漂着した二人
1368年。高句麗南部沿岸。
南風に乗って届いたのは、潮の匂いだけではなかった。
鉄の錆びた匂い、そして――死の匂いだ。
李昭俊は、波打ち際に横たわる漆黒の残骸を見つめていた。高句麗の造船技術とは明らかに異なる、深く反り返った船首の断片。
「……異国の船か」
天秤棒を下ろし、ソジュンは砂浜を蹴った。
打ち上げられていたのは二人。一人は岩のように頑強な肉体を持つ初老の男。もう一人は、死人のように蒼白い顔をした、剃刀のように鋭い気配の青年だった。
二人の腰には、見慣れぬ反りの深い「太刀」が差されている。
ソジュンは迷わず青年の懐を探り、そこに忍ばされていた濡れた海図を見つけた。文字は読めぬが、その筆致と正確な海岸線の描写に、ソジュンの背筋が凍った。
(……こいつら、ただの船乗りじゃない。海を制する者の目を持っている)
漁村の廃屋。潮騒の音が、煤けた天井を揺らしている。
ソジュンが調達した温かい湯を飲ませ、三日が過ぎた頃、まず年配の男が意識を取り戻した。
男が目を開けた瞬間、室内の空気が「戦場」に変わった。
男の手が、無意識に傍らの太刀を求めて動く。だが、刀がないと知るや否や、男は指先をわずかに動かし、ソジュンの頸動脈を突ける距離まで間を詰めていた。その挙動には、一分の無駄もない。
「……待て。俺は敵じゃない」
ソジュンが両手を挙げて示すと、男は数秒間、ソジュンの瞳の奥を覗き込んだ。嘘をつけばその場で喉を潰す――そんな冷徹な精査の後、男はふっと力を抜いた。
「……トシゾウ」
男は己の胸を指し、ひどく濁った声でそう名乗った。
続いて、横で眠る青年を指さす。
「サイゾウ」
ソジュンは、その二人の名に込められた異国の響きを噛み締めた。
彼らが何者で、なぜこの国に流れ着いたのかはわからない。しかし、この二人が持つ「暴力の洗練度」と「状況把握の速さ」は、高句麗の腐った役人どもが逆立ちしても持たぬものだった。
十日後。
青年、サイゾウも立ち上がれるまでに回復した。
彼は驚くべき適応力を見せた。村の子供たちの会話から単語を拾い集め、わずか数日で高句麗語の基礎を理解し始めていた。
「……ソジュン。ここは、歪んでいる」
サイゾウは、砂の上に描かれた地図を指して言った。
ソジュンは驚いた。教えたはずのない「歪んでいる」という言葉を、彼が選んだことに。
「民、泣いている。役人、太っている。日本と同じ。どこも、同じだ」
サイゾウの指が、地図の南部にある港町――金海のあたりを正確に突いた。
「ここ。物流、集まる。ここを叩けば、国の半分、止まる」
ソジュンの心臓が大きく跳ねた。
自分が数年かけて導き出した「高句麗崩壊の急所」を、この異邦人はわずか数日の観察で見抜いたのだ。
「……面白いな、お前たち」
ソジュンは腰の油壺から一滴、指に取り、地図の金海の上に落とした。
「俺はこの国を縫い直すつもりだ。腐った糸をすべて引き抜き、新しい布で国を作る。……力を貸せ。お前たちが海に戻る船も、俺が用意してやる」
トシゾウが不敵に笑い、腰に帰ってきた太刀の柄を鳴らした。
「船はいい。……この国を斬る方が、退屈しなさそうだ」
サイゾウはソジュンの瞳をじっと見つめ、静かに、しかし確かな力強さで頷いた。
「李昭俊。あなたの油、俺たちが火に変えてやる」
言葉の壁を越え、野望という名の毒気が三人を結びつけた。
高句麗の南風が、ついに火種を孕み始める。
油売りと二人のサムライ。歴史の教科書には決して載ることのない、最も危険な同盟が、ここに成立した。




