第43章:深紅の胸郭《クリムゾン・コア》、あるいは暴発する心臓
月明かりだけが頼りの夜の海を、ガンドック号が機関部を唸らせて最大戦速で逃走する。
その後部甲板は、戦場さながらの喧騒と熱気に包まれていた。
強奪したばかりの巨大な《深紅のコンテナ》。その解体作業が、ロキの指揮のもと、荒療治で進められていた。
「親父! チマチマやってんじゃねえ! テツカブラのパイルバンカーで装甲の継ぎ目をブチ抜け! 俺がバーナーで焼き切る!!」
「カカッ! 了解だ整備長! 手荒くいくぜェ!」
ズドォォォン!! と重い衝撃音が響き、テツカブラの巨大な杭がコンテナの側面を強引にこじ開けた。ロキが飛びつき、火花を散らしながら溶接バーナーで切断面を焼き広げる。
分厚い装甲板が焼けただれて剥がれ落ちた、その内部。
現れたのは、まるで生き物の内臓のように複雑なパイプとシリンダーが絡み合い、その中心で脈打つように鈍い赤光を放つ、巨大な金属の塊だった。
「ビンゴだ! こいつがカグツチの第二の殻……『深紅の胸郭』だ!」
ロキが歓喜の声を上げ、解析端末のコネクタをコアの接続口へと突き刺す。
だが、その瞬間。
バヂィィィンッ!!
激しい拒絶の火花が散り、ロキの身体が甲板に弾き飛ばされた。
「ぐあっ!? ……クソッ、起動しねえ! 帝国の魔導コードも、バベルの汎用規格も全部弾きやがる。完全なブラックボックスだ!」
ロキが焦げた手袋を脱ぎ捨てて悪態をつく。物理的な接続はできても、コアを起動させるための「鍵」が見当たらない。
「……退いて、ロキ」
崩れたリヴァイアサン号からカグツチで帰還し、甲板へ降り立ったカイと、その隣で純白のドレスを潮風になびかせるリトが歩み寄る。
リトは、眠り続けるその巨大なパーツの前に立つと、そっと自らの両手を冷たい金属装甲に這わせた。
『……分かるわ。これは、ただの機械じゃない。……ずっと、私を待っていたのね』
リトが目を閉じる。
彼女の演算領域が極限まで拡張され、コアの内部へと深くダイブしていく。
これは帝国が求めた「兵器」ではない。神話の時代、彼女の対となる存在として設計された、魂の片割れ。
リトの存在波形とコアの波動が重なり合い――「響鳴」が始まった。
ドクン、ドクン、ドクン……。
甲板の全員が、その音を聞いた。
それは機械の駆動音ではない。巨大な生物の心臓が動き出したかのような、重く、腹の底に響く鼓動。
赤光が強まり、周囲の空気が熱を帯び始める。
『……ロック解除。おはよう、私の半身』
ガキンッ!! ズゴゴゴゴゴ……ッ!!!
重厚な金属音が連続して響き、数千年の眠りから覚めたコアが、猛烈な勢いで周囲の大気を吸い込み始めた。
「カイ、今だ! カグツチを横付けしろ! クレーンで吊り上げて強引に接続するぞ!」
ロキの絶叫に近い指示が飛ぶ。
カイがカグツチを操作し、自らの胸部装甲をパージする。そこへ、クレーンで吊り上げられた巨大な《クリムゾン・コア》が、バルガスとロキの荒っぽい誘導によって押し込まれた。
カグツチのフレームが軋み、火花が散る。
それは精密な整備ではない。傷ついた野獣に新たな臓器を無理やり移植するような、暴力的な光景だった。
だが、接続が完了した瞬間。
カグツチの全身のフレームに、未曾有のエネルギーが奔流となって循環し始めた。
ブシュゥゥゥゥッ!!
