薄暮教室の男女
端的に言ってしまうと、眼の前で死んでいる女子生徒は同級生だった。クラスの隅にいて、いつも読書なんかしているような、大人しい、だけれど魅力がないわけではない、そういう女子だった。
俺はその、かつて同級生であった死体をながめた。黒いセイラー服の襟は湿っていたが、流れ出ているはずの血は生地の色で目立たない。しかし下に着ている白いワイシャツは真っ赤に染まっており、彼女の出血が尋常でなかったことがわかる。ショートボブの髪は乱れて、薄いメタルフレームの眼鏡の奥の眼はまだ澄んでいる。殺されてから、そう時間は経っていないのだ。
教室にいるのは俺と死体の二人きり、夕暮れの空は赤く、紫の雲がたなびいては流れていた。下校時刻を少し過ぎた時間だが、居残りの生徒がいないのはこの学校が部活動に熱心なためで、たむろすなら部室が普通だった。だからこそ、彼女をここに呼び出したわけなのだが。
「教室に残ってくれ。話したいことがある」
そうやって年頃の男子が同じく年頃の女子に向かって切り出せば、その時は髪の毛程匂わせずとも、話題が恋愛沙汰にあることはまちがいない。昼休みを告げるチャイムが鳴って、だけれど一緒に弁当箱を開く友達のいない彼女がぽつんと座っている机に向かって、俺は静かにそう言った。彼女は頷くこともせず、ただぴくりと肩を震わせただけではあったが、確かに了解したということは、その落ち着かない顔色ですぐにわかった。
そして約束の放課後に、俺はなんだかやるせないような気分でそこに立っている。彼女は死んでいて、俺は生きていて、誰のいる気配もせず、太陽はゆっくり沈んでいく。彼女が約束を守るとは、俺自身でも驚きだった。普通ならば、あまり乗り気にはなれない話だろう。俺はけして魅力的なタイプではないし、彼女もそういったことには縁遠そうな雰囲気を持っていた。
死を目前にした彼女が何を考えていたのか、そんなことを考える。淡い恋の予感に身を震わせていたのか、気の無い相手への断り方を真剣に考えていたのか。きっと後者だったろうと思う。彼女が俺に惚れているような雰囲気は少しもなかったし、部活が一緒であるとはいえ、けして仲がいいわけでもなかった。だけれど彼女は拒否感情を表に出すのが苦手なタイプで、だからこんなシチュエーションをうまく処理する方法を、脳内で思考錯誤していただろう。まあ、彼女は想定されたシチュエーションのいずれにも合致しない展開を、ここに迎えているわけだ。
「……」
俺は黙ってナイフを拭った。つい五分前に、彼女の首筋を背後から瞬間的に断裂させたナイフを。血液は全て前方に噴出し、俺に対する帰り血はほとんどない。ただナイフを握りこんでいた拳には、鮮やかな色味の血液がべっとりついていた。
「――悪いな。俺は別に君を好いていたわけでもなけりゃ、嫌いだったわけでもないんだ。ただ殺したかったんだよ。そして都合がよかったのが君だ――残念ながら君は、殺されても噂にさえ登らないだろうね。まったく、友達が少ないっていうのは悲しいことさ。俺も人のことは言えないけれど」
からりと引き戸を開いて、俺は血なまぐさくなってきた教室を出る。巡回の警備員が来る時間まではまだかなりあるし、外からでは死角になる位置に死体を置いたから、もしかすると翌朝まで彼女はあのままかもしれない。
廊下に差す光は薄紫の、夕暮れというより浅い夜のそれだ。
少しだけ鼻の奥に彼女の匂いを感じたが、それは気のせいらしかった。