雨中踊音
即興小説から転載 お題:壊れかけのハゲ 制限時間:15分
地獄の世界の道で転ぶことなかれ。
足元にお気を付けなさい、さあ・・・。闇の中で転べば、すってんころりん、そのまま針山の上まで一直線かも知れないよ。
しっかり歩みを進め、見るがいい。
世にも哀れな幻想夢幻の球体中に閉じ込められた人々を・・・。
その光の中に映るのは、この地獄の世界でも異質な、最も哀れな男さ。
雨の中、ずっと踊っているだろう?
彼はね、待っているのだよ。愛する人を。
彼はしがない踊り手だった。あちこちの舞台で踊って、日銭を稼ぐ流浪の身さ。
どこに定住も出来ず、あちらこちらに風来坊。
そんな彼が出会ったのは、ほら、光の中に今映った。
たおやかで美しい女。
彼が公園でタップダンスを練習しているのを、御屋敷の二階のバルコニーから、いつも優しく眺めていたのさ。
彼はそんな優しい彼女の視線を独り占めにしたくって、踊り続けたのさ。
日々、彼女がバルコニーに現れるのを心待ちにし、タップダンスを練習した。
ある日、彼は思い余って、赤い薔薇をたくさん買って、彼女に会おうと思った。
彼は髪を長く伸ばしていた。そのほうが、旅のパフォーマーっぽいだろう?
それが踊り手の彼の特徴でもあった。
その見事な髪の毛を、その日、みぃんな刈り上げて、売ってしまった。
いくばくかになったその金で、薔薇をたくさん、買ったのさ。
その日は雨だった。
彼はバルコニーに彼女が現れるのを待ったんだ。
待っている間、タップダンスを踊った。
片手に薔薇の花束を持ってね。
髪はなくなって、すっかり禿げ上がった頭。
服はぼろぼろ。
それでもタップダンスの靴は、つるつるに磨き上げてあった。
彼にとって踊りはすべてだったのさ。
愛を伝える、ね。
ところが彼女はいつまで経っても現れなかった。
バルコニーには屋根がついているから、いつもは雨でもそこに座っているのに・・・。
彼は無心で踊り続けた。
雨音と靴音を合わせ、赤い薔薇の花弁を散らし、濡れそぼった体で。
水溜りを踏み、踊り続けた。
彼は知っていたんだね。
彼女が病で、もう先が短かったって。
そして、彼は三日三晩踊り続け、死んでしまった。
三日三晩、雨は降り通し、薔薇は咲き続け、彼はタップダンスの音を響かせ続けた。
どうやら彼の思いと雨と薔薇とタップダンスはそこに染みついてしまったようでね・・・。
まるで落ちない紅茶のシミのように、ずっとそこでタップダンスのリズムは鳴り続け、薔薇の花弁がひらひらとどこかから舞ってくるのだよ。
伝えきれなかった愛の言葉、みすぼらしい自分への悔しさ。
すべて彼女への思いに浮かされて、幻想夢幻になっちまった。
これが何で地獄の世界なのかって?
まあ考えてみなよ、彼が三日三晩、雨に打たれた寒さ、冷たさ。
髪の毛を全て刈って作ったみすぼらしい金、叶うわけのない思い、どうにもならない流浪の身。
センチメンタルなだけの、恋物語かい?
まあ、元々彼が一体何者だったのか、どこから来たのか、誰にも分からないのだがね・・・・。
「壊れかけのハゲ」というお題に本気で混乱しました。