第2話
アリサはそろそろと、レイから離れた。
例え仲の良い兄妹でも、子供ではないのだから、分別を付けなければいけない。
最初に抱きついてしまったのは、アリサの方だったが…。
「庭を見に来ていたんだろ?」
「ええ。昨日までの雨で花が倒れていないか心配していたの。
でも、大丈夫みたいね。」
日ごろから、しっかりと手入れをしていたおかげで、
どの花も無事のようだ。
「アリサは本当に、この庭が好きだな。」
「好きよ。だって、兄さまと一緒に育てた大切な庭だもの。」
屋敷に居るアリサの楽しみになればいいと、
レイが色とりどりの花を植えてくれたのがきっかけで、
アリサは庭いじりが趣味になった。
今では立派な庭園だ。
「お前が喜んでくれたらそれでいいさ。」
レイは優しく微笑む。
「満足してるわ。……あれ?」
「どうした?」
アリサは、自分が花を植えていない、庭の隅にも花が咲いていることに気付き、
そちらへと近づく。
「私、ここに花を植えてたかしら?」
そこには、白色や赤紫色の可憐な花が咲いていた。
4枚の花びらそれぞれの先端が、
ツノのように反り返ってとがっている珍しい形をしている。
「俺が植えていたんだ。知り合いに種をもらってな。」
アリサがしゃがんで、まじまじと花を観察していると、
頭上からレイの声が降ってきた。
「兄さまが?」
「ああ。お前にあげたかったから…。」
今まで見たことない花だ。
鮮やかで可愛い。
「嬉しいです。ありがとう、兄さま。」
忙しいのに、その合間をぬって植えてくれていたなんて、知らなかった。
アリサが気付かないところでも、
レイはこうやってたくさん喜ぶことをしてくれていた。
自慢の優しい兄だ。
「でも、せっかくこんなに可愛いのに、
どうして庭の方に植えなかったんですか?」
アリサが言うように、花がたくさん咲いている場所ではなく、
庭の隅にある木陰にその花はひっそりと植えられていた。
「この花はアジアの山野で自生している花で、樹木の下に咲くらしい。
うちには木もたくさん生えてるから、なるべく自然に近い環境にした。」
アジアに咲く花…。
遠い異国の地には、まだ見たこともない花が数えきれないぐらいあるのだろう。
「名前は何というんですか?」
「Epimedium Grandiflorum …“イカリソウ”。」
「あっ!確かに船のイカリのような形をしていますね。」
実際のイカリを見ても可愛くもないだろうが、
この花の形からして“イカリソウ”という名前がしっくりくる。
アリサはすっかり“イカリソウ”に釘付けだ。
「気に入った?」
レイもアリサの横にしゃがむ。
アリサは「はい。」と言って、微笑んだ。
「……そう。」
レイにしては、歯切れの悪い返事だ。
「どうかしました?」
「こうやって、木陰にひっそりと咲いていたら、
誰にも気づかれないんじゃないかと思ってな…。」
やっぱり、今日のレイはどこか様子が違う。
花に対して感傷的になるなんて、めずらしい。
何か思うことでもあるのだろうか…?
「そうですね…。
せっかく花を咲かせても誰にも気づかれないと、寂しいですね…。
でも、やっぱり気付いてほしいから、
独特な形と色合いで存在を誇示しているのかも。」
“どうか、ここに居ることに気付いてください”、
“寂しい思いをわかってください”……と。
感じたことを口にすると、隣に居たレイが非常に驚いた顔をしていた。
「私、何か兄さまを驚かせるようなことを言いました…?」
「…いや、気にしないでくれ。少し考え事をしていただけだから。」
そう言うと、レイは立ちあがった。
イカリソウを見つめたまま、難しい顔をしている。
「兄さま?」
声を掛けると、レイははっとしたようにアリサの方を向いた。
それから、すぐに微笑みを浮かべる。
「あまり、外に居てお前が疲れるといけないから、
部屋に戻ろう…。」
まだしゃがみ込んでいるアリサに手を差し出す。
その手を迷うことなく取って、アリサも立ちあがった。
「…行こう。」
そのまま仲良く手をつなぎ、屋敷の方へと歩き出す。
もう、いつものレイに戻ったようだ。
さっきは様子がおかしかったので、体調でも悪いのかと心配したが、杞憂だった。
歩きながら、アリサはちらと後ろを見る。
木陰に咲くイカリソウは、やはりどこか悲しげで、寂しそうだった。