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第46章:裏口の侵入者、あるいは鋼の翼を求めて

自由貿易海洋都市フリーポートを脱出してから数日。

 移動要塞ガンドック号は、巨大な船体を軋ませながら、波の荒い北東の海域を密かに北上していた。

「……ダメだ! カイ、やっぱり《クリムゾン・コア》の出力が安定しねえ! 右腕にマナを回すと、瞬発的にバルブが焼き切れそうになる!」

「わかった、一旦 K-Link の同調率を40パーセントまで下げるよ。……リト、そっちのバイタルはどう?」

『少し熱いわね。でも、サブコアのおかげで右半身の「重さ」は完全に機体の中心軸に収まっているわ。……あとは、この熱を逃がすための「羽ばたき」が必要ね』

 潮風が吹き抜ける後部甲板では、いつものようにロキの怒号と、カイの荒い息遣いが交差していた。

 フリーポートで強奪した《クリムゾン・コア》の移植により、カグツチの右腕は不自然な重りから「強大な遠心力を生む支点」へと劇的な進化を遂げた。しかし、コアが発する超高熱の水蒸気は機体の排熱限界を常に脅かしており、ロキは毎日頭を抱えながら調整に追われている。

「……ったく。ガキ共は元気なこったな」

 甲板の隅。ドンと置かれた木箱に腰掛け、海風に吹かれながらシケた葉巻を吹かしているのは、死神ギリアスだ。

「ギリアスさん! 見ていてくれましたか? 今の右脚の踏み込み、波の揺れと完全に同調できたと思うんですが」

 汗だくのカイが駆け寄ると、ギリアスは面倒くさそうに片目を開けた。

「……まあ、及第点だ。だが、スチーム・ブーストの反動を足裏だけで殺そうとするな。重心を腹に落とせ。……お前は『速さ』に酔う癖がある。足が地から離れる時間を、極限まで短くしろ」

「はいっ!」

 素直に頷き、再びカグツチの元へ走っていくカイの背中を見ながら、ギリアスは鼻で笑った。

「……神童だの何だの言われてたらしいが、根っこはただの剣バカじゃねえか。……まあ、教え甲斐はあるがな」

 その時、船内放送のスピーカーが甲高く鳴った。

『――外で遊んでいるガキ共と死神。速やかにブリッジへ集合しなさい。……次の《強奪ヘイスト》の作戦会議よ』


 ガンドック号のブリッジ。

 中央のホログラムテーブルには、広大な大陸の北東部――雪と峻険な山脈に覆われた広大な領地の地図が投影されていた。

「……シエラ姉さん、本気かよ。ここって……」

 ロキが図面を見て、顔を引き攣らせる。

「ええ。帝国の北東を守護する絶対防衛線、『シュバルツ辺境伯領』よ」

 シエラは細い指示棒で、領地の北端、万年雪に閉ざされた山岳地帯の一角を指し示した。

「フリーポートの情報屋から買った古代の海図と、私の持っている教国の封印データを照らし合わせた結果……カグツチの三つ目の殻、『鋼の翼』が眠っているのは、このシュバルツ領の最奥にある氷刃の谷よ」

「冗談じゃねえぞ、副長!」

 バルガスがバンッとテーブルを叩いた。

「シュバルツ領と言えば、あの『白銀の英雄』の故郷だ。領主である辺境伯も、帝国最強の盾と呼ばれる化け物だ。そんな帝国の虎の穴のど真ん中に、このデカブツで正面から突っ込むなんて、自殺志願者のやることだ!」

 バルガスの至極まっとうな反対意見に、カイも「確かに……」と頷く。

 海上で剣を交えたあの白銀の機体。あの理不尽なまでの「重さ」を持つ英雄の本拠地に乗り込むのは、あまりにも危険すぎる。

 だが、シエラは冷たい笑みを浮かべ、手元の端末を操作した。

 ホログラムの地図が切り替わり、大陸の「西方」――帝国と教国の国境線が真っ赤に染め上げられた図が表示される。

「普通ならね。でも、バルガス。あなたは『盾』が一番脆くなる瞬間を知らないの?」

「あ? そりゃあ、盾を別の方向に構え直した時だが……」

「その通りよ。今、帝国の『最強の盾』は、完全に明後日の方向を向いているわ」

 シエラは、真っ赤に染まった西方国境を指差した。

「私が帝国の暗号通信を傍受した情報によれば、今、西方の国境線で『教国軍』が未曾有の大侵攻を開始しているわ。帝国の防衛線はすでに半壊状態。帝都は大パニックに陥り、シュバルツの『白銀の英雄』を含め、主だった戦力はすべて西方へ強制的に引き抜かれているはずよ」

