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暁の王朝  作者: 水前寺鯉太郎
ソジュン編

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7/22

重傷の将軍

1370年。晋州、闇に沈む農家の外れ。

 静寂を切り裂いたのは、乾いた怒号と、幾条もの松明の炎だった。

「――裏切りか」

 李昭俊ソジュンは、地図を懐へねじ込みながら低く毒づいた。

「サイゾウ、東へ走れ。トシゾウ、奴の背を守れ! 晋州の『風の道』で合流だ!」

「昭俊、お前は――」

「行け! 俺がこいつらの目を潰す!」

 三人が散った瞬間、官兵の刃がソジュンの脇腹をかすめた。焼けるような熱さが走り、視界が白む。ソジュンは血を吐くような呼吸をしながら、闇夜の森へと消えた。追っ手の足音を、己の流す血の匂いで引きつけながら。

 町医者、沈承浩シム・スンホが深夜の門を叩く音を聞いた時、それは死神のノックに思えた。

 扉を開ければ、そこには漆黒の闇を背負い、自身の内臓を押し留めるように脇腹を固く押さえた男が立っていた。

「……治療代は、後の世で払う。今は、中へ」

 男の瞳には、死線を超えた者だけが持つ、凍てつくような光が宿っていた。承浩は言葉を失ったが、指先はすでに医者としての動きを始めていた。

 診療室は、地獄の様相を呈した。

 傷口を焼酎で清めるたび、肉が爆ぜるような音がする。だが、ソジュンは叫ばない。ただ、奥歯が砕けるほどの音を立て、承浩の手首を骨が軋むほど強く掴んでいた。

「……殺させはしません。あなたの命は、まだあなたの物ではないようだ」

 承浩の針が、裂けた肉を縫い合わせていく。それは破れた国を繕うような、静謐で過酷な作業だった。

 三日後。ソジュンが泥のような眠りから覚めた時、枕元には二人の「異形」が立っていた。

 トシゾウが不敵に太刀の柄を鳴らし、サイゾウが影のように壁際に佇んでいる。それを見た承浩の顔は、驚愕で強張っていた。

「……驚かせたな、先生。俺の、数少ない信じられる仲間だ」

 ソジュンは青白い顔のまま、上体を起こした。

「沈承浩。お前はなぜ、通報しなかった。俺を突き出せば、一生遊んで暮らせる褒賞金が出たはずだ」

 承浩は薬草をすり潰す手を止めず、静かに答えた。

「病に貴賤がないように、傷にも官民はありません。私は、この手が届く範囲の命を救いたいだけです」

「ならば、その手の届く範囲を、この国全土に広げる気はないか」

 ソジュンの言葉に、承浩の肩が微かに揺れた。

「俺は、南の地を覆う『腐敗』という病を根治しにいく。だが、俺たちの戦いには必ず血が流れる。その血を拭い、泥の中から民を立たせる知恵が、お前にはある」

 承浩は窓の外を見つめた。

 そこには、病に倒れても薬一つ買えず、絶望の中に沈む晋州の民の姿がある。

「……私の針では、体の傷しか治せません」

「それでいい。心の傷は、俺が叩き潰す。沈承浩、俺と共に、死ななくていい者が死ぬこの世を終わらせよう」

 承浩は、すり鉢を置いた。

 目の前の男は、狂人かもしれない。だが、その瞳に映る「新しい国」の景色は、承浩が夢想だにしなかったほど、眩しく、そして切実だった。

「……承知いたしました。私の医学、あなたの野望のために」

 ソジュン、トシゾウ、サイゾウ。そこに「医」の承浩が加わった。

 冷徹な革命の歯車に、初めて「慈愛」という油が注がれた瞬間だった。

 夜明けの光が、血に汚れた床を、浄化するように照らし出していった。

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