11.爆発呪文④ プロポーズ?
例の投稿を画面に表示させ、古田が机に置く。
新見はその隣に、プリントアウトした申請書を滑らせた。
哲郎も汐莉も机上にかぶりつき、その二つを何度も見比べる。
茉莉奈はちらと一瞥し、すぐに視線を新見に戻した。
「さあ説明してもらおうか、茉莉奈ちゃん」
「ユニフォーム、似合ってません? 私、初めて選抜選手に選ばれたんですよ」
茉莉奈は笑顔を張り付けて歌うように話す。新見は内心で舌を打つ。
まだ、白を切るつもりか。
新見が口を開くより先に、悲鳴が裂いた。
「ま、待ってください! 通知なんか、来てませんよ!」
汐莉が息を切らし、顔を蒼白にする。哲郎も後に続く。
「新見君、本当なんだ。私達はそれもあって憤りを君らにぶつけた。だが通知の送付は検察庁の仕事だろう? あるいは郵便の不達かも知れないと思って、後日問い合わせるつもりだったんだ」
なるほど、そう来たか。
「郵便の不達? 本当にそうでしょうか。お二人とも帰宅は遅いですよね。通知は書留でもなく普通郵便で届きます。家族の中で最も早く帰宅する人間なら、特定の郵便物だけ抜くのは、難しくない」
哲郎も汐莉も、茉莉奈に向きそうになる視線を押し留める。
真実を確かめるのが怖いのだろう。
「検察庁に確認すれば、発送原簿に記録が残っているはずです。まあ、確認するまでもないというのは、この投稿を見ればお判りでしょうが」
哲郎が画面に視線を落としたまま、苦々しい声で言う。
「……茉莉奈。どういうことか、説明しなさい」
「えー? また一個ずつ話さなきゃなの? さっきの取り調べみたいに?」
うんざりとした顔を隠そうともせずに、茉莉奈が肩を竦める。
「あなた、受け取ってないんでしょ? 投稿もただの偶然なら、そう言えばいいだけよ」
汐莉がハンカチを握ったまま指を組む。それは祈りにも似ていた。
「うーん、でも。なんかもう疲れちゃったな」
そう言うと、茉莉奈がすっと腕を上げた。
「はい、通知を受け取ったし、堀の出所日も知ってました」
てらいもなく告げられた言葉。磨き上げられた爪が蛍光灯の明かりを弾く。
「あの人、インスタ上げたら面白いくらいあっさり釣られちゃたんです。それで電車で接触してきたから、イオ君達にここ一週間は守ってもらってたの」
愕然とする大人たちを置き去りに、茉莉奈は続ける。
「こんな画像に引っかかるなんて、ぜんぜん更生なんて出来てない証拠じゃないですか。というか、インスタに辿り着いたのだって、私の名前で検索をかけたってことでしょ? だから、これはもう一回檻に入ってもらうしかないなって思って。
……あーあ、イオ君に言われてたのに、投稿消し忘れちゃったのが失敗だったな」
茉莉奈は面白くなさそうに頬杖をついた。
汐莉が何度も言葉を紡ごうとしては、失敗し口を閉ざした。
哲郎は目の前の娘を凝視したまま動かない。
沈黙が、痛々しく部屋に居座る。
「……茉莉奈ちゃん。君は、自分が今何を言ったか分かってるのか」
新見の声は、自分でも驚くほど乾いていた。
「それは正当防衛じゃない。……君がやったことは、堀を罠に嵌めて、少年たちにリンチをさせたってことだ。君が、彼らを汚したんだよ」
「ふうん……じゃあ、私が黙って汚されれば良かったの?」
茉莉奈の視線が新見を貫く。
「あの男が出所して、警察は何をしてくれたの? 四六時中監視してくれた? 新見さんも、ドーベルマンみたいに私にくっついて、ずっと守ってくれたって言うんですか?」
その言葉に、新見は喉が張りつき、答えられなかった。
「この先あいつの影に怯えて過ごせっていうの? そんなの嫌。だったら自分でやるしかないじゃない。私は、普通に笑って暮らせるように頑張っただけ。あいつがまた塀の中に戻れるように、知恵を絞って何が悪いの? ……ねえ、褒めてよ。新見さん」
茉莉奈は確かに笑っていた。
しかしその鋭く尖った叫びは、新見の心を狂おしいまでに激しく引き裂いた。
ふいに、哲郎が立ち上がった。
「新見君、頼む! 見逃してくれないか」
机に手を付き、勢いよく下げられた頭。
「娘のやったことは、重々承知してる。傷害罪の共同正犯。しかも自招侵害……自分から被害を招き寄せたことからも、正当防衛の主張はもはや通らない。4年前の加害による情状酌量も認められず、少年院送致は免れないだろう。……だが、だがな」
哲郎の顔が崩れる。汐莉が代わって続けた。
「茉莉奈は、間違ったことをしたのかも知れない。それでも、法律がどうであれ、どこまでいっても茉莉奈は被害者だわ。いずれ起きることを未然に防いだだけよ。それが、少年院だなんて……そんなの、堪えられません。お願い新見さん。娘を、茉莉奈を助けてください」
