第四章:邂逅
帝都アルカディアの社交界は、私にとって、精緻に組み上げられた巨大な時計盤の中にいるようなものでした。
誰がどの程度のマナを宿し、どの家系と結ばれるのが最も「効率的」か。魔導演算回路が導き出した最適解に従って、人々は微笑み、言葉を選び、予定された未来を歩む。
それが帝国の正義であり、皇族である私に課せられた「静かなる義務」なのだと信じて疑いませんでした。
あの日、父である皇帝陛下に連れられて、北東の果て、シュバルツ辺境伯領を訪れるまでは。
「フィオナ、見ておくがよい。あれが帝国最強の盾、シュバルツの次代だ」
陛下に促され、凍てつく風が吹く訓練場を見下ろした時、私の心臓は、生まれて初めて「演算」ではない鼓動を打ちました。
白銀の髪をなびかせ、雪原の中に一人立つ少年。
ユーゴー・フォン・シュバルツ。
当時、まだ十歳にも満たなかったはずの彼は、木剣を振るうその一動作だけで、周囲の空気を物理的に支配していました。
帝都の騎士たちは、マナをいかに優雅に、美しく循環させるかを競います。ですが、彼の纏う空気はそれとは根本的に違っていました。
内側に秘めた膨大なマナを、外に逃がすことなく、すべて己の肉体を「磨き上げる」ためだけに注ぎ込んでいる。その姿は、まるですべての魔導を否定し、己の存在そのものを唯一の「理」にしようとしている狂気的な美しさに満ちていたのです。
「……ふぅ」
訓練を終えた彼が、こちらに気づいて顔を上げました。
薄紫色の瞳。
そこには、私のような子供には到底理解できないほどの、深く、重い「研鑽の影」が宿っていました。けれど、陛下と私の前に歩み寄ってきた彼は、先ほどまでの鬼気迫る表情を霧が晴れるように消し去り、とても穏やかな、春の陽だまりのような微笑みを浮かべたのです。
「ようこそ、シュバルツへ。皇女殿下。辺境の寒さがお体に障りませんでしたか?」
差し出された手は、マナの加護で守られた貴族のそれではなく、絶え間ない素振りで硬く、無骨な「武人の手」でした。
帝都の殿方たちが囁く、演算された甘い愛の言葉など、この少年の「不器用な気遣い」の足元にも及びません。
「……怖くは、ないのですか? ユーゴー様。貴方の戦い方は、帝国の教えとはあまりにかけ離れていると聞きましたわ」
思わず口をついた私の問いに、彼は困ったように眉を下げて笑いました。
「怖いですよ。自分を信じるということは、世界中の計算機を敵に回すようなものですから。……ですが、機械が弾き出す『正解』よりも、今、私の目の前で寒さに震えている貴方の肩を温める『毛布』の方が、私にとっては確かな真実なんです」
そう言って、彼は自分の上着を脱ぎ、私の肩にふわりとかけてくれました。
演算上の最適解ではない。ただ、目の前の人間が寒がっているから、助ける。
そのあまりにも単純で、真っ直ぐな「物理的な優しさ」に、私は一瞬で恋に落ちたのだと思います。
それから、私たちの交流は始まりました。
帝都に戻った私に届く彼の手紙は、いつも素っ気ないほどに日々の鍛錬のことばかり。けれど、その行間からは、彼が愛する家族や領民、そして遠く離れた私を守るために、どれほどの孤独と戦っているのかが痛いほど伝わってきました。
人々は彼を「異端」と呼び、中央の技官たちはその強さを「野蛮なエラー」だと嘲笑います。
でも、私だけは知っています。
彼の内側にある、誰よりもストイックで、誰よりも温かなその魂を。
ユーゴー様。
貴方がいつか、その白銀の剣で帝国の厚い雲を切り裂き、私を迎えに来てくれる日を――。
私はこの時計盤のような帝都の中で、ただ一人、貴方という「不確定な奇跡」を信じて待ち続けているのです。




