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暁の王朝  作者: 水前寺鯉太郎
2つの炎

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12/22

智異山、静かなる伏流

 智異山チリサンの朝は、霧という名のとばりに包まれていた。

 朱に染まり始めた山肌を、官軍四百の隊列が蛇のように這う。鎧の擦れる音だけが、不気味に静寂を乱していた。

「……焦っているな。北の敗報が、奴らの足を早めさせている」

 李昭俊ソジュンは、崖の上から冷徹に獲物を見下ろした。

 サイゾウが泥に描いた地図によれば、ここから関所までの三箇所が「死の回廊」となる。

「サイゾウ、合図を」

 サイゾウが静かに右手を振り下ろした。

 直後、山が吠えた。

 轟音とともに巨石が転がり落ち、官軍の長い隊列を三箇所で無残に分断する。前後を断たれた兵たちは、自分がどこを向いて戦えばいいのかさえ見失った。

「――トシゾウ、仕掛けろ」

 ソジュンの命を受けるより早く、トシゾウが影となって崖を滑り降りた。

 官軍の先鋒が突き出した槍を、トシゾウは紙一重でかわし、見たこともない速さで抜き放たれた「太刀」が、官兵の籠手を断つ。

「ギッ……!」

 言葉の通じぬ異邦人の、無感情なほど正確な剣技。それが、官軍の士気を根底から叩き割った。

 ソジュンは、関所の正門へと疾走した。

 門番が突き出した槍の柄を鷲掴みにし、己の体重を乗せて引き抜く。

「道を開けろ。ここはもはや、お前たちが守るべき場所ではない!」

 ソジュンの鋭い眼光に、門番は蛇に睨まれた蛙のように竦み上がった。

 内側から開けられた門へ、義民たちが雪崩れ込む。

 戦いは、陽が中天に達する前に終わった。

 智異山の関所には、民から奪われた米俵と、光を失った官軍の旗が積み上げられた。

「……死者四人。重傷七人」

 承浩スンホが、血に汚れた手を拭いながらソジュンの傍らに立った。

「……そうか。四人の命で、南の喉元を手に入れたということか」

 ソジュンは関所の門扉に刻まれた深い傷跡を見つめた。

「先生。この四人の名は、忘れないように記録しておいてくれ。俺たちが作る新しい国には、彼らの居場所が必要だ」

 その言葉に、承浩は小さく頷いた。この男の背負う十字架が、また一つ重くなったことを知った。

 その夜。

 焚き火の爆ぜる音が、智異山の静寂に溶けていた。

 北から届いた商人の報せに、ソジュンは独り、炎を見つめた。

「北の大同江で、洪道允ドユンが官軍五百を破った……」

 その名を口にした瞬間、ソジュンの脳裏に、かつて市場の喧騒の中で笑っていた、あの粗野で熱い「針売り」の顔が浮かんだ。

(……道允。お前も、あの日の誓いを捨てていなかったか)

 ソジュンは、焚き火の傍らに置いてあった古い「針」を取り出した。かつて道允から手に入れたものだ。

「トシゾウ、サイゾウ。……俺たちの旅は、もうすぐ一つに繋がる」

 トシゾウは研石で刀を研ぐ手を止めず、サイゾウは静かに北の星空を指差した。

 承浩は、焚き火の向こう側で、北の空を見上げていた。

「……北にも、誰かを救おうとしている人がいるのでしょうか」

「ああ。俺たちよりもずっと、熱苦しい男がな」

 ソジュンは、初めて心から笑った。

 北の針と、南の油。

 二つの炎は、もはや互いを照らし合う距離まで近づいていた。

 高句麗の長い夜に、終わりを告げる夜明けの風が、智異山の森を吹き抜けていった。

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