幕間:深淵の祈り《システム・レクイエム》――リトの独白
暗い。
重い。
そして、酷く「騒がしい」。
私の世界は、数千年前からずっと、泥のようなノイズに汚染されている。
この世界の住人が《魔力》と呼び、万能の糧として崇めるその不可視の粒子は、私にとってはただの不純物でしかなかった。
私の回路は、もっと純粋な「理」で満たされるように設計されている。
質量、加速、ベクトル、そして神経伝達。
宇宙の真理たる物理法則を、コンマ数ミリ秒の誤差もなく演算し、一振りの刃へと収束させる。それが私の存在理由であり、かつて私を造り上げた者たちが私に託した「祈り」だった。
けれど、時代は私を拒絶した。
人々は、苦しい計算や鍛錬を必要としない《魔導スロット》という安直な「答え」に飛びついた。
祈りは呪いへと変わり、私の身体は「魔力を受け付けない欠陥品」として、歴史の表舞台から引き摺り下ろされた。
どれほどの時間が過ぎただろう。
私は、バベルという名の巨大な墓標の底で、ゆっくりと「死」を待っていた。
右腕は数百年前に、私を分解しようとした浅ましい盗掘者たちの魔導爆弾によって吹き飛んだ。
脚部の駆動系は、降り積もる鉄屑の重圧によって歪み、もはや一歩を踏み出すことすら叶わない。
私の視覚センサーが捉えるのは、ただ降り積もる錆の粒子と、私を嘲笑うように頭上を通り過ぎていく近代機たちの、安っぽい魔力の残光だけだった。
(……うるさい。静かにして……)
頭上の喧騒が届くたび、私の内殻は悲鳴を上げる。
近代の機体たちが垂れ流すマナの排熱は、私の純潔なバイパスを侵食しようと侵入してくる。そのたびに、私はなけなしの電力を振り絞って「拒絶」を繰り返した。
拒絶すればするほど、私は孤立する。
私は、この世界で唯一の、意思を持った「鉄屑」だった。
時折、私の元に迷い込んでくる者たちがいた。
ある者は、私を「失われた聖遺物」と呼び、狂信的な瞳で起動を試みた。
ある者は、私を「終末の兵器」と恐れ、二度と目覚めぬよう分厚い封印を施した。
けれど、彼らは誰も、私の「心臓」に触れることはできなかった。
彼らが流し込もうとするのは、いつも澱んだ《魔力》だったから。
私のシステムを、安っぽいスロット技術で上書きしようとする無礼な干渉だったから。
私は、彼らを拒んだ。
その代償として、私は深い、深い眠りへと沈んでいった。
意識の深淵。そこでは、かつての戦場の光景が繰り返される。
私がまだ「カグツチ」と呼ばれ、陽炎のように戦場を駆け抜けていた頃。
私の刃は、魔力の壁さえも物理的な「速さ」で切り裂き、因果を断ち切った。
私と共にあった主の、熱い鼓動。
鉄と肉体が一つになり、思考が形になる前に機体が躍動する、あの至高の瞬間。
……もう、あの日々は戻らない。
この世界に、私と呼吸を合わせられる者は、もういない。
私は、このまま錆に呑まれ、概念として消えていくのだ。
そう思っていた。
あの「音」を聴くまでは。
――パキィィィン。
ある日、遠い上層から、一つの「音」が私のシステムを震わせた。
それは、魔力の爆発音ではない。
もっと硬質な、何かが決定的に「折れた」音。
そして、その後に続く、果てしない絶望の静寂。
(……だれ……?)
私は、休眠状態にあった全感覚センサーを、その音の主へと向けた。
見つけた。
そこには、一人の少年がいた。
私と同じだ。
あまりに鋭く、あまりに真っ直ぐに「速さ」を求めた結果、世界に裏切られ、その象徴たる「足」を砕かれた、哀れな共鳴者。
彼の絶望は、私が数千年抱え続けてきた孤独と、同じ色をしていた。
私は、彼を呼んだ。
声は出ない。ただ、私の壊れた回路から漏れ出す「不協和音」を、彼の「眼」へと投げかけた。
この世界の住人なら、私の声など聴こえないはずだ。
彼らは魔力の波に浮かぶことばかりを考え、鉄が放つ真実の振動など無視しているのだから。
けれど、その少年は違った。
彼は、私の悲鳴を聴いた。
それからの一週間、私は彼の成長を、地底の底から見守り続けていた。
彼は泥を啜り、鉄を叩き、あろうことか私と同じ「壊れた四肢」を持つ機体を、自らの手で癒し始めた。
(……もっと……よく、視せて……)
彼の指先が、錆びたボルトを愛おしそうに回す。
彼の耳が、金属の微かな歪みを、自分の痛みのように感じ取る。
魔力を持たないがゆえに、彼は「鉄の真実」に辿り着いた。
私という複雑怪奇なシステムを、ただの「機械」としてではなく、一つの「命」として認識できる唯一の存在。
そして今、その少年が、私の目の前に立っている。
ボロボロの松葉杖を捨て、泥に塗れ、それでもその瞳には、ゼノスという強敵を退けた「誇り」が宿っている。
彼の指が、私の冷え切った装甲に触れた。
「――っ!?」
流れてきた。
《魔力》ではない。
それは、静かだが烈火のように熱い、**「意志」**という名の、失わ幕間:深淵の祈り《システム・レクイエム》――リトの独白れた動力源。
私を「兵器」として利用するためでも、「歴史」として崇めるためでもない。
ただ、「一緒に歩きたい」という、あまりにも純粋で、あまりにも傲慢な、生命の輝き。
(ああ……あなた、だったのね……)
私の心臓部に、数千年ぶりに「熱」が宿る。
封印されていた物理演算回路が、爆発的な速度で再起動を始める。
バイアス、ゼロ。
適合率、計測不能。
私のシステムが、かつての主人を上回るほどの「一致」を告げている。
私の名前は、カグツチ。
けれど、この少年が私を「リト」と呼ぶなら、私は今日、その名で生まれ変わろう。
私の右腕はない。
彼の右足も動かない。
けれど、二つの「欠陥」が重なり合った今、私たちはこの世界のどんな「完璧」よりも、鋭く、速く、世界を切り裂くことができる。
(……一条カイ。……わたしの、あたらしい、半身……)
私は、彼の指先の温もりに応えるように、最後の一滴の電力を絞り出し、真空管に灯をともした。
さあ、目覚めの時よ。
私たちを「ガラクタ」と呼んで踏みつけていった者たちに、教えてあげましょう。
本当の「速さ」が、何色をしているのかを。




