大同江、背水の咆哮
大同江の川面は、朝日を浴びて鈍く光る鈍色の刃のようだった。
秋風が運ぶのは、湿った水の匂いと、迫りくる鋼の冷気だ。
「……ハジュン。本当にここでやるんだな」
洪道允は、背後で唸りを上げる濁流を振り返った。退路はない。一歩引けば、水の底が待っている。
「ああ。逃げ場がないからこそ、人は獣になれる」
ハジュンは、地図を泥に突き刺した。
「正規軍五百。崔将軍は、我々を川へ追い込み、なぶり殺しにするつもりだ。……だが、追い込まれるのは奴らの方だ」
正午。対岸に現れた官軍は、まさに鋼の森だった。
崔将軍が馬上から扇を翻すと、整然とした隊列が地響きを立てて前進を開始する。装備の劣る義賊たちに、絶望的な沈黙が広がった。
「降伏せよ、義賊ども! 洪道允の首一つで、残りの命は救ってやる!」
道允は、震える拳を強く握りしめた。恐怖ではない。内側から噴き上がる、熱い衝動だ。
「――断る! 俺たちの首は、民の恨みを晴らすまで誰にも渡さねえ!」
道允の咆哮が、川のせせらぎをかき消した。その瞬間、ハジュンが旗を振り下ろした。
「流せッ!」
上流で、ウンシルが止めていた太い綱を斬った。
直後、数百本の巨大な丸太が、大砲の弾丸のごとき勢いで川を下ってきた。川沿いに展開していた官軍の右翼に、その「木材の津波」が激突する。
轟音。水飛沫。鎧を砕く鈍い音。
「何事だ!?」「伏兵か!」
悲鳴が官軍を包んだ。完璧だった隊列に、ぽっかりと穴が開く。
「チョルス、行け!」
岩のような大男、チョルスが泥を蹴った。
飛んできた矢を腕で弾き飛ばし、官軍の中央へ殴り込む。人間というよりは、暴走する戦車だ。
「道を空けろォッ!」
彼の一振りが、正規兵の盾を紙細工のように引き裂いた。
「続くぞ! 野郎ども、命を燃やせ!」
道允が先頭で飛び出した。
視界が真っ赤に染まる。目の前の兵士の顔など見ない。ただ、民を苦しめてきた「権力の象徴」を、自慢の拳で打ち砕く。
泥を噛み、血を浴び、道允は咆哮し続けた。
戦いが終わったのは、西の空が血の色に染まる頃だった。
川面に浮かぶのは、役人の贅沢品ではなく、無数の折れた矢と、官軍の旗の残骸。
正規軍五百、壊滅。
だが、勝利の宴を上げる者はいなかった。
夕闇の中に、冷たくなった仲間たちが横たわっていた。
「……17人だ」
ハジュンが、静かに言った。
その中には、昨夜まで「故郷の母に新しい着物を買ってやりたい」と笑っていた若者もいた。道允は、その若者の泥に汚れた手を握り、力なく膝をついた。
「……ごめんな。俺が、不甲斐ないばかりに」
涙は出なかった。その代わりに、心の中に「建国」という、さらに重く冷酷な責任が沈殿していくのを感じた。
「立て、道允。……この17人の命を、無駄にする気か」
ハジュンの手が、道允の肩に置かれた。
道允は、血に濡れた顔を上げた。
「……ああ。まだ、一歩目を踏み出しただけだ」
翌日。
平壌周辺の村々から、さらに二百の男たちが現れた。
彼らは何も言わず、道允の掲げた「針の旗」の下に跪いた。
義賊の噂は、もはや伝説へと変わりつつあった。
北の野を駆ける風が、少しずつ、しかし確実に熱を帯びていく。




