第6章:バベルの裾野、あるいは鉄屑の詩
巨大な岩壁にへばりつくようにして作られた、ジャンク街『バベルの裾野』。
ガンドック号が入港するなり、バルガスは珍しくソワソワした様子で格納庫を歩き回っていた。
「おい、坊主コンビ。街へ出るぞ。テツカブラのシリンダーを新調しねえとな。あそこの頑固親父が持ってるパーツじゃねえと、このツラ(機体)には馴染まねえんだ」
ロキは「シエラ姉さんが残るなら俺も……」なんて未練がましそうにしていたけれど、バルガスに首根っこを掴まれて引きずられていった。もちろん、カイも一緒だ。
市場に一歩足を踏み入れると、そこはカオスそのものだった。七国のあらゆる意匠が混ざり合った機体の残骸。オイルとスパイスの混ざった独特の匂い。
目的のパーツを探して歩き回るうちに、日は高く昇り、一行の腹の虫が鳴り始めた。
「よし、あそこの屋台で飯にするか。ここは不味いが……力がつく」
バルガスが指差したのは、錆びたドラム缶をテーブルにした、吹き晒しの飯屋だった。出されたのは、正体不明の肉と地元の毒消しハーブを煮込んだ「バベル煮」と、硬く焼いた平パンだ。
「……これ、食べて大丈夫なんですか?」
カイが恐る恐るスプーンですくうと、ロキが隣で平パンを豪快に噛みちぎりながら笑った。
「あはは! ビビんなよカイ、これが荒野の『ご馳走』だぜ。いいか、この肉は砂漠のトカゲだ。魔力を帯びてるから、食えば一晩中身体が熱くなる。帝国の奴らが食ってる、あの薬みたいな栄養剤よりはマシだろ?」
「……トカゲ……」
覚悟を決めて口に運ぶと、想像を絶する刺激的なスパイスと、野性味溢れる肉の脂が広がった。洗練とは程遠い。けれど、生きている実感が全身を駆け巡るような味だった。
「どうだ、カイ。この街と同じだろ」
バルガスが、濁った地酒を煽りながら目を細めた。
「ここは七国のどこからも見捨てられた吹き溜まりだ。だがな、ここにあるのは『今を生きるための力』だけだ。帝国の『完璧』な食事には、こういう泥臭い熱量はねえ」
バルガスはかつて、帝国の精鋭騎士団にいた頃の話をポツリと漏らした。
「向こうじゃ、兵士はただの消耗品だ。魔力が尽きれば捨てられ、機体が壊れれば処罰される。……俺は、それが我慢ならなかった。国も名誉も捨ててこの街に辿り着いた俺に、最後の一歩を踏み出させてくれたのが、ゴミ捨て場に転がってたテツカブラの骨組みだったのさ」
完璧を求められ、一度の挫折で「欠陥品」とされた一条家での日々。カイは、バルガスの言葉を噛みしめながら、不器用な盛り付けのバベル煮をもう一口運んだ。
「完璧じゃなくていい。壊れても、継ぎ接ぎして、また前を向く。……俺たちがやってるのは、そういう生き方なんだよ」
三人で笑いながら、汚いテーブルを囲む。ロキがバルガスの酒をこっそり奪おうとして怒鳴られ、カイがそれを笑って見守る。
一条家という清潔な檻の中では決して得られなかった、命の本当の匂い。
しかし、その温かな空気は、不意に訪れた冷たい金属の足音によって凍りついた。
周囲のジャンク屋たちが、蜘蛛の子を散らすように道をあける。
現れたのは、磨き上げられた純白の装甲に身を包んだ、帝国のエリート騎士たちだった。
「――相変わらず、薄汚れた場所がお似合いだな。バルガス・ギリアム」
先頭に立つ男。その鋭い眼光と、冷徹な威圧感にバルガスの表情が険しくなる。
男の名は、ゼノス。
バルガスがかつて所属していた騎士団の、現・団長だ。
「ゼノス……。帝国の『猟犬』が、こんな場所まで何の用だ」
「石版の行方は既に割れている。……貴様のような脱走兵が、帝国の至宝に触れるなど、万死に値する無礼だ」
ゼノスの冷淡な視線が、バルガスの背後に隠れるように立っていたカイへと向けられた。
「……ほう。そこの足の悪いガキが、例の『予言の眼』か。バルガス、貴様はゴミを拾うだけでなく、ガラクタの世話まで焼くようになったのか」
カイの身体が、屈辱で微かに震える。
かつての自分なら、その言葉にただ俯いていただろう。
けれど今、カイの腹の底には、泥臭いバベル煮の熱が残っている。
「……ガラクタじゃない」
カイが顔を上げ、ゼノスを真っ直ぐに見据えた。
「ガラクタなんかじゃない。……この人たちは、あんたたちが捨てた鉄を、誰よりも大切に繋いでるんだ。……あんたなんかに、この人たちのことを言われたくない」
ゼノスは意外そうに眉を上げた。バルガスが、カイの前に一歩踏み出し、巨大な身体でゼノスの圧を遮る。
