戦時中のゴルフ場
戦中のゴルフ場(3)
昭和14年、瑞穂区内の石川橋の近くに萩山公園(記憶に間違いがあれば失礼)とゆう所があった。御剣小学校区内ではあったが辺鄙な所で「ひとさらい」がそこにはいる、と云った噂があった位怖く淋しい場所で子供が遊びに行く場でなかった。
公園の一角に50m四方の池があった、その池で「菱の実」が取れたので5,6人で遊びながら行く、とそこえニッカポッカのズボンをはきそれぞれが棒を持った4,5人のおじさんが走ってきて「おい、ぼうずその辺の池に落ちたボールを探せ」と偉そうに言う、「やだよ」の一言でそのおじさん連は足早に行ってしまう、「それ」とばかりに私達は腰までつかる泥沼の池へ入る、目的は今言われたボール探しだ、ちょっと冷たく寒い時もあるが一回で3,4個のボールは拾えた。
持ち帰って皮をはぎ巻いてあるゴムひもを苦労の末引き出し(輪ゴム位)、女の子の、「ゴム飛び」にはかかせない道具で、妹に一本、と好きな女の子にプレゼントして大変喜ばれた、しかもゴムをベンジンに混ぜ自転車のパンク糊を作る、なによりも貴重なゴムだった。
それからあのゴルフ場はどうなったのでしょう。
20年7月だったと思うが、B29が名古屋を空襲したが一機、萩山公園に落とされたと聞き私達は早速5,6人で見に行ったが、そこにはB29の残骸と7人のアメリカ兵の死体が並べられていた、驚いたのはその中に一人の女性の死体が並べられていたのにはみんながビックリした、と同時にいつまでも話題になった。
落下傘で降りてくるアメリカ兵を下から竹やりで突いて殺したのだったが、戦後B級戦犯裁判で突いて殺した日本人数名が有罪の判決を受けたと新聞が伝えた。