遠征論の対立、裂けゆく正義
1394年、秋。
平壌城を染める紅葉は、まるで国境で流された民の血のように赤かった。
「――遠征を。今すぐ玄刃国へ、討伐軍を出すべきです」
謁見の間に、道允の硬い声が響いた。
彼の懐には、国境の村から命からがら逃げてきた少年が握らせた、血塗られた「折れた針」があった。
「……待てと言っている間に、また一つ村が消えた。ソジュン、これ以上何を待てと言うんだ!」
玉座に座るソジュンは、一言も発さず道允を見つめていた。その瞳は湖のように静かだが、水底にはドロドロとした苦渋が沈殿している。
「道允。兵を動かすには、米がいる。馬がいる。そして……死ぬための金がいる」
軍師ハジュンの隣で、サイゾウが静かに地図を指し示した。
「玄刃国の山岳地帯。ここに踏み込めば、千の兵を失う。……今の我が国には、その千人を補充する余裕はない」
トシゾウも通訳を介し、冷徹に告げた。
「無理ナ戦ハ、国ヲ滅ボス。ソレハ、戦術以前ノ理屈ダ」
評議の後、二人きりの部屋。
西日に照らされたソジュンの横顔は、彫刻のように硬く、生気を欠いていた。
「兵役を課す。二十から三十の男たちを、三年間だ。それ以外の道はない」
「……正気か、ソジュン。農村から働き手を奪えば、冬を越せない家が出る。かつて俺たちが救おうとした民を、お前は今、自分の手で殺そうとしているんだぞ!」
道允の咆哮に、ソジュンはゆっくりと振り返った。その目は、赤く充血していた。
「高句麗と、何が違うと言うんだ!」
その言葉が投げつけられた瞬間、ソジュンの呼吸が止まった。
彼はデスクの端を、指が白くなるほど強く握りしめた。
「……違う。目的が違う。俺は、この国という『器』を守ろうとしている。器が壊れれば、中の民は一人残らず死ぬんだ」
「器を守るために、中の民を間引くのか? ……そんなのは、ただの言い換えだ。民にしてみれば、奪われるのが穀物か、息子かという違いに過ぎない」
二人の間に、修復不可能な「断層」が口を開けた。
道允は、かつて共に笑い、泥を啜った「油売り」の姿を探した。だが、そこにいたのは、国家という巨大な車輪を回すために、自らの心さえ歯車に変えた一人の孤独な王だった。
「……信じてくれ、道允。五年だ。五年あれば、この苦境を抜ける」
「……五年か。市場のあの爺さんは、その五年を待てずに消えたよ」
道允は、静かに頭を下げた。
それは臣下としての礼ではなかった。かつての友への、最後通告だった。
「今回は引こう。だが忘れるな。俺の目は、王宮ではなく常に泥の中にある。民の背中がこれ以上曲がったら……その時は俺が、お前の作るこの『器』を叩き壊す」
道允が去った後、ソジュンは一人、闇に沈みゆく平壌の町を見つめていた。
王宮の夜は、あの日呂卓が感じたのと同じ、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
ソジュンは、震える手で自らの顔を覆った。
「……道允。お前が正しい。だが、俺は間違えるわけにはいかないんだ」
二つの正義が、秋の夜風の中で、悲しく、鋭く、すれ違っていった。




