病的静寂
即興小説から転載 お題:頭の中の姫君 制限時間:15分
幻想夢幻に囚われちまった地獄の住人たちの記憶・・・お次はどの記憶を覗き込むかね?
道行く先々、暗闇に浮かぶ光・・・どれも興味深いものだよ。
ああ、その記憶を見るのかい。
こりゃまたねぇ。
その記憶の中に見える住人はただコンクリートの床に寝そべる女の子にしか見えないから、がっかりしているのかい?
だが見えるだろう?
彼女が胸に抱える大きなノコギリナイフ。
それから、すべての音を遮断する、分厚い耳あて。
どう見ても普通じゃァないじゃないか・・・。
虚無の表情に何が隠されているのか、君は知りたいかい?
彼女は生まれながら、音が大嫌いだったのさ。
特に声。人の喋り声に不快感を催す少女だった。
家族は仕方ないと思った。彼女は可愛い末っ子だったし、父親は医者で彼女が音に関する神経過敏症だと思っていたからさ。
病気の可哀相な子。それが彼女だった。
彼女は何とも接触せず、一日中家にいることを許された。
一家の奥底に住まう、大切な大切な姫君として、育てられたのさ。
だが、家に閉じこもりがちの彼女は遂に耐え切れなくなったのさ。
何にって?
家族の喋り声さ。
ぺちゃくちゃ喋る声に耐え切れず・・・ある日、家族全員の喉笛を、残らず切り裂いちまった。
その大きなノコギリナイフでね。
それでも家族は生れながら病に侵された末っ子を慈しんでいたから、誰も咎めやしなかった。
むしろ彼女の不快に同情した。神経症のせいで普通に暮らせない子だってね。
ナイフで切られたのは明らかなのに、家族は一人として何故自分たちが声を失ったのかを周囲に明かさなかったのだよ。
まあ、父親が医者だからね。手当には事欠かないし、やはり末娘の病を案ずる方が先だった。
喋らなくなった家族はひたすら、静かに、静かに生きた。
そうしていれば、彼女の気に障ることはないはずだった。
ところが。
一人部屋で耳あてをしていた彼女は、頭の中の自分と対話していた。
それが唯一の彼女の暇潰しだったからね。
ナイフで家族の喉笛を切り裂いたのも、頭の中の自分と対談した結果だったわけさ。
家族が喋らなくなっただけでは飽き足らず、頭の中の自分は、いつも問うてきた。
「貴方は我慢できるの?あの音が。私は堪えられない」
それは自分の家族の生活音に対しての苦情。
彼女は甘やかされていて、家族に対して居丈高な思いを抱いていたから、冷やかにその生活音をも評価し、断罪していた。
あの物音は到底許せない、イライラする。
彼女は頭の中の自分に同意した。声を失っても、彼らは音を立てるのだから、彼らが悪い、とね・・・。
彼女は遂に決行した。
耳あてをした彼女は、巨大なノコギリナイフを引きずって、再び家族の前に現れたのさ。
そして、全員亡き者にしてしまった。
それから彼女はどうしたと思う?
また頭の中の自分と相談して、世界中で最も静かな場所を探したのさ。
辿り着いたのは核燃料のための最終処理場。
地中の奥深く深くに作られた、コンクリートだけの部屋さ。
・・・そう、彼女が寝そべるのは、誰も見ることもない、誰も音を立てることもない。
ただ、自分の身ひとつだけでいれる、静かなる部屋さ。
彼女は耳あてをして、いつでも音を立てる邪魔者を処理できるように家族を殺したノコギリナイフを胸に抱いて、静かに静かに横たわっているのさ。
だが、やがて彼女は気付いた。
寝ていても、自分一人でいても、唯一聞こえる音に苛まれるってね・・・そう、自分の心臓音さ。
お察しの通り、彼女はやがて自分の胸を貫いた。
頭の中の自分と相談してね、そう、にっこり微笑んで頭の中の彼女は言ったのだろうよ。
「それはいい考えね」
と。
・・・え?頭の中でもう一人の自分と対話していたって、それは自分自身だから飽きがくるだろうって?
ハハハハハ、そりゃ本当に、彼女が頭の中で自分自身と対話していたらそうかも知れない。
だがね、虚構も本当になり、すべてそれが真実のように思えるときだってある。それが人間の脳の不思議さ、そう思わないかい?
まあ、彼女が頭の中で対話していた「自分自身」が、本当に「自分自身」だったのか・・・
地獄の幻想夢幻の中に閉じ込められているのを見りゃ、怪しい気がしますがネ・・・。
そもそも家から出ることのなかった彼女が、どこからノコギリナイフを手に入れたと思うんだい?