第1話
“私が大きくなったら、絶対にお嫁さんにしてね!”
子供の頃の遠い日の思い出…。
もう、いつそんなことを言ったのかも思い出せないぐらい昔のこと。
その場限りの約束だったはずだ。
だけど…私は確かに約束した……。
あの白色と赤紫色に敷き詰められた花の園で………。
今日は天気が良い。
昨日までの大雨が嘘のように、空は晴れ渡っている。
アリサは部屋を出て、屋敷の中庭へと向かう。
大雨で、花達が倒れていないかと心配していたが、どの花も元気そうだった。
雨の滴に濡れた花は、朝の光を浴びて、まるでビーズを散りばめたかのように、キラキラと輝いて美しい。
その美しさに見惚れて、ドレスの裾が濡れるのもかまわずに、
庭へと足を踏み入れる。
「アリサ。」
突然後ろから声を掛けられ、アリサは勢いよく後ろを振り向く。
顔を見なくても誰かすぐにわかる。
「兄さま。おはようございます!」
そこに居たのは、兄のレイだった。
ブロンドの髪がなびいて、光って見える。
海のように澄んだ青い瞳も宝石のうようだ。
アリサはブラウンの髪だが、瞳の色はレイと同じだ。
挨拶もそこそこに、兄へ抱きつく。
アリサは小柄で、レイは長身のため、
抱きつくと言うよりはしがみついている状態に近い。
「おはよう、アリサ。」
レイは優しく抱き返し、頭をなでる。
アリサは兄に頭をなでてもらうのが好きだ。
「本当にお前は、甘えん坊だな。確か、10歳になったばかりだったか…?」
「違います!私はもう16歳です!!」
抱きついていた手を離して、兄に反論する。
甘えるのは好きだが、子供扱いされるのは嫌なのだ。
思春期のまっただ中なのだから、多少の反抗はしかたがないだろう。
めいいっぱいアリサはレイを睨むが、ひとつも迫力がない。
「冗談だよ。少しからかってみたくなっただけだ。」
クスクスと笑いながら、頭をポンポンと叩く。
「ひどいわ兄さま!もう、口を聞いてあげませんよ?」
頬を膨らませながら怒るアリサは、やはり子供のようだ。
「別に俺はかまわないけど、アリサの方が我慢できなくなるんじゃないか?」
「う…。だって……。」
先ほどの勢いが急になくなった。
以前も冗談のつもりで同じようなことを言って、
レイとは話さないということにしていたが、たったの3日でアリサの方が折れてしまった。
自分で言い出したことだったが、寂しくてすぐにレイに謝ったのだ。
だから、アリサがこう言っても、結局レイには勝てない。
結果がわかってるのに、アリサにそうさせようとするレイは意地悪だ。
「本気で嫌われたくはないから、ほどほどにしておくよ。
しかし、アリサ…。3日前に熱を出して寝込んだばかりだろうが?
元気になったのはかまわないが、こんな朝っぱら動きまわるな。
また、寝込んだらどうするんだ。」
意地悪が終わったと思ったら、今度はお説教タイムだ…。
でも、レイが心配するのも無理はない。
アリサは小さい頃から身体が弱くて、屋敷の外に出ることもままならないのだから。
生まれつき身体が弱く、無理をすると倒れて寝込むので、
基本屋敷の外には出られない。
だから、当然学校にも通ったことがない。
外とのつながりがないから、学校がどういう所なのかもよく知らないのだ。
行ってみたいとは思うが、行ったところで体調が悪くなって心配をかけるだけだから、
意地になってまで行こうとは思わない。
それに、学校に行かなくても家庭教師が勉強を教えてくれるので、
学校に通っている子と同じレベルの知識は備えている。
友達も、今まで居たこともないので、別に欲しくない。
大好きな家族がいつも傍に居てくれるからそれでいい。
その中でも、たった一人の6歳違いの兄であるレイは、
昔からアリサの遊び相手や話し相手になってくれていた。
父と母は忙しく、あまり家には居ない。
仕事や人づきあいがあるから仕方がないが、
アリサのことをちゃんと気にかけてくれている優しい両親だ。
それでも、両親がいなくて心細い時には、
レイはアリサの隣に寄り添って、一緒に居てくれた。
“俺がずっと一緒にいるから、安心していいよ”
意地悪でからかったりもするけど、優しくて愛情に溢れたレイが大好きだった。
ずっと一緒に居たいが、そんな望みは叶わないことぐらいわかっている……。
「兄さま、私は確かに身体は弱いですが、もう子供ではありません。
自分の事ぐらいは自分でどうにかできますので、
そろそろ私に“兄離れ”をさせてください…。」
アリサはレイから一歩下がって距離を作った。
心配してくれるのは嬉しいが、兄の青春が妹の世話で終わってほしくない。
これからは、自分のために時間を使ってもらいたいのだ。
レイがいつまでも世話を焼くのは、
きっとアリサが“兄離れ”できていないからだろう。
レイがいるとどうしても甘えて、頼ってしまう。
だから、離れなくてはいけない。
それに、レイには婚約者が居て結婚間近だという話を、
屋敷のメイド達が話しているのを聞いた。
婚約者の女性も早く結婚したいと思っていることだろう。
アリサが足を引っ張らないようにするためにも、レイには一度言っておきたかった。
「…俺から離れる?」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声の大きさだったので、
アリサは「え…?」と聞き返す。
「お前は俺と離れても大丈夫なのか?」
今度は正確に聞き取れた。
しかし、レイの顔は無表情でその感情まではわからない。
「ずっと一緒に居たのに、急に離れられるのか?」
「…はい。急には無理だけど、慣れると思いま…」
言い終わらないうちに、手首を力強く引っ張られる。
先ほどアリサが作った距離を埋めるように抱きしめられた。
どうしたのだろうか?
冗談やからかう態度とは違うような気がする…。
「兄さま?苦しいです…。」
息は出来るが、潰されそうな程抱きしめられているので、
息苦しい…。
「アリサ…。お前から離れられないのは俺の方だ…。
離れるなんて言わないでくれ……。」
「兄さま…。」
レイがこんなにもせつない声で話したことなどなかったから、焦る。
「わっ、私もだけど、兄さまも“妹離れ”できていないのね?
…そうよね。今までお互いにべったりだったんだもの。
急に離れられないわよね…。ごめんなさい、兄さま。」
アリサは、レイの広い背中に腕をまわして抱きしめ返す。
「ああ…。俺たちは離れられない。
だから、これからも一緒だ……。」
より一層アリサを強く抱きしめた。
アリサは、それだけレイが自分のことを、
“妹”として大切に思ってくれているのだと感じた。
家族なのだから、離れるとか離れないとかそんな問題ではないのだろう。
自分はくだらないことを考えていた。
「ええ…兄さま。これからもずっと一緒よ。」
“妹”として、家族の一員である兄と一緒に居たい。
「ありがとう、アリサ…。嬉しいよ。」
抱きしめられていたので、レイの顔はわからなかったが、
この言葉の通り喜んでくれたのならそれでいいと、アリサは思った。
「ずっと一緒だ…。アリサ。」
レイはアリサを抱きしめながら、狂気に満ちた笑顔を浮かべていた……。