「聞いたか、ゼノス。この坊主の言う通りだ。……お前らの『完璧』なんて、俺たちの『執念』でブチ壊してやるよ」
市場の喧騒が消え、一触即発の沈黙が支配する。
カイは、ポケットの中でロキから預かったスパナをぎゅっと握りしめた。
「……ほう。ガラクタではない、か」
ゼノスは、カイの真っ直ぐな瞳を冷ややかに見つめ、口角をわずかに吊り上げた。
「面白い。口先だけではないというのなら、証明してみせろ。我が部下の一人と、ここで立ち会いをさせてやろう。……余興だ。バルガス、貴様が拾ったゴミがどれほどのものか、見極めてやる」
「ふざけるな、ゼノス! こいつはガキだ、それも足が……」
バルガスが割って入ろうとしたが、ゼノスの部下の一人が、あざ笑うように抜き放った練習用の重い木剣をカイの鼻先に突きつけた。
「どうした? さっきまでの勢いはどこへ行った。それとも、ただの負け犬か?」
周囲の傭兵たちも息を呑む。相手は魔力で身体を強化できる帝国の現役騎士。対するカイは、松葉杖を突いた無能の少年だ。勝負にすらならない。
(……足が震えてる。怖いのか? いや……)
カイは、自分の右膝の疼きが、今までと違うことに気づいた。
それは、絶望による痛みじゃない。かつて、世界大会の決勝の舞台で感じた、あの極限の緊張感。身体の芯が、澄み渡っていく感覚。
(この身体じゃ、魔力は練れない。でも、相手の『起こり』を視ることはできる。……この一年の沈黙の中で、耳は、眼は、かつてよりも鋭くなっている!)
「……いいですよ。立ち会い、受けます」
「カイ! 正気か!?」
ロキが叫ぶが、カイは迷いのない手つきで、腰に差していた大型の調整用スパナを引き抜いた。
「バルガスさん、大丈夫。……僕は、ただのガラクタじゃないってこと、僕自身に証明しなきゃいけないから」
カイは松葉杖をロキに預け、折れた右足を軸に、ゆっくりと、けれど確かな重心で構えた。
構えは、一条流の「中段」。
その瞬間、カイの周囲の空気が一変した。ただの少年が、一振りの研ぎ澄まされた刃のような鋭さを放ち始めたのだ。
「フン、不具者が!」
帝国の騎士が、身体強化の魔力と共に踏み込む。凄まじい風圧を伴う一撃。
周囲の人間は「終わった」と思った。けれど――。
(遅い)
カイの眼には、相手が力を込める瞬間の筋肉の収縮、重心の移動、そして『剣筋』が、光の糸のように鮮明に視えていた。
カイは動かなかった。いや、最小限の動きだけで、木剣が鼻先を掠めるのを待った。
――一足一刀の間合い。
相手が空振り、体勢を崩したその刹那。
「……面ッ!!」
叫びと共に、カイの右手が、最短距離でスパナを振り下ろした。
魔力による強化はない。けれど、相手の力を利用し、もっとも隙のある一点を貫く、完璧な一撃。
ガツォォォォンッ!!
重厚な音が響き、騎士のフルフェイスの兜をスパナが捉えた。
魔力で守られていたはずの騎士が、まるで雷に打たれたように膝から崩れ落ち、そのまま意識を失って沈黙した。
市場が、静まり返った。
誰もが自分の目を疑った。松葉杖の少年が、帝国の騎士を、ただのスパナ一本で「一撃」で沈めたのだから。
「……一本」
カイは、荒い息を吐きながら、スパナを下ろした。右膝が激しく震え、立っているのもやっとだった。けれど、その瞳はかつてないほど誇らしげに輝いていた。
「……何だと……?」
ゼノスの眉が、初めてピクリと動いた。
背後にいたロキが、呆然とした後に、爆発したように叫んだ。
「見たかよ!! これが俺の助手だ!! ざまあ見ろ、帝国のエリート様!!」
バルガスも、言葉を失ったままカイを見つめ、やがて野獣のような笑みを浮かべた。
「……カカッ! 言っただろゼノス。俺の拾うのは、ただのガラクタじゃねえんだよ」
ゼノスは、気絶した部下を冷淡に見下ろすと、カイを射抜くような視線で見据えた。
「東方の島国に伝わる、異端の剣技か。魔力なき者が辿り着く、究極の『理』の一端を見た気がするな。……」
ゼノスは踵を返した。
「今日の処はその剣技に免じて見逃してやる。だが石版を巡る戦いは、試合ではない。次に見る時は、その首、我が剣の錆にしてくれる」
帝国軍が去っていく。
その背中を見届けた瞬間、カイは糸が切れたように座り込んだ。
ロキとバルガスが駆け寄ってくる。
「おい! カイ! 大丈夫か!?」
「……あはは……ロキ、やっぱりスパナは、叩くより回す方が、手に馴染むよ……」
冗談を言うカイの肩を、バルガスが力いっぱい抱き寄せた。
ジャンク街の夕焼けが、三人の泥だらけの笑顔を赤く染めていた。




