪の取り巻きだったようで、口々に同意して去っていく。おい、こら、待てよ。と、言ってやりたいがその言葉も空しくなりそうなのでやめた。はぁ、とため息を一つつく。
と、そんなときに別の声が聞こえてきた。
「えっとですね……。貴方は生贄なんです」
ふと顔を上げると、監獄の外に一人だけ女子が残っていた。身長は低そうで、目はまん丸とした、幼い容姿の子だった。いったいいくつなんだろうか。そんな疑問をよそに、彼女は言葉を続ける。
「きっと聖女子アロン様から、直接お話があると思います。今日は一日様子を見るために、申し訳ありませんが、その窮屈な格好でお眠りください」
「はあ……と言ってもな、さっきまで寝てたようなもんだし。せめて縄さえ解いてもらえたら嬉しいんだが」
「私は貴方に近づくことも許されませんので、不可能です。どうしても、というのであればアロン様にご相談なさってください。もうじき来られます」
そう言う中学生くらいの容姿の彼女には幾分か好感は持てた。他の女とは違う気がする。アロン様というやつが来るまでは、話相手になってくれるんだそうな。
「なんでお前は俺の悪口を言わない?」
「だって、私は貴方の事を何も知らないのですもの。男性は嫌いですが、全ての人間が悪者かと言われれば違うように、全ての男性が悪者だとは限りませんから」
何かやけに理論的なことを言われたような気がしてなんとなく納得した。男が嫌いと言う点ではさっきの女共と変わらないらしいが、どうやら見る視点が違うようだ。