表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

75/105

第五幕:海神の箱庭《リヴァイアサン・ボックス》編

プロローグ『折れた牙と、白銀の追跡者』


神聖アルカディア帝国、辺境防衛線に位置する軍事療養施設。

 魔導灯の無機質な白い光に照らされた鉄格子の部屋で、一人の男が毛布を被り、虚ろな目で宙を睨んでいた。

「……あり得ん。……魔力マナがない。……ただの鉄塊が、なぜ……」

 かつて帝国第二騎士団の分隊長として、エリートの誇りを身に纏っていたゼノスの姿は、そこにはない。

 バベルの荒野で「赤いガラクタ」に己の部隊を蹂躙され、絶対の自信を持っていた魔導の理を物理的に叩き潰された男。彼の精神は、あの日の圧倒的な質量の恐怖に囚われたまま、壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返していた。

 コツ、コツ、と。

 静寂に包まれた廊下に、整然とした軍靴の音が響く。

 重い鉄扉が開かれ、部屋の温度が数度下がったかのような錯覚を覚えるほどの、研ぎ澄まされた冷気が流れ込んだ。

「……元・第二騎士団分隊長、ゼノス卿だな」

 ベッドの傍らに立ったのは、純白の軍礼装に身を包んだ白銀の髪の少年――ユーゴー・フォン・シュバルツだった。背後には、漆黒の軍服を着た長身の副官、ウルリッヒ・チャンドラーが静かに控えている。

 ゼノスはビクリと肩を震わせ、濁った瞳をユーゴーへ向けた。

 一千機の鋼獣を斬り伏せたとされる、今や帝国全土が傅く「白銀の英雄」。その絶対的な強者の気配に、ゼノスは這いつくばるようにしてベッドの隅へと後ずさった。

「ヒッ……! え、英雄殿が、なぜこのような掃き溜めへ……」

「皇帝陛下の勅命でな。バベルの国境線を破り、帝国の最新鋭部隊を立て続けに葬った『紅の亡霊』の討伐を任された」

 

 ユーゴーの薄紫の瞳が、ゼノスを冷徹に見下ろす。

「奴らと直接剣を交えたのは貴殿だけだ。……あの赤い機体の戦い方、そのすべてを話してもらう」

「あ、赤い……化け物……!」

 ゼノスは自らの頭を抱え、ガタガタと歯の根を鳴らした。

「だ、ダメだ! あれは魔導の理の外にある! 巨大なスパナを振り回し、魔導障壁を紙細工のように粉砕した! あんなもの、帝国の演算機では予測すら不可能だ!」

「演算の話は聞いていない。俺が聞きたいのは、奴の『剣理』だ」

 ユーゴーの静かな、けれど有無を言わさぬ圧力に押され、ゼノスは呻くように記憶の底を浚い始めた。

「……ま、魔力は一切なかった。歪な右腕の、ただの赤い鉄屑だ。……だが、乗っているのは、右脚が義足の生意気な小僧で……!」

 ゼノスが吐き捨てるように放った言葉に、ユーゴーの眉が僅かに動いた。

「……右脚が義足の少年、だと?」

「そうだ! あの小僧、機体の右腕が不均等な重心を、あえて『振り子』のように使って遠心力を生み出しやがった! 自分の不自由な右脚のバネを支点にして……狂ってる! あれは機導士じゃない、ただの野蛮な破壊衝動だ!」

 ゼノスはなおも恐怖に震えながら喚き散らしていたが、ユーゴーの耳にはもう届いていなかった。

 右脚が不自由な少年。

 欠損した機体の重心を、遠心力という「物理的エネルギー」に変換する戦い方。

 ユーゴーの脳裏に、かつて剣聖アルベルトから授かった教えが蘇る。

 『世界の抵抗を透かし、現象と同化しろ』。

 ユーゴーは、自らのマナを肉体に浸透させることで、その「無塵」の境地へと至った。

 だが、ゼノスの語るその少年は違う。

 彼はマナを一切使わず、機体と自身の「欠落」そのものを武器にし、世界に存在する重力や遠心力といった物理法則を、強引に味方につけているのだ。

(……面白い)

 ユーゴーの胸の奥で、黒城勇吾としての武人の血が、かつてないほどに熱く沸騰するのを感じた。

 相手が、前世で自分が壊してしまった親友「一条魁」であることなど、今のユーゴーは知る由もない。

 だが、魔力というこの世界の絶対的なルールに頼らず、己の肉体と鉄の質量だけで帝国の理を粉砕するその未知の戦士に、ユーゴーは魂が粟立つような強烈な「引力」を感じていた。

「……それで? 奴らはどこへ向かった」

「み、南だ……! 緩衝地帯を抜け、海の方へ……! おそらく、自由貿易海洋都市フリーポートへ向かったはずだ! あそこなら、あの機体のパーツが……」

 ユーゴーはゼノスに背を向けた。

「……有益な情報だった。ゆっくり休むといい、折れた猟犬よ」

 軍靴の音を響かせ、病室を後にする二人。

 施設の外、凍てつく風が吹く車寄せで、ウルリッヒが主君の横顔を盗み見た。

「……右腕のない機体に、義足の少年。そして純粋な物理による機動。……まるで、マナを極限まで肉体に振るう若の、対極にあるような存在ですね」

「対極であり、本質は同じだ。……帝国の計算機が弾き出せない『泥臭い正解』を、あの亡霊は知っている」

 ユーゴーは、南の空――まだ見ぬ海の方角を、射抜くように見つめた。

「全軍に出立の号令を。向かうは自由貿易海洋都市フリーポート。……ただの討伐任務じゃない。俺の『剣』が本物かどうか、あの赤で試させてもらう」


第五幕開幕

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