第50章:極彩色の泥濘、あるいは折れない白銀
黒鉄の峡谷を、冒涜的な光が埋め尽くしていた。
数百の教国機と無数の兵士の死骸がドロドロに溶け合い、極彩色のマナの糸で縫い合わされた巨大な「肉塊の魔導兵器」。
それは、兵器というよりも、一条澪ミオという怪物が子供の粘土遊びのように創り出した、悪意の塊だった。
「シャァァァァァァァッ!!」
異形が、いくつもの機体のパーツが混ざり合った巨大な腕を振り下ろす。
大気が悲鳴を上げ、峡谷の岩肌が粉々に砕け散る。
だが、その圧倒的な質量が地面に叩きつけられるコンマ数秒前、ユーゴーの《シュネー・ヴァイス》はすでにその「重圧の死角」へと滑り込んでいた。
「デカいだけだ! そんな鈍重な腕で、俺の『重さ』は止められない!」
ユーゴーは機体の人工筋肉を極限まで駆動させ、白銀の大剣を下段から跳ね上げた。
『無塵』の境地。空気の抵抗すら味方につけた神速の一撃が、異形の巨大な腕を根本から両断する。
ズバァァァンッ! と、極彩色の体液のようなマナが噴き出し、切り離された腕が峡谷の底へ落ちていく。
しかし。
「……チッ、気持ち悪いな」
ユーゴーが顔をしかめる。
斬り落としたはずの腕が、地面に落ちる前に無数の『極彩色の糸』によって空中で縫い止められ、まるで泥が逆流するように、再び異形の肩へと接続されてしまったのだ。
『ふふっ。無駄よ、野蛮なエラーさん。私のオモチャは、何度壊されても「綺麗に」元通りになるの。あなたが疲れて動けなくなるまで、ずっと遊んであげる』
脳髄に直接響く、澪の無邪気で残酷な声。
「遊びだと? フザけるな!!」
ユーゴーは怒りのままに大剣を振るい、異形の胴体を十字に切り裂く。だが、何度斬っても、極彩色の糸が即座に傷を縫い合わせ、果ては斬撃の物理的エネルギーを吸収して、さらに巨大に膨れ上がっていく。
「シュバルツ! 力任せに斬るな! 奴の再生プロセスは、マナの局所的な『逆行演算』だ。物理的な損傷を与えれば与えるほど、糸がより強固に結合するぞ!」
後方から、カイゼルの冷徹な警告が飛ぶ。
彼の《イフリート・カスタム》は、峡谷中に展開した数千の観測デバイスから送られるデータを、その恐るべき頭脳でリアルタイムに処理していた。
「ならどうする、カイゼル! このまま削り負けるのを待てと言うのか!」
「私がそんな無能な計算式を弾き出すとでも? ……奴の再生には、必ず起点となる『結節点』が存在するはずだ。私の全演算リソースを使い、その核を特定する! 君は、それを突く準備だけをしておけ!」
「……フン。相変わらず上から目線の演算屋だ。だが――」
ユーゴーは不敵に笑い、シュネー・ヴァイスの構えを深く沈めた。
「その『答え』が出るまで、何秒だ?」
「三・二秒! ……いや、二・八秒で弾き出す!!」
帝国の双璧が、言葉ではなく、戦場という絶対的な死地の中で完璧に同期する。
「――全砲門、斉射開始! 奴の装甲を剥がし、再生の隙間を抉り出せ!」
カイゼルが吼える。
残存する帝国の魔導砲が、カイゼルの神業的な射撃管制によって、異形の「再生が最も遅れる部位」だけを正確に狙い撃ちにする。
爆炎と光の雨。
異形が苦悶の咆哮を上げ、極彩色の糸が修復のために一箇所へと集中していく。
「見えたぞ、シュバルツ! 敵機の胸部中央、深度八メートル! そこにある『黒い水晶体』が、すべての糸を束ねるメイン・ノードだ!!」
「上出来だ、カイゼル!!」
ユーゴーの薄紫の瞳が、猛禽のように細められる。
莫大なマナが、魔法として外に出ることを許されず、機体とユーゴーの生身の神経の中で限界まで圧縮され、物理的な「熱」となって爆発した。
白銀の機体が、雪煙を上げて地を蹴る。
それは、音を置き去りにした一本の槍。
『あら……? 鬱陶しいわね。カイのところへ行く前に、ちょっと痛い目を見せてあげる』
澪の思念と共に、異形がその巨体から無数の「極彩色の熱線」を放つ。
だが、ユーゴーは止まらない。避けることすらしない。
「――俺の帰る場所を焼き、俺の『親友』をオモチャ扱いした罪。その痛み、貴様の計算機ごとブチ壊してやる!!」
ユーゴーの放つ絶対的な物理の質量が、魔導の熱線を強引に押し散らす。
大剣『無塵』の切っ先に、機体重量と加速のすべて、そしてユーゴーの怒りのすべてが乗せられた。
ガガガァァァァァァァァンッ!!!!
