高句麗葬送、新緑の黎明
1380年。平壌城を囲む夜は、千五百の軍勢が吐き出す熱気で、春だというのに真夏のように澱んでいた。
「……言葉は要らんな」
ハジュンが地図の上に、南から伸びるサイゾウの指と重なるように、北からの進軍路を引いた。
二人の天才軍師は、一度も視線を交わさなかった。だが、地図に刻まれた無数の傷跡と緻密な数字が、一つの完璧な「終焉」を描き出していた。
「今夜、高句麗という名の古びた棺桶に、最後の釘を打つ」
道允の声に、闇の中に控えた八百の兵が、そしてその背後に続く数千の民衆が、声なき呼号を上げた。
夜明け。平壌城の北門は、内側に潜入したウンシルと、外から門を突き破ったチョルスの「剛力」によって、爆辞を上げるように崩壊した。
「行けッ! 民の恨みを、その足で踏み越えていけ!」
道允が先頭を走り、ソジュンの南軍が城壁を乗り越える。
官軍は混乱の極みにあった。彼らが戦っていたのは「兵」ではない。自分たちが踏みにじり続けてきた「日常」そのものが、牙を剥いて襲いかかってきたのだ。
王宮の奥深く。呂卓は、一人で死の旋風を巻き起こしていた。
近づく者をその怪力で引き裂き、床を血の海に変える。そこへ、チョルスが盾を捨てて飛び込んだ。
「……悲しい男だ。お前は、力以外に何も持てなかったのか」
二人の巨躯がぶつかり合い、王宮の柱が軋む。数人がかりで呂卓を抑え込んだ時、彼の目から初めて力が抜けた。
「……これで、ようやく眠れる」
それは、暴君の最期にしては、あまりに静かな独白だった。
三日後の処刑台。
呂卓は、春の澄んだ空を見上げた。その視線の先には、捕らえられ、冷たい視線を浴びる妲姫の姿があった。
二人は一言も交わさなかった。だが、妲姫が唇を噛んで見せた最後の微笑みが、彼らの十三年の共犯関係のすべてだった。
剣が振り下ろされた瞬間、平壌は沈黙に支配された。
歓喜の声はない。ただ、長すぎる夜を終えた安堵が、灰色の霧のように広場を覆った。
妲姫のその後を語る者はいない。
ただ、彼女がかつて愛用していた、王に握り潰されて歪んだままの「銀の杯」が、泥の中に落ちていたという。彼女もまた、この狂った時代が生んだ、孤独な毒花だった。
夕暮れ。王宮の正門。
道允とソジュンは、沈みゆく太陽に向かって並んでいた。
「……ソジュン。俺の『針』の仕事は、ここまでだ」
道允は、血と泥で汚れた自分の手を見つめた。
「腐った肉は切り落とした。だが、これから新しい命を吹き込むのは、俺の仕事じゃない」
「逃げるつもりか、道允」
ソジュンの問いに、道允は清々しく笑った。
「逃げねえよ。お前がもし、あの呂卓と同じ目をする日が来たら……その時は俺が、お前を止める。それが、この国に残る俺の最後の役目だ」
ソジュンは、道允の荒れた拳を、自らの手で固く握った。
「……ああ。お前がいてくれれば、俺は王になれる」
二人の前には、廃墟となった王宮。だがその向こうには、人々の生活が灯す、慎ましくも力強い明かりが、星屑のように広がっていた。
高句麗は死んだ。
そして今、誰も見たことのない「明日」が、静かに幕を開けようとしていた。