機体の各所に増設された排気弁から、真っ白な蒸気が勢いよく噴き出す。
「……っ!」
コックピットに戻ったカイは、操縦桿を通じて伝わる機体の変化に息を呑んだ。
今まで「重すぎる鉄の塊」として機体を常に右側へ傾かせ、バランスを崩していたあの《深紅の右腕》。それが、新たな胸郭の強大なジェネレーターと直結されたことで、ピタリと機体の中心軸に収まったのだ。
不快な揺れが消え、地に足がついたような安定感が生まれる。
「すごい……。右腕の重さが、完全に機体の『芯』と繋がった感覚だ……!」
だが、手放しの喜びばかりではなかった。
隣のサブシートに光の粒子が集束し、リトが姿を現す。その姿を見て、カイは愕然とした。
「リト、君は……!」
そこにいたのは、いつもの涼しげなホログラムの少女ではなかった。
純白のドレスは汗で肌に張り付き、透き通るようだった銀髪も少し乱れている。白い肌は熱を帯びて紅潮し、荒い呼吸を繰り返すたびに、豊かな胸が上下していた。
彼女は今、カイの隣で、確かな質量と体温を持った「生身の少女」として実体化していた。
『ハァ、ハァ……ッ。……接続完了。カイ、バイタルリンク、安定したわ』
リトが震える手でコンソールを操作する。彼女の指先が触れるたびに、モニターに膨大なデータが奔流のように流れる。
『カイ、聞いて。この《クリムゾン・コア》は、あくまで中枢を補助するための「サブコア」に過ぎないわ。メインエンジンが不完全なまま、私の響鳴で無理やり叩き起こしただけ……』
リトが、熱っぽい瞳でカイを見つめる。
『右腕のバランスは整ったけれど、出力は不安定きわまりないわ。……この機体、制御は極めてピーキーな「じゃじゃ馬」になる。……乗りこなせる?』
カイは、リトの熱い手を、自分の手で強く握り返した。
伝わってくるのは、彼女の覚悟の熱量だ。
「じゃじゃ馬……上等だ。不完全なのは、僕の右脚も同じだよ。……今の俺たちなら、きっと乗りこなせる」
その時だった。
轟音を立てていたガンドック号のエンジン音や、波の音が、不自然なほどに遠のいた。
周囲の海面が、奇妙な静寂に包まれる。
月明かりを反射していた荒々しい波のうねりが、まるで神の見えざる手によって撫でつけられたかのように消え失せ、海全体が巨大な「氷の鏡」へと変貌した。
「……なんだ、ありゃあ……!」
甲板で作業をしていたバルガスが、手を止めて海の彼方を指差した。
静まり返った海面を、滑るように近づいてくる「白銀の影」があった。
帝国の異端機、《シュネー・ヴァイス》。
それは、マナを一切の魔法兵装に使わず、すべてを機体の「物理的身体能力」の強化だけに全振りした、帝国最大のタブー機体。
その巨体が、海の上を音もなく進んでいる。
機体表面と海水の摩擦係数をマナで強制的に「ゼロ」に書き換える無塵の歩法――『水鏡』。
数千トンの質量を持つ白銀の巨神が、まるでスケートリンクを滑るように優雅に、しかし砲弾のような超高速で迫ってくる光景は、美しい悪夢そのものだった。
「……泥棒。逃げ切れると思ったか」
オープンチャンネルに、冷徹で、底知れぬ怒りを孕んだユーゴーの声が響く。
シュネー・ヴァイスが、その背中に背負っていた巨大な白銀の両手大剣『無塵』を抜き放った。
魔導の光刃などない。ただひたすらに分厚く、長く、常軌を逸して重い鉄の塊。
ユーゴーは滑走の勢いを一切殺さず、それを上段から一息に振り下ろした。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
剣が海面に触れた瞬間、世界の物理法則が悲鳴を上げた。
常識を絶する物理的衝撃波が発生し、海が「割れた」。
何万トンもの海水が左右に壁となって吹き飛び、一瞬、真っ暗な海底の岩肌が露出する。
斬撃の余波が、津波となってガンドック号を呑み込もうと迫る。
「カイ!リト!逃げて!!」
ブリッジからのシエラの絶叫。
このままでは船ごと圧し潰される。
カイは、リトの手を離し、操縦桿を握りしめた。
「行くぞ、リト!! 新しい力の見せ所だ!!」
『ええ! ……《クリムゾン・コア》、強制吸水モード展開!』
実体化したリトが、座席の横にある武骨な物理レバーを両手で思い切り引き上げた。
カグツチの胸部、新たな装甲板がスライドし、巨大な吸水口が口を開ける。
ゴォォォォォッ!!
周囲の海水が、猛烈な勢いでコアの内部へと吸い込まれていく。
『炉心温度、臨界突破! 超高熱圧縮、開始!!』
吸い込まれた海水が、リトの響鳴によって暴走状態にあるサブコアの超高熱に触れる。
瞬間、液体が気体へと爆発的に膨張した。
マナによる浮遊ではない。純粋な蒸気圧という、原始的で暴力的な物理エネルギー。
『――《スチーム・ブースト》、点火ッ!!!』
プシュゥゥゥゥゥゥゥバァァァァァァァッ!!!
カグツチの背部、そして脚部に増設されたスラスターから、視界を覆い尽くすほどの超高圧水蒸気が噴射された。
その反動たるや、凄まじい。
ガンドック号の甲板がひしゃげるほどの負荷をかけ、深紅の機体は、海を割る衝撃波の真っ只中から、天空へと弾丸のように跳ね上がった。
蒸気の白煙を引き連れ、月夜の空へ舞うカグツチ。
その視線の先には、割れた海の中央で、静かに、しかし圧倒的な殺気を放ってこちらを見上げる、白銀の巨神の姿があった。




