第49章:黒鉄の死闘、あるいは白銀と紅蓮の双璧
神聖アルカディア帝国、西方最終防衛線『黒鉄の峡谷』。
切り立った巨大な岩壁に挟まれたこの隘路あいろは、帝都へ至る唯一のルートであり、同時に敵をすり潰すための「死の罠」として何重にも要塞化されていた。
だが今、その鉄壁の陣を敷く帝国兵たちの顔には、一様に濃い死の影が張り付いていた。
「……来るぞ。教国の『狂軍』だ」
峡谷の底、地鳴りのような足音が響く。
舞い上がる土煙の向こうから現れたのは、白亜の魔導鎧数百騎と、数万に及ぶ教国軍の歩兵部隊。
彼らは一切の雄叫びも、軍歌も歌わない。ただ、焦点の合わない瞳から血の涙を流し、全員が「全く同じ歩幅」で、完璧なメトロノームのように行軍してくる。
その光景は、もはや人間の軍隊ではなく、巨大で悍おぞましい一つの「虫」のようだった。
「――怯むな! 砲列、目標を峡谷中央に固定! 演算リンク開始!」
防衛司令部から、カイゼル・フォン・プロシュタットの冷徹な声が響く。
彼の駆る紅蓮の専用機は、峡谷の中腹に陣取り、帝国の全砲台と自律演算リンクで同期していた。
「最適解を弾き出す。着弾予測、誤差〇・〇一ミリ。……第一射、放てッ!!」
ズガァァァァァァンッ!!!
峡谷の両壁に設置された数百の魔導砲が、一斉に火を噴いた。カイゼルの完璧な計算によって、逃げ場を完全に封じられた十字砲火。
それは、空間そのものを光の暴力で焼き尽くす「絶対の破壊」のはずだった。
だが。
「……なっ!? 敵の前衛が、自爆しただと!?」
カイゼルが驚愕に目を見開く。
魔導砲が着弾するコンマ数秒前。教国軍の最前列にいた数十騎の魔導鎧が、突如として自らのマナ炉心を暴走させ、空中で「自爆」したのだ。
その爆発によって生じた巨大なマナの乱気流と衝撃波が、帝国の十字砲火の軌道を強引に逸らし、威力を減衰させる。
そして、その爆炎と味方の死骸の「盾」の向こう側から、無傷の本隊が速度を一切落とさずに突っ込んできた。
「味方を、ただの『物理的な盾』として使ったというのか……! 自己保存のアルゴリズムが存在しない! こんな非論理的な戦術、計算機で読めるはずがないッ!」
カイゼルの完璧な演算が、一条澪ミオという怪物の「狂気」の前に空回りする。
教国軍は防衛線を突破し、要塞の壁面へと蟻のように群がり始めた。味方の死体を踏み台にし、一切の躊躇いなく帝国の魔導障壁の「結節点」へ自爆攻撃を仕掛けてくる。
「陣形が崩される! カイゼル閣下、このままでは――」
「――道を空けろ、演算屋」
通信回線を震わせたのは、極寒の吹雪よりも冷たく、そして重い声だった。
峡谷の最上段から、一筋の白銀の閃光が、狂信の海へと一直線に落下した。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
大地が爆ぜた。
落下地点にいた十数騎の教国機が、魔導の光すら発することなく、純粋な質量の衝突によってクレーターごと粉砕される。
土煙を切り裂いて立ち上がったのは、巨大な両手大剣『無塵』を構えた白銀の巨神――《シュネー・ヴァイス》。
ユーゴー・フォン・シュバルツだ。
「ユーゴー! 突出するな、敵の連携は異常だぞ!」
「連携? 違うな」
ユーゴーの薄紫の瞳は、敵の背後に伸びる、薄気味悪い「極彩色のマナの糸」をはっきりと捉えていた。
「こいつらは一つの生き物だ。ならば、その『意志』が伝わるより速く、物理で粉砕すればいいだけのこと!」
ユーゴーは機体の自律演算を完全にオフにした。
