幕間:仕立てられた実体、あるいは約束のショーウィンドウ
北嶺の厳しい雪道を越え、ガンドック号は物資補給のために、中立地帯にある中規模の交易都市へと立ち寄っていた。
石畳が敷き詰められたメインストリートには、傭兵や行商人たちの活気ある声が響いている。
ウィィン……プシュッ。カツン。
ウィィン……プシュッ。
人混みの中を歩くカイの足元から、規則的な油圧の排気音が鳴る。
ロキが徹夜で組み上げてくれた鉄の膝――『K-Link』。その無骨な黒鉄のサポーターは、カイの太腿の筋肉の動きを読み取り、砕けた膝の代わりにしっかりと体重を支えていた。
松葉杖はない。
自分の両足で、重心のバランスを崩すことなく、隣を歩く「彼女」の歩幅に合わせて歩けること。それがどれほど奇跡的な歓びか、今のカイにしか分からないだろう。
『ねえカイ! あっち! あそこのお店、ショーウィンドウのトルソーが着てる服、すごく可愛いわ!』
カイの数歩先を、機嫌良さそうにスキップしながら振り返ったのは、銀色の髪を揺らすリトだ。
マナの豊富なこの街では、カイの近くにいれば彼女の実体化は極めて安定している。すれ違う人々は、誰も彼女が「数千年前の古代兵器のホログラム」だとは夢にも思わず、そのあまりの美しさに目を奪われて振り返っていた。
「わ、分かったから引っ張らないでよリト。K-Linkの出力、まだ街歩き用に調整しきれてないんだから」
『ふふん、文句は言わせないわよ。今日は私の服を買ってくれる約束なんだから!』
リトはカイの腕にギュッと抱きつき、半ば強引にレンガ造りのブティックへと彼を引っ張っていった。
実体化した彼女の腕は、ひんやりとしているが、確かにそこにある「重さ」と「柔らかさ」を持っていた。
店内に足を踏み入れると、暖炉の温かな空気と、新しい布の匂いが二人を包み込んだ。
所狭しと並べられた色とりどりのドレスやコート。リトは目を輝かせ、次々とハンガーを手に取っては、自分の身体に当てて鏡を覗き込んでいる。
『これはどう? ちょっとフリルが多すぎるかしら。……こっちのシックなコートも捨てがたいわね。ねえカイ、どれがいいと思う?』
「ええっと……」
カイは苦笑しながら店内を見渡した。
普段、データとして一瞬で服を着替える彼女が、こうして物理的な布の束を前にして、普通の女の子のように悩んでいる姿が、たまらしく愛おしかった。
「……リトは、自分で決めなくていいの? データなら一瞬でシミュレーションできるだろ?」
カイの言葉に、リトは持っていた服をラックに戻し、少しだけ真面目な顔をしてカイの正面に立った。
『データで似合う服なんて、計算すればコンマ一秒で最適解が出せるわ。……でも、私が欲しいのはそういうのじゃないの』
リトは、カイの胸元をツンと指で突いた。
『あなたが迷って、私のために選んで、お金を払ってくれた「証拠」。……それが欲しいの。私がこの世界に、ただの幻じゃなくて、確かに存在しているっていう……物理的な重さが』
その言葉に、カイはハッとした。
彼女は、カグツチという兵器の中枢だ。常に死と隣り合わせの極限の演算をこなしている。だからこそ、こうして平和な街で、誰かに「一人の女の子」として扱われる瞬間を、ひたむきに求めているのだ。
「……そっか。ごめん、僕が選ぶって約束したもんね」
カイは真剣な眼差しで店内を歩き回った。
リトの赤茶色の瞳と、銀色の髪。そして、北嶺の雪景色の中でも凛として咲く花のような、彼女の気の強さと優しさ。
「……これ、どうかな」
カイが手に取ったのは、上質な白いウールで仕立てられた、裾がふわりと広がるケープコートだった。首元には、彼女の瞳と同じ、深い真紅のリボンがあしらわれている。
『……!』
リトの瞳がパァッと輝いた。
彼女はひったくるようにコートを受け取ると、いそいそと試着室へと駆け込んだ。
数分後。
『ど、どうかしら……』
カーテンが開き、少し照れくさそうにモジモジと裾を摘むリトが現れた。
純白のコートは、彼女の透き通るような肌と銀髪に見事に調和し、真紅のリボンが、赤い装甲を持つ「カグツチ」としての彼女のアイデンティティを静かに主張しているようだった。
「……すごく、似合ってる。本物の雪の妖精みたいだ」
『っ……バカ。大袈裟よ、カイのくせに』
リトは顔を真っ赤にしてそっぽを向いたが、その口元はだらしなく緩みっぱなしだった。
カイは店主に、ガンドックでの雑用で少しずつ貯めていた銀貨を支払い、店を出た。
外は、いつの間にか細かな雪が舞い始めていた。
「寒くない? リト」
『平気よ。私には気温なんて関係ないもの。……でも』
リトは、カイが買ってくれた真っ白なコートの袖を、愛おしそうに両手でギュッと握りしめた。
『この服、なんだか少し重いのね。腕を動かすと布が擦れる音がするし、風が吹くと裾がバタバタして邪魔だし……。非効率の極みだわ』
「あはは、そうだね。脱いでデータに戻る?」
『絶対に嫌!!』
リトはカイの腕に再びギュッと抱きつき、そのぬくもりを確かめるように頬を擦り寄せた。
『……重いけど、すごく暖かいわ。……ありがとう、カイ。私、この服が擦り切れるまで着るから』
「擦り切れたら、また新しいのを一緒に買いに行こう。……僕の、この足でね」
ウィィン……プシュッ。
機械の膝が鳴る音と、二人の足音が、雪の降る石畳に並んで響いていく。
過酷な運命の合間に訪れた、世界で一番尊い「非効率」な時間が、二人の心と身体を静かに温めていた。




