表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

70/104

第十二章:英雄

シュバルツ領北端、鉄の門の先は、もはやこの世の風景ではなかった。

 地平を埋め尽くすスカベンジャー・レイス。その中央で、周囲の鉄とマナを喰らい尽くし、山のような質量へと膨れ上がった《クイーン・レイス》が、脈打つ心臓のように不気味な赤光を放っている。

「――シュバルツ! 『回廊』の維持限界まで、あと三十秒! これ以上は演算の整合性が保てない。……行けッ!」

 カイゼルの絶叫が通信機を震わせる。紅蓮の騎士団が自らを盾にして鋼の津波を押し留め、一筋の光の道をユーゴーに捧げていた。

「ああ……分かっている、カイゼル。最高の『お膳立て』だ!」

 白銀の機体シュネー・ヴァイスが、爆ぜた。

 ユーゴーは全マナを身体強化へ固定し、機体とのシンクロ率を限界まで引き上げる。

 

 女王が放つ、大気を蒸発させるほどの高出力レーザーがユーゴーを襲う。

 ドォォォォン! と衝撃波が荒野を薙ぐが、ユーゴーはそれを「回避」しない。世界の抵抗を透かす理――マナによって空間の歪みを察知し、光の粒子の合間をすり抜けるように加速する。

 だが、女王の防衛本能は狂気的だった。

 地中から巨大な鋼鉄の触手が噴き出し、ユーゴーの四肢を絡め取ろうと迫る。一触即発の速度。ユーゴーは空中で機体をひねり、鋼鉄の剣を一閃させた。

 ガァァァァァァン――ッ!!

 火花が夜空を焦がす。剣聖アルベルトから授かった「抵抗の消失」が、女王の超硬質装甲をバターのように切り裂いた。だが、女王の再生速度がそれを上回る。切り裂いた先から新たな鋼鉄が蠢き、ユーゴーを押し潰そうと「重力」そのものを増幅させる。

(……くっ、重い……! だが、ここで止まれば、あいつらの犠牲が、エレナの笑顔が……!)

 ユーゴーの意識が白濁する。脳内に直接、女王の「全生命排除」という無機質な殺意が流れ込んでくる。

 その時、ユーゴーの内に眠る黒城くろき勇吾の魂が、静かに、しかし激しく燃え上がった。

 かつての孤独な研鑽ではない。

 今の俺には、背中を預ける副官が、道を拓くライバルが、そして帰りを待つ家族がいる。

「――理を乗せる。俺の、すべての『生』を乗せる!」

 ユーゴーは、操縦桿から手を離した。

 もはや手足で動かすのではない。意志が、マナが、そのまま白銀の巨躯を「現象」へと変える。

 物理奥義――『無塵むじん』。

 白銀の機体が、一筋の透明な閃光となった。

 女王が放つ全方位の熱線、迫り来る数千の触手、そして空間を歪める重力波。

 そのすべてが、ユーゴーという「理」の前では意味をなさなかった。彼はそれらすべてと「調和」し、あらゆる抵抗をゼロにして、女王の核心――剥き出しの古代動力核へと肉薄する。

 音すら存在しなかった。

 白銀の剣が動力核に触れた瞬間、世界が白く染まった。

 ……。

 一拍置いて、シュバルツ領全域を揺るがす大爆発が巻き起こった。

 女王の巨躯が内側から崩壊し、バベルの魔導エネルギーが空へ向かって噴き上がる。

 中枢を失った一千機のスカベンジャーたちは、糸の切れた人形のように次々と崩れ落ち、ただの鉄の残骸へと戻っていった。

 静寂が、訪れる。

 

 燃え盛る女王の残骸の上。

 装甲を剥き出しにし、火花を散らす《シュネー・ヴァイス》が、勝利の証として大剣を大地に突き立てていた。

 

 十日間の死闘に、終止符が打たれた瞬間だった。

「……若! ユーゴー様!」

 

 駆け寄るウルリッヒの《シュバルツ・ガイスト》。そして、呆然と立ち尽くすカイゼルの騎士団。

 

 ユーゴーは、ハッチを開けて外へ出た。

 立ち込める煙の向こう、朝焼けの陽光が差し込み、荒廃した戦場を黄金色に染め上げていく。

 遠く、領地の村々から鳴り響く歓喜の鐘。

 

「……終わったんだな」

 ユーゴーは、自分の震える手を見つめた。


 それは恐怖ではなく、命を繋ぎ止めた実感、そして英雄としての重責を受け入れた者の震えだった。


女王が崩壊した後の「鉄の門」周辺は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。

 先ほどまで大地を震わせていた轟音も、鋼鉄が擦れ合う不快なノイズも、すべては嘘のように霧散している。立ち込める黒煙が、ゆっくりと夜明け前の冷たい大気の中へ溶け込んでいった。

