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暁の王朝  作者: 水前寺鯉太郎
2つの炎

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9/22

北の義賊旗、嵐の予兆

 1373年。北の風は、もはや単なる噂を運ぶものではなかった。

 それは、平壌の街角から山間の炭焼き小屋までを震わせる「変革の地鳴り」へと変わっていた。

「……三百か」

 洪道允ドユンは、義賊旗の端を無意識に指でなぞった。

 黒地に白く抜かれた「一筋の針」。民の痛みを取り、腐った肉を縫い合わせるという誓いの象徴だ。今、その旗の下には、握り飯を分け合う農民から、誇りを捨てきれぬ浪人まで、三百の命がひしめいている。

「道允、手が震えているぞ」

 ハジュンが、冷え切った酒を差し出しながら言った。

「……寒さのせいだ。と言いたいが、そうじゃねえな。こいつら全員を死なせるかもしれないと思うと、腹の底が冷えるんだよ」

 道允は自嘲気味に笑い、酒を一気に煽った。

 同時刻、平壌の王宮。

 金箔の剥げかけた謁見の間で、呂卓は虚空を見つめていた。

 かつて「英明」と謳われた面影は、過度な色欲と薬酒によって土気色に濁っている。その背後で、張妲姫ダルヒが長い指で王の肩を揉みほぐしていた。

「陛下、北の『針』が、ついに陛下の玉座に届こうとしております。……おいたいでしょう?」

 妲姫の甘い声が、呂卓の耳に毒のように注がれる。

「五百の精鋭を送る。指揮は、無慈悲で知られる崔将軍に任せよう。……虫ケラどもを、一人残らず踏み潰せ」

 呂卓が獣のような声を上げると、妲姫は満足げに微笑んだ。彼女の瞳に映っているのは、王への忠誠ではない。この戦乱を薪として、自らが頂点へと昇りつめるための「火」だ。

「姉さんからの急報です。討伐軍の先鋒はチェ将軍。……捕虜を一人も作らない、虐殺の徒です」

 恩淑ウンソクが地図を叩いた。

「まともにぶつかれば、一刻も持たずに壊滅します。……道允、それでも戦うの?」

 道允は立ち上がり、酒場の外に集まった三百人の顔を見渡した。

 そこには、自分を信じて家を捨て、家族を背負ってきた者たちがいる。

「恩淑。俺は針売りだ。……折れることはあっても、曲がることはできねえんだよ」

 道允は、高く掲げられた義賊旗を見上げた。

 南の空には、もう一人の英雄、李昭俊ソジュンが同じく討伐軍を迎え撃とうとしているだろう。

「ハジュン。地の利を活かす策を考えろ。……五百の首を獲って、王宮の門に並べてやる」

 北の夜空を、一筋の流星が切り裂いた。

 それは不吉な予兆か、あるいは新しい時代の誕生か。

 北の針と南の油。二つの火花が、高句麗という名の古びた大殿を焼き尽くすための「開戦の前夜」が、静かに更けていった。

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