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第44章:沸騰する海、あるいは相反する物理の極北

海上の激突は、まったく異なる二つの「ことわり」の衝突だった。

 海面を摩擦ゼロの『水鏡』で滑り、波のうねりさえも完全に無視して一直線に迫る【静】のシュネー・ヴァイス。

 対するカグツチは、荒れ狂う波と風を強引に味方につけた【動】の機動だ。

「波が持ち上がる瞬間を狙え! 右脚の K-Link、反発力最大!」

「スチーム・ブースト、再点火!」

 ザパァァァンッ!

 カグツチが隆起する大波の壁を蹴り飛ばし、背部からの水蒸気爆発で空へと跳ね上がる。

 自由を取り戻した右腕の質量を遠心力へと変換し、空中で錐揉きりもみ回転しながら、漆黒の太刀を落下エネルギーと共に白銀の頭上へと叩き落とした。

 ガガァァァァァァンッ!!!

 白銀の大剣『無塵』と、漆黒の太刀が空中で激突する。

 魔法の障壁など一切ない、純度百パーセントの質量のぶつかり合い。その衝撃だけで、周囲数十メートルの海水が圧縮され、一瞬で沸騰して巨大な水蒸気の雲を発生させる。

 魔法を使っていないにも関わらず、二機の激突が局地的な「嵐」を生み出していた。

「くっ……! なんて重さだ……!」

 コックピットの中で、カイは歯を食いしばった。

 機体のフレームが悲鳴を上げ、激しい重力《G》が内臓を押し潰そうとする。あの暗闇で剣を交えた時に感じた「岩山のような重圧」が、魔導鎧のスケールに増幅されてカイの全身を軋ませている。

「きゃあっ……!」

 隣のサブシートで、リトが急加速と衝撃に耐えきれず、カイの肩に身を寄せる。ホログラムの頃にはなかった、生身の重さと、汗ばんだ肌の熱。

「リト、大丈夫か!」

「へ、平気よ! 右のバルブを開いて! 海水の吸入量を倍にするわ!」

 リトは実体化した腕でコンソールにすがりつき、必死にナビゲートを続ける。不完全なサブコアの出力は暴れ馬のように荒々しく、彼女の細やかな調整がなければ、たちまち自壊してしまう。

 一方、海面を滑走しながら剣を弾き返したユーゴーは、その双眸を歓喜と疑念に細めていた。

(……ちょこまかと。だが、あの剣の『軌道』)

 ユーゴーの視界の中で、赤い機体はスチームの爆発を利用して三次元的に軌道を変え続ける。

 デタラメに見えて、その実、一切の無駄がない。遠心力、重力、波の抵抗。すべてを計算し尽くし、「極限の最短距離」を導き出している。

 それは、帝国の演算機が弾き出すような冷たい数字の羅列ではない。

 あの日、武道館で己を完全に置き去りにした、あの天才の『速さ』そのもの。

(暗闇での直感は、幻影じゃなかったのか……。なら、その赤い装甲ごと叩き割って、中身を引きずり出して確かめてやる!!)

 ユーゴーはシュネー・ヴァイスの出力をさらに引き上げた。

 マナを身体能力に全振りした巨神が、海面をスケートのように滑りながら、大剣を下段から凄まじい速度で振り上げる。

 海水を巻き上げながら放たれた斬撃は、真空の刃となってカグツチを襲う。

「来るぞ! リト、緊急パージ!」

『蒸気圧、左舷へ全開放!』

 プシュゥゥバァァァッ!

 カグツチが左の排気口から超高圧の蒸気を噴き出し、物理法則を無視した急制動で右へスライドする。

 真空の刃がカグツチの左肩の装甲を深く抉り飛び、背後の海を真っ二つに裂いた。

「っ……速い! しかも、水の上を滑ってるのに足場が全くブレてない!」

 カイの「神童の眼」が、相手の異常性を正確に捉える。

 普通、海上でこれほどの大剣を振れば、反動で機体は沈むかバランスを崩す。だが、あの白銀の機体は、マナで海面との摩擦を完全に殺し、自らを「絶対的な質量」として固定しているのだ。

(あんな重さを自在に操れる人間が、この世界にそう何人もいるはずがない。……確かめなきゃならない。あの中身を!)

