萩山公園にB29が堕ちた
どこを飛び立ったのか、B29が名古屋上空へ2機飛来、(被害不明)したがそのうちの1機が高射砲で被弾したのか日本機による体当たりで墜落したのかは判らないが、「萩山公園」へ墜落した。
とゆう口伝えで近所の子供たちと急いで萩山え行った、「大きい、臭い」が第一声だった。
でかい、小山のようなB29の胴体しかない現場は50m四方に綱がはられていた。
異様な油臭いにおいを漂わしていた。
もっと異様だったのはB29の胴体に女の絵が描かれていたことと7人の米兵が機首あたりに「死体」が並んでいたことである。
裸もある、シャツ姿もある、血で染まっているが3人目に女の死体があった、長い髪の毛と着衣で女と分かった、「何で女性が乗っていたのか」
疑問が湧いた。
このことがみんなの間でも話題だったがアメリカだからだろうと何となく結論づけた。
終戦となって戦犯の話題が新聞を賑わうのだがB29の乗員が落下傘で降りてくるのを下から竹やりでつっいて全員を殺した罪で6人の兵隊がB級戦犯で裁判にかけられた、全員有罪で死刑判決だった記憶がある。
戦争とは殺すか、殺されるかの人と人、国と国の争いで場合によっては全く無駄な争いだと考えられる。
その当時の記憶を持つ人達も少なくなっている、「震災」を忘れない、忘れるなとゆうが「震災」は天災だが戦争は人災なのです、天災は避けられないが、人災は避けることもできるのです。
原子爆弾を使用するなど論外と思うが製造する国が世界で数か国ある、誰の為、なんの為にであって一発使用で世界のいくつの国が失はれることか、自国護国の意味で製造するなら、「核を持たず、持ち込ませず」の日本が正しいはずだが、2度目を撃ち込まれないとゆう保障はない。
製造予算で社会保障費に回せば国民ももっと潤うことだ、正義論が必ずしも正義でないことにきずくと、同時にその恐ろしさが亡国を意味しているのです。
原子爆弾を使用された国日本以外どこの国の国民が真剣に考えているのだろう。
あの悲惨を経験した日本以外どこの国の国民が核を持たず、持ち込ませずを考えているのだろう。