第五幕 エピローグ前編:白銀の軌跡、あるいは転移者の困惑
白煙を上げる《カグツチ》を甲板に乗せ、ガンドック号は朝焼けの海を切り裂くように進んでいた。
無事に追撃を振り切り、安全圏へと到達した船内。その一室で、カイは整備着に着替え、乱暴に包帯を巻いた右腕を庇いながら、パイプ椅子に深く腰掛けていた。
強制冷却モードに入ったリトは、まだ端末の中で深い眠りについている。
「……ひどい顔ね、カイ。コーヒーでも淹れようか?」
重い鉄扉が開き、シエラが数枚のデータ羊皮紙を手に部屋へ入ってきた。
彼女の表情は、いつもの余裕ある副長のものではなく、ひどく険しい。
「……ありがとう、シエラさん。被害は?」
「船殻の装甲が一部ひしゃげたのと、ロキが徹夜の修理で泣き喚いてるくらいよ。……それより、あんたが最後に大立ち回りを演じた相手。誰だか分かってるの?」
シエラが、データ羊皮紙をテーブルの上に放り投げた。
そこには、純白の軍礼装に身を包んだ、冷徹な薄紫の瞳を持つ白銀の少年の姿が映し出されていた。
「……神聖アルカディア帝国、特務騎士。ユーゴー・フォン・シュバルツ。……今、帝国全土で『白銀の英雄』と呼ばれている、化け物よ」
ユーゴー。
その響きに、カイはビクリと肩を震わせた。
「ユーゴー……勇吾……。やっぱり……!」
カイが身を乗り出そうとすると、シエラは冷ややかに首を振った。
「知り合いだとでも言いたげな顔ね。……でも、あり得ないわ。カイ、あんたは東方の小国の出身(という建前)か、あるいは『どこか遠くの世界』から迷い込んできたんでしょう?」
シエラは、カイがこの世界とは違う理を持っていることを薄々察している。だからこそ、論理的な事実を突きつけた。
「いい? ユーゴー・フォン・シュバルツは、今から十六年前、帝国の名門シュバルツ公爵家の長男として『この世界で』生まれたのよ。……幼少期から帝国士官学校で学び、神童として名を馳せ、数々の戦功を挙げて特務騎士にまで上り詰めた。彼の人生の軌跡は、帝国の歴史に真っ白な記録として、完全に刻み込まれているわ」
「……えっ?」
カイは、息を呑んだ。
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
(十六年前……? この世界で生まれた……?)
あり得ない。
カイが「一条勇吾」と最後に竹刀を交えたのは、カイの体感時間ではほんの数ヶ月前、あの武道館の決勝戦でのことだ。
あの日、自分の膝が壊れ、そのままこの異世界へと『転移』してしまった。自分は、元の世界の姿と記憶をそのまま引き継いで、ここにいる。
もし仮に、勇吾も同じようにこの世界へ落ちてきたのだとしたら、「十六年前に公爵家に生まれた」などという記録が残っているはずがない。
「シエラさん……何かの間違いじゃないのか。影武者とか、あるいは誰かが記録を改竄して……」
「帝国の公爵家の血統記録を誤魔化せるわけないでしょう。彼は間違いなく、生まれながらの帝国貴族よ」
シエラは羊皮紙の次のページを指差した。
「それに、彼の戦闘スタイル。……帝国では、魔導鎧に巨大な魔力を流し込み、強力なバリアや魔法兵装を扱うのが絶対のセオリーよ。マナを使わない機体なんて、帝国では『タブー』とされているわ」
シエラは、信じられないものを見るような目でデータを睨んだ。
「でも、このユーゴーという少年は、帝国でも指折りの巨大なマナを内蔵していながら……それを一切、魔法として外に出さない。すべてのマナを、自身の『身体能力の強化』だけに注ぎ込んでいるの。……結果、あのシュネー・ヴァイスという機体は、魔法の小細工を一切持たない代わりに、異常なまでの密度と質量を持つ『絶対物理の暴力』と化している」
マナを身体能力に振り、純粋な物理と重さで最強を目指すスタイル。
それを聞いた瞬間、カイの脳裏に、あの大剣の理不尽なまでの「重圧」が鮮明に蘇った。
(間違いない……。あの重さ、あの剣の軌道。あいつは絶対に勇吾だ。でも、どうしてこの世界で『生まれ育った』軌跡があるんだ……?)
カイは、自分の右手をじっと見つめた。
転移と、転生。
カイ自身が「そのままの姿で飛ばされてきた(転移)」ため、魂だけが新たな肉体に宿り、赤ん坊から人生をやり直す「転生」というシステムの存在に、思い至ることができないのだ。
転生は、ユーゴー本人だけが抱える絶対の秘密。教国の暗部を知り尽くすシエラでさえ、そんなオカルトじみた真実に予測がつくはずもなかった。
「……シエラさん。……そのユーゴーって奴は、剣が強いのか?」
カイは、震える声を必死に押し殺して尋ねた。
「ええ。一千機の鋼獣を、その大剣一本で叩き斬ったという伝説があるわ。……狂ってる。帝国の理から完全に外れた、突然変異の異端児よ」
シエラは羊皮紙を巻き直すと、深くため息をついた。
「カイ。私たちガンドックの目的は、あくまでカグツチの『殻』を集めること。……あんな規格外の化け物と、真正面から喧嘩をする義理はないわ。次はうまく逃げ……カイ?」
シエラの言葉は、途中で止まった。
俯いていたカイが、ゆっくりと顔を上げたからだ。
その瞳には、混乱も、恐怖も、すでにない。あるのは、凍てつくような熱を帯びた、純粋な闘志だけだった。
「……シエラさん。僕たちは、次の『殻』を探しに行くんだよね」
「え、ええ。そうだけど」
「早く集めよう。リトの身体を、全部」
カイは立ち上がり、朝焼けの光が差し込む小さな丸窓を見つめた。
(あいつがどんな人生を歩んできたにせよ。どうして帝国貴族なんてやってるにせよ。……あの剣は、あの重さは、僕を置き去りにした勇吾のものだ)
なら、迷う必要はない。
自分の『速さ』が、あいつの『重さ』を真っ向から打ち砕く。それだけが、この異世界で前世の亡霊を断ち切り、自分と彼が本物の「最強」に至るための、唯一の答え合わせなのだから。
「完全なカグツチなら、あいつの剣を……真っ向から弾き返せるはずだから」
少年の静かな、けれど決して折れない決意の言葉に、シエラはただ、呆れたように肩をすくめることしかできなかった。