 カイの心臓が早鐘のように打つ。

 もしも本当に、あいつが「勇吾」だというのなら。自分と同じようにこの世界に落ちて、この理不尽な重さを身につけたというのなら。

 ここで撃ち負けるわけにはいかない。

「リト! サブコアの出力を限界突破させろ!」

『自壊するわよ!? サブコアの冷却が追いつかない!』

「構わない! あいつの『重さ』に、俺たちの全部をぶつけるんだ!!」

『……分かったわ。不合理で、最高に馬鹿な選択よ! 響鳴率、120パーセント!!』

 リトの叫びと共に、カグツチの全身の装甲の隙間から、紅蓮の炎と見紛うほどの超高温の水蒸気が噴き出した。

 周囲の海水が瞬時に沸騰し、視界を白い霧が覆う。

 白銀の巨神が、海面を滑りながら大剣を大上段に構え、すべてのマナをその一撃に込める。

 深紅の鬼が、遠心力と蒸気爆発のすべてを乗せ、漆黒の太刀を脇に構えて急降下する。

 言葉などいらない。

 互いの正体を確かめるための、純粋で獰猛な闘争本能だけが、二つの機体を真っ向から激突させた。

 ガガァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!

 音が、消えた。

 純粋な質量の衝突と、それを相殺しようとする運動エネルギーの飽和。

 遅れて発生した凄まじい物理的衝撃波ソニックブームが、周囲数キロの海水を文字通り「蒸発」させた。

 海が擂鉢すりばち状に抉れ、一瞬だけ真っ暗な海底の岩盤が露出する。

 すべてを呑み込む白い光が、夜の海を真昼のように照らし出し、二機の魔導鎧を完全に飲み込んだ。

 圧倒的な閃光と轟音の中心で、漆黒の太刀と白銀の大剣が、なおも互いの装甲を削り合って火花を散らしていた。

「ぐぅぅぅぅぅッ!!」

 カイは、血を吐くような呻き声を上げた。

 右脚の K-Link が限界を超えて焼き切れそうになり、右腕の関節から悲鳴のような金属音が響く。どれだけ遠心力と蒸気圧で加速しようとも、ユーゴーの機体が誇る「絶対的な質量」は、揺るぎない岩壁のようにカイの太刀を押し返してくる。

『カイ、ダメよ!! サブコアの臨界が破綻する! これ以上打ち合えば、カグツチが四散するわ!!』

 隣で実体化しているリトの悲痛な叫びが、カイの理性を引き戻した。

(……ここで無理に押し通せば、機体ごと消し飛ぶ……! ガンドック号の皆も巻き添えだ!)

 確かめたい。あの装甲を叩き割り、中身が「勇吾」なのかどうか、この目で。

 その強烈な衝動を、カイは奥歯を噛み割るほどの意志でねじ伏せた。今は、生き残って「殻」を持ち帰ることが最優先だ。

「……リト! 装甲のパージと同時に、コアの蒸気を全弾『前方』へ開放しろ! 反動で離脱する!」

『了解!! 響鳴率、強制カットダウン!!』

 カイは、漆黒の太刀の軌道をあえて逸らし、白銀の大剣が放つ「重さ」を、自らを後ろへ弾き飛ばすためのベクトルへと変換した。

 同時に、カグツチの胸部クリムゾン・コアから、残存するすべての超高熱水蒸気が、ユーゴーの機体へ向けて爆発的に噴出される。

 ズガァァァァァァァンッ!!

 凄まじい反発力と、圧倒的な目眩まし。

「なっ……!?」

 ユーゴーの視界が、絶対的な質量を持った白い蒸気の壁に完全に塗り潰された。

 振り下ろした大剣は空を切り、真っ二つに割れた海面をさらに抉るだけ。マナによる視覚補正すら、純粋な物理現象である超高密度のスチームの嵐には全く通用しない。

 その白い闇の中を、カグツチは吹き飛ばされるような速度で後退し、猛スピードで逃走していたガンドック号の後部甲板へと、文字通り「墜落」した。

 ズズズズズッ……!! と甲板を深く削りながら、辛うじて海への転落を免れる。

「シエラさん、バルガス! このまま蒸気の嵐に紛れて全速離脱を!!」

 カイが通信機に叫ぶ。

『了解したわ! バルガス、機関最大!』

 ガンドック号は、カグツチが残した広大なスチームの煙幕と、乱れ狂う海流のうねりに隠れるようにして、夜の海へと姿を消していった。

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