治療四、
『あんた気持ち悪い』
『クセーんだよ、近寄んな!』
『はっ?ウザっ』
『あーあ、死ねばいいのに』
(やめてよ)
(やめてよ、私が何をしたっていうの?)
(助けて、誰か、誰か助けて!)
『おまえさー、そんなやつらの言うことなんて気にすんなよ』
『たまにはやり返せよ。やられっぱなしじゃダメだろ?』
『・・・そんな弱気でどーすんだよ。』
『おまえさ、もっと自分に自信持って大丈夫だって!な?』
(あ、ありがとう)
(私、もっと頑張ってみるよ)
『うわっ、お前、あいつとなんかメールしてんの?あいつ女子の間でもめっちゃいじめられてるぜ?』
『そーだよ。実際あいつ暗いし、キモイしな。おまえよくあんなやつとメールできるな。』
『ち、ちげーよ!ちょっとからかって遊んでんだよ。なんかちょっと励ましてやるなんかしたら、サイコー感謝してきたりしてさ。こっちは冗談なのに真に受けちゃって、マジ面白いって!』
(え・・・)
(どうして・・・?)
(うそ・・・)
(そんな・・・!)
気を失ったかのように虚脱している彼女は、自分がどこにいるのか分からないような感覚にとらわれていた。過去と現実、真実と虚偽。それすらも混沌とし、自分の心と身体がばらばらになってしまったようだった。
「どうしました?」
男は、さほど心配するようでもなく問いかけた。
そんな言葉が、心と身体の接着剤となり、彼女を現実に引き戻す。
男は彼女が“ここに”戻ってきたことを確認すると、話を続けた。
「いいですか、私があなたと違うのは、このルックスというハンデを自分で克服しようと思ったことです。二十になったときですね。自分の有り金全部使って、やりましたよ。
もちろん百パーセント成功するとは思ってませんでした。
ただ、本当にもしすべての元凶が顔だとしたら、それさえ克服できれば、まったく違った人生を送れる、そう思ったのです。誰も知らないところに行って、まったく違う生活を送ろうと。
・・・実際、すぐには何も変わらなかったですがね。
所詮身体なんて、自分の心を入れておくための容器に過ぎないのですから。
でもあなたが、本当に私のことを綺麗と思ったのなら、それは成功だったのかもしれませんね。」
男は照れる様子もなく笑顔で・・・・・いや、もうこの微笑みは常なのだろう。
だから彼に対しては、この場合“無表情で”という表現が適切である。
そんな彼に、彼女は何も言えなかった。
ほんの少し前なら「私だって努力はした!」とでも反論しただろうが、今はそんな気になれなかった。
それは、少しずつだが彼に、共感の意を覚え始めているからであった。
たかが同じ悩みを患っていたというだけで、他人に共感するなんて愚かなことであるかもしれない。
しかし、ずっと一人孤独に耐えていた彼女にとっては、それだけのことでも親近感を覚え、慕わしく思うのだった。
それだけ彼女の心は傷ついてしまっているのか。
男は続ける。
「あなたが死にたいというのなら、死ねばいいです。
結局人生なんて無味乾燥なものですから。
あなた一人死んだって、せいぜい親、親戚兄弟が悲しむくらいじゃないですか?
だって友達もいないんでしょう?
それだって、何年かすれば親は死ぬだろうし、そのうち、あなたのことを悲しんでくれる人、覚えている人なんてすぐにいなくなりますよ。
そんなものです、一人の命なんて。
つまらないものです。
くだらないものです。」
自分の生きる価値を真っ向から否定されるとは、いったいどんな気持ちなのだろうか。
もしかしたら、彼女が今まで受けてきたどんなイジメよりもよっぽど酷い暴力であるかもしれない。
彼女はそんな自分に向けられる言葉の刃を、一つ一つ噛み締めながら聞いていた。
「だからあなたが死ぬといったとしても、私は絶対止めません。
むしろ、自分でそう決めたなら、それはすごく素晴らしいことではないですか?