白銀の大剣が、異形の分厚い胸部装甲に突き刺さる。
極彩色の糸が必死に防御を試みるが、マナで編まれた概念の盾など、極限まで研ぎ澄まされた「物理の重圧」の前には無力だった。
「おおおおおおおッ!!」
ユーゴーの咆哮と共に、大剣が異形の肉壁を真っ向から粉砕し、深度八メートルに潜む「黒い水晶体」へと到達する。
ピキッ、と。
水晶体にヒビが入った瞬間。
『……っ、あ、痛……っ!?』
通信の向こう側で、絶対的な強者であったはずの澪の、初めて「焦り」と「苦痛」が混じった声が響いた。
「消えろォッ!!」
パキィィィンッ!!!
黒い水晶体が、物理的に粉々に砕け散った。
結節点を失った極彩色の糸が、断末魔のように狂乱して暴れ回り、やがて光の粒子となって霧散していく。
巨大な異形は、もはやそれを繋ぎ止める術を失い、ただの腐肉と鉄屑の塊となって、黒鉄の峡谷へと崩れ落ちた。
ズズズン……ッ。
巨大な地響きが収まり、峡谷に静寂が戻る。
白銀の機体が、熱い排気を吐き出しながら、残骸の上に静かに立ち上がった。
『……やってくれたわね。野蛮なエラーの分際で』
霧散していくマナの残滓から、澪の憎悪に満ちた声が響く。
『でも、無駄よ。私のオモチャはまだいくらでもあるわ。……それに、あなたの大切な「故郷」は、もう手遅れかもしれないわよ?』
その言葉を最後に、澪の気配は峡谷から完全に消失した。
「……ハァ、ハァ……」
ユーゴーは、大剣を地面に突き立て、荒い息を吐いた。
帝都防衛の最重要拠点、黒鉄の峡谷は守り抜いた。だが、彼の心は一ミリも晴れていない。
「……シュバルツ」
背後から、カイゼルの紅蓮の機体が歩み寄ってくる。
カイゼルは、崩れ落ちた異形の残骸を一瞥し、そしてユーゴーの白銀の背中を見つめた。
「敵の指揮系統は完全に沈黙した。……ここから先は、帝国の残存戦力でどうとでもなる。……行け」
カイゼルの言葉に、ユーゴーは振り返った。
冷徹な演算者は、碧眼に微かな「人間らしさ」を宿して、親指で北東の方角――シュバルツ領を指差していた。
「皇帝陛下には、私から『特務騎士シュバルツは、敵の別働隊を追撃するため北東へ向かった』と報告しておく。……演算上、あの異形を倒せるのは君しかいない。君の故郷が落ちれば、いずれ帝国の背後を突かれる。これは『合理的』な判断だ」
不器用な、カイゼルなりの気遣い。
ユーゴーは、その言葉の裏にある重さを理解し、静かに頷いた。
「……恩に着る、カイゼル」
「勘違いするな。君に死なれては、私の演算を打ち破った『唯一の例外』が消えてしまうからな。……必ず生きて帰れ、白銀の英雄」
ユーゴーは力強く頷くと、通信機を開いた。
「ウル! 白銀騎士団、全機俺に続け! 目指すは北東、シュバルツ辺境伯領! これより、俺たちの故郷を奪還する!!」
「はっ! 御意のままに!!」
ユーゴーの咆哮に、血まみれになった白銀騎士団の精鋭たちが、割れんばかりの雄叫びで応える。
白銀の巨神は、カイゼルと帝都に背を向け、黒煙の上がる北東の空へと、弾丸のような速度で駆け出していった。
(待っていろ、父上、母上……エレナ!)
そして。
(一条、魁。もしお前が、本当にこの世界で生きているなら。……お前を狙うあの化け物は、俺が絶対に近づけさせない!)
前世の親友への想いと、今世の家族への愛。
二つの重い荷物を背負い、白銀の騎士は、全てが交差するシュバルツの地へと急行する。
そして運命の糸は紡がれていく。