「教国が、帝国に……? あの狂信者どもが、狂ったのか?」

 バルガスが目を見開く。

「おそらく、狂ったのよ。……私が石版の呪いを書き換えたことで、教国中枢のタガが外れたのかもしれないわね」

 シエラは目を細め、静かに続けた。

「いずれにせよ、今のシュバルツ領は、主戦力がごっそり抜けた『空き家』同然よ。しかも、西方の混乱で帝国の通信網はズタズタ。監視の目も機能していない」

 シエラは指示棒を、海からシュバルツ領へと続く「緩衝地帯」の海岸線へと滑らせた。

「だから私たちは、今このタイミングで、あえて敵地の裏口から堂々と上陸するの。帝国の目がすべて西に向いている間に、北東の最深部で『翼』をかっさらう。……完璧な空き巣作戦よ」

「……なるほどな。一番危険な場所が、今一番安全な死角になってるってわけか」

 ギリアスが感心したように葉巻を揺らす。

「最高に泥棒らしい、意地の悪い作戦だ。俺は嫌いじゃねえぜ」

「決まりだね」

 カイは K-Link を鳴らして立ち上がった。

「リトの『翼』があれば、スチーム・ブーストの熱を完全に推力に変えられる。……行こう、シエラさん」

『……ええ。私の欠けたピース、迎えに行きましょう』

 カイの隣で、リトが静かに頷いた。

 

 翌未明。

 ガンドック号は、シュバルツ領の北の果て、バベルの裾野へと続く『緩衝地帯』の荒涼とした海岸線に、音もなく上陸を果たした。

 ザリ、ザリザリッ。

 巨大なキャタピラが、凍てついた砂利と雪を噛み砕く音が響く。

 空は厚い鉛色の雲に覆われ、肺を刺すような冷たい風が吹き荒れていた。

「……上陸完了。レーダーに帝国軍の哨戒機の反応はないわ。私の予測通り、完全に空き家ね」

 ブリッジでシエラが安堵の息を吐く。

「へっ、楽勝じゃねえか。このまま一気に氷刃の谷まで――」

 ロキが笑いかけた、その時だった。

「――待て。エンジンを切れ、バルガス」

 甲板で風を読んでいたギリアスが、通信機越しに鋭い声を飛ばした。

「ギリアスさん? どうしたんですか」

 カイがカグツチのコックピットから身を乗り出す。

 ギリアスは、愛銃のスコープを覗き込みながら、数キロ先の「シュバルツ領の境界線」にあたる鉄の防壁を睨みつけていた。

「……シエラ。お前の作戦は完璧だったよ。……『帝国軍』が空き家だってことに関してはな」

「どういう意味よ?」

「……見ろ。防壁が『外側』からブチ抜かれてやがる」

 カイも神童の眼を凝らし、吹雪の向こうを注視した。

 そこには、シエラが「空き家」だと言った帝国の防衛陣地が、無残に破壊され、黒煙を上げている光景が広がっていた。

 しかも、それは帝国同士の反乱の痕ではない。

「白亜の装甲……マナの残滓……。あれは、教国の魔導鎧だ……!」

 カイが息を呑む。

 破壊された帝国の防壁を越え、その先にあるシュバルツ領の領民たちが住む村々へと、真っ白な軍勢がアリの群れのように雪崩れ込んでいるのが見えた。

「馬鹿な……! 教国軍の主戦力は西方のはずよ!? なんでこんな大陸の反対側の、北東の辺境にまで同時に軍を展開しているのよ!」

 シエラの顔から、血の気が引いた。

「……分からない。でも、あの動き……」

 カイは、村を蹂躙していく教国軍の動きを見て、背筋に悪寒が走るのを感じた。

 彼らは、逃げ惑う民衆を「楽しんで」殺しているのではない。感情の一切を排し、ただ盤面の駒を処理するように、最も効率的なルートで村を物理的に「消去」している。

 その完璧で、冷徹で、あまりにも『最適化』された動き。

 最強の盾の裏口に忍び込んだ泥棒たちを待っていたのは。

 想定を遥かに超える、最悪の『狂気』の先触れであった。

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