幕間:狂信の糸、あるいは辺境の乱
神聖アルカディア帝国、東部辺境の工業都市『ガレリア』。
無骨な煙突が林立し、帝国の誇る魔導兵器の部品を昼夜問わず吐き出し続けていたその重要拠点は今、天を焦がす赤黒い業火と、むせ返るような死臭に沈んでいた。
空高く掲げられていたはずの帝国の『双頭の鷲』の旗は無残に引き裂かれ、代わりに街の時計塔には、聖エリュシオン教国の『純白の十字』が、まるで巨大な墓標のように不気味にはためいている。
「――撃てェッ! 愚かな反逆者どもを、一人残らず灰塵かいじんに帰せ!!」
街を見下ろす丘の上から、大気を震わせる咆哮が飛んだ。
帝国軍東部方面隊の指揮官、歴戦の猛将ダリウス。彼は自身の専用機である重魔導鎧のコクピットから、眼下の街で蠢く「元・帝国臣民」たちを憎々しげに睨みつけていた。
三日前。ガレリア市の領主および駐留部隊が、突如として帝国への反旗を翻した。
彼らは一斉に帝国の役人を血祭りにあげ、狂ったように教国への恭順を誓ったのだ。
『神の名のもとに。我ら、偽りの鋼鉄を捨て、大いなる光へと回帰せん』
通信機から繰り返される、感情の抜け落ちたノイズのような宣言。
反乱の鎮圧と街の奪還を命じられたダリウスは、当初、これをただの狂信者たちによる烏合うごうの衆の暴動だと高を括っていた。
圧倒的な魔力マナの火力を誇る帝国の正規軍を投入すれば、半日で文字通り「消し炭」にできると。
だが、現実はダリウスの軍人としての常識を、根本からへし折った。
ズガァァァァァァンッ!!
大地が悲鳴を上げる。ダリウスの部隊が一斉に放った魔導砲の斉射が、市街地の入り口に展開していた反乱軍の前衛を容赦なく吹き飛ばした。
数十人の兵士と、鹵獲ろかくされた数機の魔導鎧が、爆炎の渦に呑まれて四散する。
「……よし。前衛部隊、突入しろ! 一気に制圧する!」
ダリウスが怒濤の命令を下す。
しかし、モニター越しに戦場の様子を拡大した彼の顔から、スッと体温が消え失せた。
「な、なんだ……あいつら……!」
魔導砲の直撃を受けた反乱軍の陣形。
普通なら、血みどろの悲鳴と怒号が飛び交い、指揮系統が崩壊してパニックに陥るはずだ。
だが、ガレリアの反乱軍は異常なまでに「無音」だった。
腕を根元から吹き飛ばされた兵士が、一言の悲鳴も上げず、噴き出す血を無視して残った片手で銃を構え直している。
腹を抉られた者が、倒れた仲間の死体をただの「段差」として無造作に踏み越え、一糸乱れぬ動きで陣形の穴を瞬時に埋めていく。
鹵獲された魔導鎧たちも、一切の予備動作や通信のタイムラグなしに、完璧なシンクロ率で帝国軍の突入部隊の「死角」へと回り込んでいた。
「馬鹿な……。痛覚がないのか!? いや、それ以上に……まるで、全軍が一つの生き物のように……!」
歴戦の将であるダリウスの背筋に、氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。
軍隊ではない。これは、巨大な「群れ」だ。
恐怖も、躊躇いも、個人の意思も存在しない。何万という兵士の脳髄が、目に見えない強靭な『糸』で縫い合わされ、たった一つの絶対的な意志によって完璧に統率されている。
その時、帝国軍の通信回路に、防壁を紙切れのように食い破る強制的な割り込みノイズが走った。
ザガッ、ジィィィィ……。
ノイズの奥から聞こえてきたのは、鈴を転がすような、酷く無邪気で、絶対的な冷酷さを孕んだ『少女』の声だった。
『――あはっ。帝国の兵隊さんたち、動きがバラバラで滑稽だね。一人一人が「死にたくない」なんて余計なこと考えてるから、そんなに遅いのよ』
「誰だ貴様!! 通信班、逆探知しろ!!」
ダリウスが怒鳴るが、通信班からの応答はない。いや、すでに彼らの回路すら掌握されているのだ。
『私が全部、繋いであげる。……神様わたし の、見えない糸で』
白磁のような指先で、世界という名の盤面を優雅に撫でるような、甘ったるくも悍おぞましい響き。
その言葉の直後だった。
ダリウスの乗る指揮官機の真横で、鉄壁の護衛についていたはずの副官の魔導鎧が、ギギギ……と不自然な駆動音を立てて、突如としてダリウス機へとその銃口を向けた。
「なっ……!? 貴様、何をしている!!」
『…………ダリ、ウス、閣下……。逃げ……からだ、が、勝手に……ッ!!』
通信機から聞こえる副官の声は、絶望と恐怖に泣き叫んでいた。
だが、その生身の悲鳴とは裏腹に、副官の機体は一切の迷いなく、最も装甲の薄いコクピットのハッチへ向けて魔導砲のチャージを完了させている。
副官だけではない。
ダリウスの部隊の三分の一が、まるで操り人形のように不自然な挙動で、昨日まで背中を預け合っていた味方へと武器を向け始めていた。
彼らの瞳の奥には、脳髄を焼き切るような極彩色の不気味な光が明滅している。
「味方が、裏切った……!? 馬鹿な、たった一言で、帝国の正規軍が洗脳されたというのか……!」
ダリウスの絶望の叫びをかき消すように、東部の空が、まるで血をぶち撒けたように赤黒く染まっていく。
『……ふふ。少しずつ、綺麗にしてあげるわ。この世界のノイズを全部消して、私の可愛い「おもちゃ」が、また私の手のひらに戻ってくるように……ね』
個の自由を奪い、世界をたった一本の糸で縛り上げようとする極彩色の怪物――一条澪ミオ。
彼女の狂気は教国を完全に呑み込み、ついに神聖アルカディア帝国という強固な鋼鉄の基盤すらも、内側から音もなく崩壊させ始めていた。
帝国動乱。
それは、最強の物理を求める者たちが、過去から這い出た世界最大の「支配」と激突する、残酷な破滅の序曲だった。




