第47章:白銀の盾と開拓村の少女、あるいは迫り来る狂気
シュバルツ領の北端、『黒鉄の防壁』は外側から破壊された。
だが、それはシュバルツ辺境伯領の「陥落」を意味するものではなかった。
「――第4小隊、右翼の防衛線へ回れ! 敵の動きを読むな、マナの波形など飾りだ! 相手の重心と足捌きだけを見て剣を振れ!!」
領地の防衛拠点。シュバルツ辺境伯の怒号が飛び交う中、満身創痍のシュバルツ騎士団は、驚異的な粘りを見せていた。
先の「鋼獣の大反乱(マザー戦)」で数を減らしていたものの、彼らの肉体には、ユーゴー・フォン・シュバルツが残した『理』が深く染み付いていた。
魔導演算に頼らず、極限まで磨き上げた生身の物理感覚で機体を操り、泥を這う。その「泥臭く、非合理で、不規則な動き」は、教国軍を背後で操る一条澪の『完全な最適化演算』にとって、予測不能なバグとして作用していたのだ。
肉を切らせて骨を断つシュバルツの騎士たち。
彼らの決死の抗戦により、教国軍の侵攻速度は、澪の計算よりも僅かに、だが確実に遅れを生じていた。
しかし、それがかえって教国側の「戦術の変更」を促す結果となった。
『……面倒ね。泥臭いだけの鉄屑どもが』
遥か遠く、玉座で糸を操る澪は、冷酷な最適解を弾き出した。
堅牢な防衛拠点を正面から抜くのではなく、手薄になった周辺の開拓村へ別働隊を差し向ける。領民を人質に取り、シュバルツの騎士たちを陣地からおびき出して『キルゾーン(待ち伏せ地帯)』で確実に殲滅する戦術だ。
「……辺境伯閣下! 敵の別働隊が、東の『第7開拓村』へ向けて進軍を開始しました!」
「なんだと……!? あそこはまだ避難が終わっていないはずだ!」
辺境伯が歯を食いしばる。今、防衛線から戦力を割けば、本陣が崩壊する。
だが、その焦燥を遮るように、通信機から凛とした少女の声が響いた。
『お父様、第7開拓村の避難誘導は、私が請け負います』
「エレナ!? お前、屋敷の地下シェルターにいるはずでは……!」
『お兄様が命を懸けて守った領民を、見捨てるわけにはいきません。私が必ず、皆さんを森の隠し通路へ導きます!』
◇
雪と泥が混じる第7開拓村の広場。
冷たい風が吹き荒れる中、シュバルツ辺境伯の末娘・エレナは、実用的な厚手の防寒着に身を包み、自ら泥まみれになって村の長老と向かい合っていた。
「ダメだ、エレナお嬢様! わしらはこの土地を離れるわけにはいかねえ!」
長老が、凍てついた土をギュッと掴んで叫ぶ。
「何年もかけて、血の滲むような思いで開拓した畑だ。家畜も、家も……ここを捨てて森へ逃げろだなんて、死ねと言われているのと同じだ!」
他の村人たちも、不安げに同調する。彼らにとって、この荒れ地こそが彼らのすべてだった。
「……分かります。皆さんのそのご苦労は、お父様からも、お兄様からも聞いています」
エレナは、冷たくなった長老の手を、自分の両手でしっかりと握りしめた。
領主の娘としての威厳ではなく、家族を想う一人の少女としての真っ直ぐな瞳。
「でも、お兄様は……ユーゴーお兄様は、土地を守るために戦ったのではありません。皆さんの『命』を守るために、あの白銀の機体で立ち塞がったのです。……土地は焼かれても、皆さんが生きてさえいれば、また耕すことができます。でも、命が失われれば、お兄様の戦いは……無駄になってしまう!」
エレナの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。
その真摯な言葉と、ユーゴーという「英雄」の記憶に触れ、村人たちの強張っていた顔が、少しずつ解れていく。
「……お嬢様……。分かり、ました。……みんな、荷物は最小限だ! 早く森の隠し通路へ向かうぞ!」
長老の号令で、ようやく村が避難に向けて慌ただしく動き始めた。
エレナは安堵の息を吐き、額の汗を拭う。
その時、村の世話役の女性が、困ったような顔で駆け寄ってきた。
「エレナ様! 数日前に雪原で倒れていたところを保護した『行き倒れの男』がいるのですが……高熱を出して寝込んでいて、歩けそうにありません!」
「私が肩を貸します! 担架を急いで……!」
エレナが村の集会所へ向かおうとした、その刹那だった。
ズズンッ……!
村を囲む丸太の防壁が、爆発音と共に紙細工のように吹き飛んだ。
舞い上がる雪煙と木片。
その向こうから、無機質な足音を響かせて現れたのは、白亜の装甲に身を包んだ教国の魔導鎧『アームド・メイジ』の部隊だった。
「きゃあああっ!?」
「敵だ! 教国軍だぞ!!」
パニックに陥る村人たち。
護衛についていた数名のシュバルツ兵が勇敢に剣を抜いて立ち向かうが、極彩色の糸に操られた白亜の機体は、感情の欠片もない正確な刺突で、瞬く間に彼らを蹂躙していく。
「……っ!」
エレナは咄嗟に、逃げ遅れて雪に足を取られた小さな子供を庇うように、その小さな身体を投げ出した。
白亜の魔導鎧が、巨大な影となってエレナたちを見下ろす。
その単眼センサーには、慈悲も、嗜虐心も、何の感情も宿っていない。ただ「排除すべき障害物」として認識し、無慈悲に巨大な魔導槍を振り上げた。
槍の切っ先に、死の青白いマナが収束していく。
(……お兄様……!)
エレナは子供を強く抱きしめ、目を閉じた。
槍が空気を切り裂き、処刑の刃が少女の華奢な背中へと振り下ろされようとしていた。




