表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

88/110

第六幕:帝国動乱編 プロローグ

神聖アルカディア帝国暦七四二年、冬。

 後に「極彩色の厄災」として歴史の暗部に深く刻まれることになるその大動乱は、大陸を二分する西方国境線において、あまりにも静かに、そして唐突に幕を開けた。

 侵攻を開始したのは、聖エリュシオン教国。

 開戦前、両国の総戦力比は絶望的なまでに開いていた。帝国軍が総兵力二十万、保有する魔導鎧ギア一千騎という圧倒的な軍事力を誇るのに対し、教国軍の総兵力はおよそ五万、魔導鎧は三百騎に過ぎない。

 この絶対的な物量差と、帝国が誇る超大型魔導演算回路が弾き出す精緻な予測モデルを背景に、帝国中枢の元老院は「教国からの本格的な侵攻リスクは限りなくゼロに近い。国境の小競り合い程度で済む」と結論づけていた。

 だが、教国軍は動いた。

 西方国境の要衝たる『黒鉄の防壁』――幾重にも連なる巨大要塞群。ここを任された帝国軍の防衛部隊は、魔導鎧四百騎と数万の兵で鉄壁の陣を敷いていた。対して、吹雪の向こうから現れた教国の先陣は、魔導鎧わずか二百騎とその随伴歩兵のみである。

 防衛側が圧倒的に有利な要塞戦において、さらに二倍の戦力差。

 城壁の上から眼下の雪原を見下ろす帝国軍の将兵の誰もが、数時間後には狂信的な教国軍の死骸が平原を埋め尽くし、勝利の凱歌を上げるものと信じて疑わなかった。

「教皇め、ついに狂気を拗らせて自滅を選んだか。たった二百騎でこの要塞を落とせると思っているとはな」

「各機、魔導砲の充填を急げ。敵が有効射程に入り次第、一斉射で塵にしてやれ。演算チップの射撃管制に任せておけば、目を瞑っていても当たる」

 帝国軍の指揮官たちは、ワイングラスを片手に余裕の笑みを浮かべていた。

 しかし、迫り来る教国の軍勢には、宗教軍特有の熱狂的な祈りの声も、死を恐れぬ士気を鼓舞する軍歌の響きも一切なかった。

 あったのは、二百騎の巨大な魔導鎧と数万の軍靴が「一ミリの狂いもなく」同時に大地を踏みしめる、機械的で不気味な地鳴りのみである。

 教国の兵士たちの焦点の合わない瞳からは、一様に一筋の血の涙が流れ、その延髄には、夜の闇に淡く発光する『極彩色のマナの糸』が深く突き刺さっていた。

 彼らはもはや、神に祈る騎士ではない。

 たった一人の少女の脳と直結した、完璧な有機的端末ターミナルであった。

「――敵部隊、射程圏内に到達! 第一射、放てッ!」

 帝国軍の号令と共に、城壁から無数の魔導砲が火を噴いた。空を覆い尽くすほどの光の雨が、教国軍の陣形へと降り注ぐ。

 それは帝国の演算回路が「回避不可能」と弾き出した、完璧な飽和攻撃のはずだった。

 だが、戦闘は、開戦の第一撃から一方的な蹂躙であった。

 帝国の放った多重魔導弾幕が着弾するコンマ数秒前。教国軍の二百騎は、常識ではあり得ないノータイムの軌道で、一斉に散開した。

 爆発の熱波と光弾の「隙間」――魔導砲の着弾点が交差しないわずかな安全地帯へと、全機がミクロの精度で滑り込んだのだ。

「なっ……!? 全弾回避だと!? 馬鹿な、こちらの射撃管制は完璧だったはずだ!」

 驚愕する帝国兵たちを尻目に、教国軍の反撃が始まった。

 彼らは個々の武勇や感情で戦っていない。二百騎が、まるで単一の巨大な「脳」に統率された一つの生命体のように、完璧な連携を見せる。

 一騎が囮となって帝国の迎撃を誘い、生じた防御障壁の「展開の遅れ」という〇・一秒の隙間を縫って、別の三騎が同時に魔導剣を突き立てる。

 ズガァァァァァァンッ!!

「左翼第3ゲート、突破されました! 敵機、信じられない速度で城壁を登ってきます!」

「迎撃部隊、前へ! 障壁を最大出力で展開しろ!」

 帝国軍の『アイアン・グレイ』が前に出て、緑色の魔導障壁を展開する。

 しかし、教国軍の白亜の機体は、その障壁を力任せに叩くような真似はしなかった。彼らは障壁の頂点や、マナの結合が最も弱くなる「結節点」だけを正確に狙い撃ち、最小限の魔力で帝国の盾を粉砕していく。

 一騎の教国機が、帝国機の懐に潜り込む。帝国機が反撃の剣を振り下ろすより早く、教国機は手にした短槍を、複合装甲の「僅かな隙間」である首元の駆動パイプへと正確に突き刺した。

 断末魔を上げる間もなく、沈黙する帝国機。

 その直後、背後から別の帝国機が教国機を撃ち抜こうとするが、教国機は被弾を避けるどころか、あえて左腕を犠牲にしてその射線を遮り、死角から飛び出した味方機が帝国機のコックピットを串刺しにする。