ずっと逃げ、惰性で生きていたようなあなたが、自分の生命に関する判断を、自分で下すのですよ?
素晴らしいことではありませんか!」
彼は背中をポンポンと叩くよう楽しげに言った。
言っている内容はつまり、自殺を仄めかしているだけなのだが。
「でもよく考えてみてください。
どうせ死ぬんですよ?
いずれ。必ず。
だとしたら、あなたはもうやりたい事ことなんて残っていないのですか?
だとしたら、それをしてから死ぬのでも構わないのでは?」
少し真面目な表情を見せ、彼は言った。
その問いに彼女は戸惑う。
「・・・したいことがないから死にたいなんて思うのでしょう?」
彼女は泣き出しそうな声を絞り出した。
「本当にそうですか?
あなたはこの期に及んでまだ自分の心を封じ込めてはいませんか?
じゃあ逆にききましょう。
あなたは、あなたのことをいじめた人たちを憎くないのですか?
あなたを裏切った幼馴染を憎くはないのですか?
悔しくはないのですか?」
少し考え込むようにしたが、「それは・・・悔しい」と彼女は答えた。
「だからといってしたいことなんて、何も・・・無いです。」
本当に何もないんだ。
ただ望むとすれば、早く楽になりたい。
肉体的、精神的その両方の痛み、苦しみから逃れたい。
彼女の欲するのはそれだけであった。
「そうですか?
本当にそうですか?
もう一度よく考えてください。
人間の倫理なんて考えなくてもいい。
あなたの本能そのままに考えてください。」
彼女は、彼の言っている意味が分からなかった。
「だから、もう本当に何も・・・」
口を開きかけるが、彼に目線で制止させられる。
「つまり、自分が被害を受けたら、加害者に憎しみを抱く。
これは人間の当然の感情です。
しかし、それにいちいちやり返していたら社会が崩壊してしまう。
そこで“法”というものが作られたのです。
でもそんなこと、今から死にゆくあなたにはなんの関係もないでしょう。
よく考えてみてください。
憎いでしょう?あなたを苦しめた奴らが。
そんなやつらに、自分と同じような苦しみを与えてやりたいとは、思いませんか?」
何故か自分が死ぬことを前提として話しが進んでいるが、そんなことより彼女は、彼の報復思想に驚く。
「そんなこと私、思いません!!」
「・・・それですよ。」
彼は少し寂しげな笑顔で言った。
「それが、私が先ほど言いました、友人の髪を切ったのを褒めちぎる例です。
何故彼らがそういう風に相手を誉めるのか分かりますか?
相手の気分をよくするため、
人間関係をスムーズにするため、
それらも確かに大きな要素であるかもしれません。
しかし一番の理由は、“自分をよく見せたい”からです。
相手に気に入られて、いい人になりたいのですよ、人間は。
クラスの人たち全員が、あなたのことをいじめたがっているのかはわかりませんよ。
ただ、やめられないのです。
自分だけあなたの味方をすれば、自分もその対象になりかねない。
そんなリスクを犯せる人なんていると思いますか?
