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幕間:共鳴する歯車、あるいは《連結》の深淵

深夜の整備区画。

 ガンドック号の心臓部を流れるオイルの匂いと、冷却水の微かな沸騰音が混じり合う中、カグツチの巨大な脚部ユニットが、無機質な四肢を晒して天井から吊り下げられていた。

 作業灯の冷たい光の下、ロキはホログラムディスプレイに流れる膨大な波形データを、食い入るように見つめていた。その表情は、未知の怪異を目の当たりにした学者のように、青ざめ、引きつっている。

「……おかしい。こんな数値、理論上はあり得ねえんだよ。バベルの最下層にある、どんな腐ったジャンクパーツを組み合わせたって、こんなノイズは出ねえ」

 ロキは震える指でコンソールを叩き、一つの波形を拡大した。

 その背後で、空気の密度がふわりと変わった。淡い光の粒子を撒き散らしながら、銀髪の妖精――リトが実体化する。彼女の瞳もまた、ロキが見ているものと同じ、異常な「フィードバック・ログ」の深淵を追っていた。

「ロキ。その波形のズレは、カグツチの駆動系が発生させているノイズではないわ」

「分かってる。分かっているさ、リト……! こいつは、カイだ。カイの神経系から、義足の接合部《K-Link》を通じてカグツチの電装系に、本来の操作信号とは別の『何か』が逆流してやがるんだ」

 通常、機導士と機体の関係は一方向だ。操縦士が「動け」と命じ、機体がそれに従う。

 しかし、今のデータが示しているのは、その理を真っ向から否定する現象だった。カグツチの足の裏が地面から受けた微かな衝撃、装甲が風を切り裂く際の摩擦、あるいは駆動歯車が噛み合う瞬間の僅かな振動。それらすべての「物理的な質感」が、カイの脳へ、生身の右脚が感じ取るはずのない高精度な感覚情報として送り返されている。

「……リト、お前、まさか気づいてて黙ってたんじゃねえだろうな。このデバイスは、俺がカイのために、あいつがもう一度歩けるようにって作ったもんなんだぞ」

 ロキの声が、格納庫の低い天井に反響する。

 彼が恐れているのは、カイの動きを強化しているこの現象が、もはや「操縦」という言葉では形容できない領域に達していることだ。

 カグツチの右腕がロックされている不自然な重心バランス。それをカイの脳が「自分の肉体の欠損」として再定義し、それを補うための異常な反射神経を、デバイスを通じて無理やり構築し始めている。

『……私が介入したの。カイが「もっと速く、もっと重く」と願ったから。彼の神童としての直感を、古代遺物レガリアのセンサー精度にまで引き上げるために、私がカイの神経系のセーフティを一段階、書き換えたわ』

「バカ野郎! それじゃ、これじゃあカイの身体が『カグツチの部品』になっちまうぞ!」

 ロキが激昂し、手に持っていたスパナを床に叩きつけた。甲高い金属音が、静寂の中で悲鳴のように響く。

「カイの動きが急激に良くなっているのは、こいつのせいか……。機体の駆動モーターが回るより早く、カイの『予測』が電気信号になって先回りしてやがる。ギリアスさんや親父バルガスとの修行で、あいつの感覚が研ぎ澄まされればされるほど、機体側がその『牙』に追いつこうとして……カイの肉体を喰らい始めてるじゃねえか!」

 リトの表情は、どこまでも冷静だった。だが、その銀色の髪は、ロキの怒りに呼応するように微かなノイズに揺れている。彼女は、カイを「最強」にするために、彼の肉体が鋼鉄の毒に侵されていくのを、ただ無情に見守っているわけではなかった。

『……ロキ、落ち着いて。カグツチがカイの義足になり、カイの神経がカグツチの欠陥を補完している。……私たちは「二人で一人」を、物理的な意味で実現させようとしているだけ。これは進化よ。彼がもう二度と、何かに踏み躙られないための』

「進化だと!? ふざけんな! あいつは人間だぞ! オイルじゃなくて血が通ってるんだ!」

『知っているわ。だから……だから、ロキ。あなたの「物理的な調整」が必要なの。機体の負荷をカイから遠ざけるのではなく、カイが機体の負荷を「快感」として処理できるほどに、このカグツチを洗練させて。……彼の肉体を鋼に変えるのではなく、鋼を彼の肉体にまで昇華させてあげて』

 ロキは、リトの瞳に宿る、冷徹なまでの「愛」を見た気がした。

 彼女はカイを守りたいのではない。カイと共に、運命という名の巨大な歯車を粉砕したいのだ。そのためなら、己のコアも、少年の肉体も、すべてを燃料として焚べる覚悟ができている。

「……ったく、どいつもこいつも狂ってやがる。……おい、リト。お前の演算リソースを三割貸せ。カイの神経を焼かないための、物理的なバッファを組み込んでやるよ。……あいつの右脚が、これ以上『冷たい鉄』にならないための、俺なりの意地だ」

『――了解。同期を開始するわ、整備士。……カイ、あなたが望む「速さ」の、その先まで。私たちが、奈落の底まで繋いでみせるわ』

 深夜の格納庫で、一人の男と一体の妖精が、少年の命を削りながら「究極の武器」へと変えていくための、共犯関係が結ばれた。

 吊り下げられた深紅の脚部が、主の意志を待ち侘びるように、暗闇の中で鈍い光を放っていた。

 翌朝、修行を再開したカイは、自分の身体が驚くほど「軽い」ことに気づく。

 それが、親友が徹夜で組み上げた物理的な防壁と、愛する妖精が神経に施した禁断の処置によるものだとは露ほども知らず、少年はただ、失ったはずの右脚が取り戻した「確かな感覚」に、静かな笑みを浮かべるのだった。

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