 痛みへの恐怖も、仲間が傷つくことへの動揺もない。

 ただ、戦場という盤面において最も効率的な「最適解」のみを選択し続ける、冷徹な機械の軍団。

「だ、ダメです! 演算予測が全く追いつきません! 敵の動きは、こちらの戦術アルゴリズムの『さらに二つ先』を完全に把握しています!」

「通信網に正体不明のノイズが混入! 第5大隊、どうした! なぜ味方を撃っている!!」

 防衛側の利も、二倍という数の優位も、開戦からわずか数十分で意味を成さなくなった。

 城壁は崩れ落ち、無敵を誇った要塞は、内側から食い破られるようにして炎に包まれていく。

 その血塗られた戦場の中央。

 燃え盛る要塞を眼下に収める高台へと進み出た、教国の移動要塞『聖なる天秤』。その最上層には、冷たい夜風に晒される荘厳な黄金の玉座が設えられていた。

 そこに鎮座していたのは、威厳ある教皇ではない。

 長い足を気怠げに組み替え、眼下の凄惨な戦場を、まるで幼稚園児の砂遊びでも眺めるように酷く退屈そうに見下ろす、一人の美しい少女だった。

 一条澪いちじょうみお。

 彼女の指先から放たれる極彩色のマナの光跡が、前線の兵士すべてと直結し、この無機質な殺戮を指揮していることなど、阿鼻叫喚に陥る帝国軍の誰も知る由もない。

「……右翼の魔導障壁、展開のタイミングが〇・一秒遅い。左翼の砲列、熱量配分のアルゴリズムに致命的な無駄がある。……どんなに数を揃えようと、所詮は旧式の計算機ね。欠伸が出るわ」

 澪は、指先を指揮者のように軽く弾いた。

 それに呼応し、要塞内部へ侵入した教国機が、動力炉へと一斉に自爆攻撃を仕掛ける。

 耳を劈くような大爆発と共に、帝国の誇る「黒鉄の防壁」が完全に崩落した。

「……ミオ様。西方第1防衛線の制圧、完了いたしました」

 傍らに控える異端審問官が、抑揚のない声で報告する。彼もまた、澪の糸に繋がれた完璧な駒の一つだ。

「そう。そのまま進めなさい。目障りな鉄屑はすべて更地にして構わないわ。帝都まで、立ち止まる必要はない」

 澪は興味なさそうに言い放つと、自らの胸元から「一片の木片」を取り出し、うっとりとした表情で頬にすり寄せた。

 それは、あの日、武道館でカイの膝が砕けた時に折れた、竹刀の欠片。彼女がこの世界に持ち込んだ、唯一の宝物。

「ああ……カイ。私の愛しいカイ……」

 先ほどまでの冷徹な覇王の顔が、一瞬にして、狂おしいほどの愛に溺れる少女の顔へと歪む。

 その異様な熱量に当てられ、周囲の空間を満たしていたマナが悲鳴を上げて明滅した。

「報告を見たわ。あの野蛮な海の街で、また随分と派手に暴れ回ったそうね。……あなたを唆そそのかした、あの『赤い鉄屑』と一緒に」

 澪の脳裏に、かつて自分に絶望し、美しく壊れていた弟の姿が浮かぶ。

 そして、その弟を自分の鳥籠から連れ出した、未知の古代遺物カグツチの存在。

 途端に、澪の美しい顔が、夜叉のような底知れぬ嫉妬とドロドロとした殺意に染まった。

「……生意気なオモチャね。ただのプログラムの分際で、私のカイの『隣』に立つなんて。……カイの不格好な足の代わりになれるのは、世界で私一人だけなのに」

 澪は、繋がれた糸をギリッと強く引き絞った。

 戦場で敵の死骸の山を築き上げる教国軍が、その主の怒りに呼応するように、さらに凶暴な速度で殺戮を加速させる。

「待っていてね、カイ。今、お迎えに行くから。……あなたの目の前で、あの赤いガラクタの歯車を一つ残らずバラバラに解体して……もう二度と、私の腕の中から逃げ出せないように、心を綺麗にへし折ってあげる」

 極彩色の炎が、帝国の防衛線を焼き尽くし、夜明け前の空を禍々しく染め上げていく。

 世界征服など、彼女の目的ではない。

 これは、一人の少女の「狂った愛」が引き起こした、世界で最も理不尽な破壊の行軍であった。

 この日。

 神聖アルカディア帝国は、建国以来最悪の大敗を喫した。

 「四百対二百」の要塞戦から始まった崩壊は連鎖し、西方国境の第一から第八防衛線がわずか半日で陥落。国土の三割が機能不全に陥るという、演算の常識を根底から覆す未曾有の事態へと発展した。

 国家存亡の危機に直面した帝国中枢は、ただちに全土へ緊急動員令を発出。

 南の海洋都市フリーポートにて、帝国の理を脅かす「紅の亡霊」――ガンドック討伐の任に就いていた特務騎士ユーゴー・フォン・シュバルツの元へも、帝都への即時帰還を命じる最優先の召集令状が届けられたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