もちろん、いない。
そして今のあなたも同じです。
復讐なんてくだらない、ダメなことだと小さい頃からすりこまれていて、
それを主張すれば自分が悪い人間に思われてしまう。
そう思ったから、あなたは先ほどの私の言葉を否定したのです。
『あいつらが憎い』『殺してやりたい』
そんなことを言えば、自分は心の狭い、醜い人間だと思われてしまう。
そのことをあなたは恐れたのです。
無意識かもしれませんが、あなたは、私に気に入られようとしたのです。」
「そんなこと・・・!」
ない、といおうとした彼女であったが、そこで言葉は途切れた。
彼の言っていることは確かに無茶苦茶だが、それでも、妙に共感できるところもあった。
中学のときから、友人との関係はそんなものだった。
思ってもいないことを口にして、相手に取り入ったり、機嫌をとったり。
バカじゃない?と思ったときでも、あはは、と笑顔を作ってその場を乗り切ってきた。
友人との関係なんて、そんなものだった。
それがバカらしくなって、高校に入ったら、できるだけ自分の思ったとおりにしようと思った。
授業でも、一人一人の個性が大切です、なんて教えられたし。
その結果が、これなのか。
他人に合わせ、愛想笑いをふりまかなければ、足蹴にされ、はじかれてしまう。
人間の社会とは、そんなものなのか。
“怒り”よりも、何か虚無感のようなものが押し寄せてきた。
「くだらないでしょう。生きていることなんて。
くだらないでしょう。人間関係なんて。
北村透谷という作家は、日本の民権運動をめざしたが失敗し、挫折して、
自分の世界に閉じこもってしまったけれども、それでも自己を満たすことができなくて、
結局自殺してしまうんですね。
彼は明治時代の人ですから、約百年前のことになりますけど、
それから比べても、日本はとてつもなく発展し、豊かになった。
しかし私は、どんなに国が豊かになっても、自殺者なんてものは、絶対に減らないと思います。
また、イジメという現象も、絶対に減らないと思います。
その理由はあなたも、いえ、あなただからこそ、よく分かっているのではないですか?
人間は、自分の弱さを人にぶつけなければ、自己を保てないのです。
誰かを蹴落とし、自分は優越感に浸っていなければ、自己を保てないのです。
だから、それに失敗した人は死ぬしかないし、イジメだってなくなるはずがない。
もしなくなったとすれば、人間の心そのものが、根本的に変化したということでしょうね。
・・・だからこんな世界になんて、何の希望も見出せないのです。
だから、あなたが自殺することは、立派な選択である、と言えるのです。」
太陽は西へと傾いていた。
スウと赤い日差しが差し込んで、部屋の中を赤く輝かせる。
「・・・じゃあ、あなたはどうして生きているんですか?」
彼女はおもむろに問うた。
夕日に照らされた彼の顔が眩しい。
男は、あはは、と笑いこう言った。
「君みたいな人を助けたい、と思うからですよ」
そんなバカな。
今まで散々人間というものを否定してきて、自分だけはそんな神になったつもりか。
訝しげな顔で、「嘘」とでも言いたげな彼女を、優しく諭すように彼は言った。
「でもね、これは偽りの気持ちなんかではありませんよ。
本当に心からそう思うのです。
私のおかげで、くだらない人生に早く見切りをつけて、
たくさんの人が自殺すればいいと思っています。
そうやって、たくさんの人の心を救ってあげたいと、そう思うのですよ。」
彼の笑顔は美しかった。
微笑みの貴公子といわれたペ・ヨンジュンの笑顔には吐き気を催した彼女であったが、彼の笑顔は本当に綺麗だった。
それは、自分が今まで見た中で一番美しい笑顔だと彼女は思った。
言っていることは牽強付会。
はっきり言って、かなり危険思想。
それでも、彼は綺麗だった。
それは、彼のルックスからではない。
彼の笑顔が、偽りのない、本当に心から沸き出でるものであったからだ。
自分に正直になれれば、こんなにも綺麗な顔ができるのか。
彼女はまた涙があふれた。
しかしこんどの涙は、悲しみや、悔しさからのそれではない。
彼女は泣きながら・・・、笑った。
「く、くだらないなぁ・・・。
ほんと、くだらないよぉ・・・。
バカみたいだね、ほんと、みんな、バカみたいだ・・・・・」
彼女は泣いた。
泣いて、笑った。
楽しかった。
こんな楽しい気分になったのは、いつ以来だろう。
いや、初めてだ。
こんな体が弾むように嬉しい気持ちになったのは、きっと初めてだ。
本当に、心を縛っていた何かから解き放たれたようだった。
男も笑っていた。女も笑っていた。
青い空が、夕日によって赤く、赤く照らされている。
道は示された。
もう迷うことはないだろう。
後は、その道を選び、歩き始めるだけ・・・。
次号最終回。
彼女の選んだ道とは・・・・・?