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幕間:古兵の背中、あるいは盾に刻まれた年輪

深夜。

 ガンドック号の格納庫は、主の帰還を待つ鉄獣たちの静かな吐息に満ちていた。

 作業灯の僅かな明かりの下、バルガスは愛機『テツカブラ』の脚部を、愛おしそうにウエスで拭っていた。

「……ロキ。ここの前面装甲、さらに20ミリ厚くしろ。材質は、バベルで仕入れたあの『古代合金の端材』を混ぜ込め」

 その無理難題に、整備用ハシゴの上で図面を広げていたロキが、ひっくり返りそうな声を上げた。

「――20ミリ!? 正気かよ親父! そんなことしたら総重量が1トンは跳ね上がる。せっかくの機動力が死ぬぜ。回避もまともにできなくなる!」

「構わねえ。避ける必要がねえほどの硬さが欲しいんだ」

「理屈に合わねえよ! 帝国の最新鋭機はみんな、マナで機体を軽くして『当たらないこと』に命を懸けてるんだぜ? 時代に逆行してどうすんだよ!」

 ロキが苛立たしくスパナを放り出す。

 だが、バルガスは手を止めず、テツカブラの無骨な盾に刻まれた無数の傷跡を、節くれだった指でなぞった。魔法の熱線で焼け、物理の弾丸で削られた年輪のような痕跡。それは彼がこれまでの戦場を、理不尽な死を、いかにしてこの鋼一枚で撥ね退けてきたかの証明だった。

「……ロキ。あいつ(カイ)は今、あまりに速い場所へ行こうとしてる」

 バルガスの低く掠れた声が、格納庫の低い天井に染み渡るように響く。

「カグツチの性能、宿命、前世……。あいつを取り巻く状況は、あいつ自身の心を置いてけぼりにして、音速を超えて加速し続けてやがる。……いつか、あいつが自分の速さに目が眩んで、迷っちまう時が来る。自分がどこに立っているのか、何のために空を裂いているのか……見失っちまうくらいにな」

「……カイが?」

「ああ。そんな時、あいつには『立ち止まれる場所』が必要なんだ。一発や二発、どんなデタラメな魔法を食らってもビクともしねえ、絶対的な『壁』がな。……戻るべき場所がそこにあるってだけで、あいつはまた、迷わずに加速できるはずだ」

 バルガスは振り返り、ロキを真っ直ぐに見据えた。その瞳は、戦場を渡り歩いてきた古狼の鋭さと、不器用ながらに子供を見守る父親の深さを湛えていた。

「俺の役割は、あいつと一緒に空を飛ぶことじゃねえ。……あいつが翼を休めたくなった時、その背後で、泥を啜ってでも踏ん張って、盾を構えて待っててやることだ。……たとえ俺の脚が、重すぎて動かなくなったとしても、そこだけは一歩も譲らねえ。それが『古兵』の最後の仕事ってやつだ」

 ロキは、ぐうの音も出なかった。

 自分は「速さ」や「効率」という数字だけを見ていた。だが、この古兵が見ているのは、もっと泥臭く、もっと切実な、家族を「生かし続ける」ための重みだった。その重さは、計算機が弾き出すどんな最適解よりも、はるかに強固な確信に満ちていた。

「……チッ。……わかったよ。重すぎて膝が笑っても知らねえからな、クソ親父」

 ロキは照れ隠しに吐き捨てると、再び図面に向き直った。そのペン先は、より強固な、より「優しくないけれど、温かい」鉄の計算を描き始める。

 その様子を、影から実体化したリトが、静かに見つめていた。

 彼女の銀色の髪が、格納庫の微風に揺れる。

(……非効率。極めて、非合理的ね……バルガス・ギリアム)

 リトの脳内では、機体重量の増加による戦闘継続時間の短縮や、エネルギー効率の悪化が瞬時に演算されていた。

 けれど。

 彼女のコアの奥底で、カイと共有している感情の波形が、いつもより穏やかに、けれど確かな熱を帯びて拍動する。

(……でも。あなたがそこに『壁』として立っていてくれるなら。……カイの秒針は、どんな嵐の中でも、きっと刻むことを止めないわ。物理的な破壊は演算で防げても、心の折れる音までは防げない……それを守るのは、私ではなく、あなたのこの『鉄』なのね)

 リトは、自分が「物理の化け物」であることを誇らしく思った。

 魔法という借り物の光には決して出せない、鉄と想いが重なった時の、この絶対的な質量。愛を数式に変換することはできなくても、バルガスの背負う盾の厚みなら、今の自分にも、その意味が「理解」できた。

 リトはバルガスの広い背中に向けて、誰にも聞こえないほどの小さな、けれど確かな敬意を込めた信号を送った。

(……ありがとう、不器用な盾。……カイが迷った時は、私もその影に、一緒に避難させてもらうわ)

 リトはノイズと共に暗闇の中へ溶けていった。

格納庫には、再び図面を引く鉛筆の音と、鉄を磨く規則正しい音だけが、家族の鼓動のように静かに鳴り響いていた。








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