莫大なマナが、シュネー・ヴァイスの人工筋肉とユーゴーの生身の神経に直結され、機体そのものを「絶対的な暴力」へと変貌させる。
踏み込む。
その一歩は、帝国の最新鋭機ですらあり得ない、空気抵抗を完全に無視した神速の機動だった。
「――オオオオオオッ!!」
白銀の大剣が横薙ぎに一閃される。
教国機が完璧な連携で障壁を展開しようとするが、ユーゴーの剣は、その「計算された防御」が完了するコンマ数秒の隙間を、圧倒的な質量でブチ抜いた。
剣が触れた瞬間、教国機の装甲が悲鳴を上げてひしゃげ、極彩色の糸ごと上半身が吹き飛ばされる。
「バカな……! 物理的な質量だけで、あの狂気の連携を凌駕しているだと!?」
カイゼルが息を呑む。
ユーゴーの戦いは、もはや「戦闘」ではなかった。世界そのものの抵抗を透かし、自身の剣を自然現象へと昇華させた『無塵』の境地。
どんなに教国軍が「最適解」でユーゴーを囲もうと、その予測の範疇を、圧倒的な「重さ」と「速さ」で物理的に叩き割っていく。
極彩色の糸で縛られた人形たちは、予測不能の暴風を前に、次々と鉄屑へと変えられていった。
『……あら?』
その時、戦場の狂気を束ねる極彩色のネットワークの奥深くから、不快そうな少女の声が響いた。
『私の完璧なオモチャ箱を、乱暴に壊すバカがいるわね。……マナを魔術に使わず、ただの重りとして使っているの? なんて原始的で、野蛮なエラーかしら』
通信機越しではない。空間そのものから直接脳髄に響く、一条澪の思念。
ユーゴーは、その甘ったるい声を聞いた瞬間、背筋に強烈な嫌悪感と悪寒が走るのを感じた。
この声の主が、自分の帰る場所を、エレナのいる故郷を焼いている元凶。
「……姿を見せろ、化け物!! 俺の故郷を焼いた代償、その首で払わせてやる!」
ユーゴーの咆哮が戦場を震わせる。
だが、澪の返答は、あまりにも残酷で、彼を嘲笑うようなものだった。
『あなたの故郷? ……ああ、あの北の田舎町ね。残念だったわね、あそこはもう、私のオモチャたちが「更地」にしている頃よ。……それに、あなたじゃダメ』
極彩色の糸が、突如として異常な発光を始めた。
ユーゴーの周囲にいた教国軍の残骸、そして生き残っていた機体までもが、一斉にドロドロに溶け合い、巨大な一つの「肉塊のような魔導兵器」へと融合し始めたのだ。
『私の相手をするのは、あなたみたいな野蛮なエラーじゃない。……私のカイだけよ』
「カイ……だと?」
その名を聞いた瞬間。
ユーゴーの心臓が、早鐘のように打ち鳴らされた。
フリーポートの海で交刃した、あの義足の少年。あの極限の初速。
(やはり、あいつが……あいつが、一条魁なのか……!)
だが、その動揺を突くように、融合を果たした巨大な極彩色の異形が、ユーゴーに向かってその巨大な腕を振り下ろした。
「シュバルツ、避けろッ!!」
カイゼルの絶叫。
紅蓮の《イフリート・カスタム》が、最大出力の魔導火球を放って異形の腕を弾き飛ばそうとする。
「カイゼル! 手を出すな、こいつは俺が斬る!!」
ユーゴーは動揺を怒りの炎へと変換し、白銀の大剣を構え直した。
親友が生きている。そして、この狂った化け物が、その親友に執着している。
ならば、自分がここでこの化け物を叩き斬る理由が、もう一つ増えただけのこと。
「俺の剣は、お前の薄気味悪い糸ごと、すべてを物理で両断する重さだ!!」
黒鉄の峡谷。
故郷を背負い、かつての親友への想いを胸に秘めた白銀の英雄は、帝国の命運を賭け、極彩色の絶望へと真っ向から飛び込んでいった。