両親の涙ながらの懇願に、さすがの茉莉奈も表情を消した。
「二人とも、顔を上げてください。お忘れですか? 先ほど俺が読み上げた作文……もとい、供述調書を」
はっと二人が顔を上げる。
「俺は、はなから茉莉奈ちゃんを逮捕させる気なんてありませんよ。俺だって、こんなのは理不尽だと思ってますからね。正当防衛? 結構じゃないですか。彼女の筋書き通りに事を治めてやりますよ。……だがな、許せねえことだってある」
新見は椅子を鳴らし立ち上がる。
古田が小さく腕を引くが、乱暴に振り払った。
「あんたら、この子に甘すぎるんじゃねえのか。可愛いからって何しても許されるなんて大間違いだってこと、誰かが教えてやんなきゃなんねえ」
哲郎と汐莉が、豹変した目の前の刑事に身を竦める。
「隠蔽するからには家裁にも少年院にも任せられないんだぞ。あんたらが出来ないっていうんなら……俺がやってやる」
そう言って、新見は茉莉奈を見下ろす。
顔を固まらせた茉莉奈が、小さく肩を揺らした。
「なあ、茉莉奈ちゃん。ちょっと勘違いしてんじゃねえのか?」
机に手をつき、対面の茉莉奈に身を乗り出す。
「なに、」
両親に挟まれて逃げ場のない茉利奈は、ソファに背を張りつける。
「性犯の被害者、日本に何人いると思ってる。認知件数だけで毎年数千件、未報告のものも含めれば数十倍はくだらない。未然に防げなかった警察の怠慢だって言うなら、勝手に言っとけ。否定はしねえよ。でもな」
護れなかった者たちを、こうして挙げ連ねるのは新見としても痛い。
だけど、言わねばならない。
「みんな、それでも踏みとどまってる。恐怖と戦ってんだよ。茉莉奈ちゃんと違って、《《合法的》》にな」
事件化できず泣き寝入りした子。
加害者が不起訴になり絶望した女性。
新見は幾度も見てきた。
茉莉奈だけが、特別な訳ではない。
それでも再び新見の前に被害者として現れた彼女に、手を差し出さずにはいられなかった。
その結果が、これだ。
被害者という免罪符を掲げて、法も秩序も踏み越える茉莉奈を許せはしない。
けれど、法に裁かせることも許せなかった。
矛盾する思いに引き裂かれそうになりながら、新見も法の番人という立場をかなぐり捨てて、捨て身で彼女と向き合うことを選んだ。
「今回の件、俺が握り潰す。お望み通りに守ってやるよ。せいぜい恩に感じとけ。
だがな、その代わりにこんなことはもう二度とやるな」
顔色を変えて唇を震わせる茉莉奈に、気勢をそがれ小さく息を吐く。
「……茉莉奈ちゃん、君は強いよ。でも強さを履き違えちゃ駄目だ。ちゃんと真っ当な手段で戦ってくれ。いつでも、相談に乗るからさ」
茉莉奈が唇を嚙んで俯く。
こんな風に座る彼女を見下ろして、慰めてやるのはいつぶりだったか。
あの時と違い、綺麗に切りそろえられた前髪はその表情を隠さない。
ふいに、茉莉奈が顔を上げた。そして放った一言は——
「嫌」
「ああ?」
瞬時に鬼の形相になる新見に、今度こそ茉莉奈は、肩をびくりと跳ねさせる。
「こ、こ、こんな可愛い女の子にすごんで、恥ずかしくないの。新見さんヤクザみたい」
「茉莉奈、」
立ち上がる茉莉奈を汐莉が引き止める。
しかし茉莉奈は果敢にも反撃に打って出た。
「見てよ! このほとばしる可愛さを。新見さんだってデレデレしてたじゃない。
このロリコン!」
「ま、茉莉奈??」
哲郎が娘の異変を察知して目を剥く。
これには新見も思わずたじろいだ。
「私をそこらの女の子と一緒にしないでよね。おじさんどころか、赤ちゃんからおじいさんまで、蛾みたいに近寄ってくるんだから。正攻法で相手してたら、まともに日常生活なんて送れないの。分かる?」
「だ、誰がロリコンだ!」
一拍遅れての反攻。
まだ初手のダメージに脳を揺らす新見には、茉莉奈の猛追を対処しきれない。
「先輩ファイト」と古田が謎の声援を送る。
「新見さんにあんな厳しいこと言われるなんてショック。だって昔、私に言ってくれたじゃない」
しゅん、と萎れる茉莉奈に視線が集まる。
「『大きくなったら結婚しようね』って」
すべての首が一斉に新見に向く。
新見は首がねじ切れるほど横に振った。
言ってない。言ってない、よな?
「あ、違う。これは別の人だった」
なんだって?
今度は茉莉奈に皆の首がもどる。
もう、彼女の独壇場だった。
「でもでも、だって、新見さんが言ったんだもん。新見さんのあの時の言葉で、私は変わろうって思ったの。覚えてませんか? 3年前、ここのフロントのベンチで——ほら、桃ジュース買ってくれた時の事」
3年前?