 ひしゃげたスカベンジャーの残骸が折り重なる丘の上で、白銀の機体シュネー・ヴァイスは、突き立てた大剣を支えにようやく立っていた。

「……はぁ、……はぁ……」

 ユーゴーは、熱を帯びたコックピットの中で、震える指先でハッチの強制開放レバーを引いた。

 プシュッ、と圧縮された空気が抜ける音と共に、外部の凍てつく空気が流れ込んでくる。十日間、焼けた油とオゾン臭に満ちた密閉空間にいた彼にとって、その冷気は、どんな魔法よりも鮮烈に「生」を実感させるものだった。

 ふらつきながら、ハッチから装甲の上へと這い出る。

 ユーゴーの全身は、血と煤、そしてマナの過負荷によって破れた軍服でボロボロだった。白銀の髪は乱れ、薄紫の瞳は極限の疲労を物語っている。

「若ッ……! ユーゴー様!!」

 地上の瓦礫を掻き分け、ウルリッヒ・チャンドラーが駆け寄ってくるのが見えた。

 いつも冷静な彼の顔は、煤で汚れ、涙の跡が筋を作っている。その後ろからは、生き残ったわずか数騎のシュバルツ騎士たちが、機体のハッチを開け、あるいは地面に膝を突き、空を見上げて勝利の嗚咽を漏らしていた。

「……終わったよ、ウル。……勝ったんだ」

 ユーゴーが掠れた声で告げると、ウルリッヒは主君の機体の足元で、深々と頭を垂れた。

「ええ……。貴方が、この地を救ったのです。……我らが、白銀の英雄よ」

 視線を領地の内側へと向ければ、遠く、シュバルツの街や村々に灯火が戻り始めていた。

 絶望に閉ざされていた十日間、一度も鳴ることのなかった希望の鐘が、ひとつ、またひとつと夜明けの空に響き渡る。

 その時、東の地平線から、黄金の陽光が差し込んだ。

 それは、鋼の獣たちに蹂躙された荒野を、無慈悲なまでの美しさで照らし出していく。

 残骸となった鉄の山、そして――その中で命を散らした、多くの戦友たちの残骸。

 ユーゴーは、その一つ一つを視線でなぞり、そっと目を閉じた。

(……俺は、英雄なんかじゃない。……ただ、生きたかっただけだ。お前たちと一緒に、この朝日を……)

 前世の黒城勇吾は、誰にも看取られずに逝った。

 だが、今の彼には、泥まみれになりながら駆け寄ってくる仲間が、勝利を祝う民の歌声が、そして――。

「お兄様――――っ!!」

 後方の街門から、父親、シュバルツ辺境伯やお付きの侍女の制止を振り切って駆け出してくる小さな影が見えた。

 エレナだ。

 彼女は雪解けの泥に足を取られながらも、真っ直ぐにユーゴーの元へ駆けてくる。その目には、あの日マフラーを巻いてくれた時と同じ、一点の曇りもない愛情が溢れていた。

 ユーゴーは重い身体を引きずるように機体から降り、地面に足を着いた。

 一歩、一歩。

 演算上の最適解ではない。ただの人間としての、不格好な足取り。

「お兄様、お帰りなさい!」

 駆け寄ってきたエレナを、ユーゴーは残された力を振り絞って抱き止めた。

 小さな、温かな体温。

 それこそが、一千機の鋼鉄を斬り伏せて辿り着いた、彼にとっての唯一の「報酬」だった。

 遠くで、カイゼル・フォン・プロシュタットの紅蓮の機体が、静かにその光景を見守っていた。

 カイゼルは通信機に手をかけたが、結局何も言わず、ただ鼻を鳴らして通信を切った。彼の演算機は、この非合理な感動を処理することはできないだろう。だが、その瞳には、敗北感ではない、新たな「好敵手」への確かな敬意が宿っていた。

 ユーゴーはエレナの頭を撫でながら、朝日を浴びるシュバルツの山々を仰ぎ見た。

 

 物理の理を極め、一国の英雄となった少年。

 だが、その心にあるのは、王座への野心でも、破壊の愉悦でもない。

 ただ、この温かな日常を、二度と誰にも奪わせないという、静かな、そして鉄よりも硬い誓いだった。

 

 英雄の休息は、長くは続かない。

 だが、この朝日の輝きを、彼は生涯忘れることはないだろう。

 

 白銀の騎士は、最愛の人々に守られながら、ついに真の「自分」を手に入れたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