堀の事件から1年後、別の事件で再び茉莉奈が警察署を訪れた時のことか。
新見の意識が3年前に沈んでいく。
あの時の彼女は、まだその傷を隠しきれていなかった。
衆目から顔を隠すように伸ばされた前髪。
地味な色のパーカーとジーンズは本来の彼女の趣味とは思えなかった。
ベンチに座り、人の往来に体を震わせて俯く小さな背中。
新見は自販機で購入した桃ジュースを、茉莉奈の前にぶら下げた。
あの雨の日、彼女が抱えていたトレーナーがピンクだったから、それにしたのだ。
「疲れただろ。ありがとな」
管内で発生した中学生男児の行方不明事件。
行方不明当日、男児と最後に接触していた茉莉奈には事情を聞く必要があった。聴取を終え、付き添いで来ていた汐莉は手続きで席を外していた。
「……見つかるの?」
ジュースを受け取る茉莉奈が、前髪の間から黒い瞳を覗かせる。
暗く、怯えた目だった。
「見つけるさ。そのために俺らがいる」
表情が一瞬だけ歪んだ。「そう……」と、再び床に向く。
「見つかると、いいね」
願うでもなく、ただ言っただけのように聞こえた。きっと疲労があるのだろう。
「怖いよな。俺ら、頑張るから。茉莉奈ちゃんが笑って過ごせるように、悪い奴は捕まえまくってやる」
「……私、笑った方がいいの?」
「別に無理して笑うことはねえよ。俺だって、笑顔作んのは苦手だ」
茉莉奈の前に膝をつき、両手で頬を引き上げて無理やり笑顔を作ってみせる。
渾身の変顔だったが、やはり彼女は笑わなかった。
大きな黒目に自分の変顔が映り、新見は苦笑して手を降ろした。
「でもさ……君が笑ったら、きっと——世界一可愛いだろうな」
黒い瞳が、一瞬だけ光った気がした。
「——それで、『大きくなって笑えるようになったら、俺に見せにきてくれ』って。そう言ったじゃないですか!」
眉の上で切り揃えられた前髪が揺れる。
桜色の唇を尖らせて新見を糾弾する姿は、あの日の弱さを包み隠している。
古田がなんとも言えない表情で言う。
「先輩……あんた、小学生にそんな口説き文句を言ったんですか」
「言いまし、た」
言った。確かに言った。
額に汗が滲む。
哲郎が娘を背で隠し、汐莉は顔を赤らめる。
「確かに、あの日から茉莉奈は少しずつ明るさを取り戻していったわ。そう、新見さんがねえ……」
「し、しかしだな新見君。そんなたぶらかすような発言、親として看過するわけには」
おかしい。
追い詰めていた筈が、いつのまにか窮地に陥っている。
茉莉奈が勝ち誇ったように声を上げた。
「お父さん、お母さん。そうなの。私、あの言葉があったから笑って過ごせるように努力したんだよ。ぶっちゃけ、新見さんが私の体を作り替えたって言えるかも」
「妙な言い方をするな!」
「責任取ってね、新見さん」
茉莉奈が手を合わせ、にこやかに場を掌握する。
もう、この可愛さには勝てないのか。
新見が白旗を振りかけた、その時だった。
「はいはいはい。みなさーん、落ち着いてください。脱線もいいとこですよ。そろそろ本筋に戻しましょうよ」
古田が数回手を叩く。
新見の目に涙が滲んだ。古田、お前ってやつは。
「先輩は責任とって、この事件を鎮静化する。五百旗頭正義くんの存在は隠して、正当防衛で通す。……それが既定路線で問題ないなら、とっとと調書にサインを貰いましょう。夫妻も茉莉奈さんも、それで異論はありませんね?」
見事な場回しに、新見は古田を抱きしめたくなった。
「そうして下さるって言うなら、私達には願ってもないことです」
「でも新見君……それに古田君も。本当にそれでいいのか? もしおおやけになれば、懲戒処分はもとい、刑事責任にも問われるんだぞ」
新見は気を取り直して答える。
「おおやけにはさせません。慎重にやりますよ。必要なら強引にでも」
「しかし、どうやって——」
「イオ君のパパを使えばいいと思いますよ」
席に座り直した茉莉奈が、またも爆弾を落とす。皆、言葉を失った。
「新見さん、さっきここの署長は隠蔽はしない人だって言ってましたけど。それ、間違ってます」
茉莉奈が爪の縁を指先でいじる。
「あの家ちょっと複雑なんですよ。イオ君のパパは、イオ君を守らざるを得ないんだって、そう言ってましたよ。私もよく分からないですけど……詳しくは明日イオ君に聞いてください。話すんでしょ?」
新見の反応が遅れる。
「そうそう、これも言っとかないと」と茉莉奈が笑った。
「堀は、絶対に喋りません。これもイオ君の言葉ですけど、あの子私に嘘つかないから。イオ君がそういうなら、きっとそうなんだと思います」
背筋がひやりと凍り付く。
五百旗頭正義。彼は一体何者なんだ?




