第三幕:深緑の迷宮《グリーン・ラビリンス》編 プロローグ
東方、シルヴァン国境付近。
太陽の光すら届かぬ鬱蒼とした原生林を、異質な「鉄の行軍」が侵食していた。
神聖アルカディア帝国、第4機甲中隊。
帝国の主力を担う汎用重装甲機『アイアン・グレイ』12機が、巨大なチェーンソー・バイヨネットで障害物を薙ぎ払いながら、我が物顔で森を進軍している。
隊列の中ほどで、オープンチャンネルの通信が開かれた。
「……おい、知ってるか? この森には『死神』が出るって噂」
「死神? 何だそれは、御伽噺か?」
「いや、マジな話だ。3年前にも、同じようにここへ侵攻した小隊があって……全滅したらしい。生存者はゼロ。通信記録も残さずに、森に喰われたって話だ」
若いパイロットの声には、湿気に当てられたような不安が滲んでいた。
だが、即座に隊長の怒声がそれを遮る。
「無駄口を叩くな! 貴様らは帝国の騎士だぞ!」
「は、はいっ! 申し訳ありません!」
「フン……。所詮は田舎の森だ。我ら帝国の装甲を貫ける牙を持つ獣など、存在せん。……このエリアを制圧し、反乱分子の拠点を叩き潰すぞ」
彼らの任務は、この未踏の樹海を帝国の版図に加えるための威力偵察と制圧。
万全の装備。圧倒的な物量。そして何より、帝国が誇る「絶対防御」の魔導障壁がある。
この任務が失敗する要素など、万に一つもないはずだった。
――そう、**「魔法の理」**の中で戦う限りは。
異変は、音もなく訪れた。
ちょうど、噂話をしていた若いパイロットが、何かの気配を感じて足を止めた瞬間だった。
ドパンッ!!
乾いた破裂音。
隊長が「どうした?」と振り返ったその刹那、部下の機体の頭部が、何の前触れもなく「消失」していた。
「……は?」
爆発ではない。魔法による溶解でもない。
分厚い複合装甲で覆われているはずの頭部が、まるで巨人の指で弾かれたように物理的に吹き飛び、遅れて巨大な胴体がズズン、と地響きを立てて崩れ落ちる。
「て、敵襲!! 全機、防御障壁展開!!」
隊長の絶叫と共に、残る11機が即座に球形の魔力障壁を展開する。物理、魔法、あらゆる属性攻撃を無効化する絶対の盾。
姿が見えぬなら、防いでから索敵すればいい。それが帝国の「定石」だ。
だが、その安堵は一秒も続かなかった。
ドォンッ!!
ギャリィィンッ!!
二機目。三機目。
展開されたはずの障壁が、紙細工のように貫通される。
防ぐ間もない。反応する暇もない。
見えない何かが、障壁に触れた瞬間、圧倒的な「運動エネルギー」で魔力の構成式そのものをねじ伏せ、その奥にある装甲を粉砕していく。
「馬鹿な……!? 障壁が機能しない!? マナ反応は!? 敵はどこから撃ってきている!?」
「あ、ありえません! センサーに反応なし! 熱源も、魔力波長も、ゼロです!!」
「死神だ……! やっぱり噂は本当だったんだ! うわああああっ!?」
四機目。五機目。
恐怖が伝染する。
見えない死神の鎌が、正確無比に、機械的に、彼らの命を刈り取っていく。
重装甲ゆえの鈍重さが、ここでは致命的な「的」となっていた。
ヒュンッ――ドォォォォン!!
音が後から追いついてくる。
超音速。いや、それすら凌駕する極超音速の弾丸。
着弾の衝撃だけで、巨大なアイアン・グレイが木の葉のように吹き飛び、大樹に叩きつけられて爆散する。
(……魔法じゃない。これは……ただの『金属』だ!)
残された隊長機は、飛び散った仲間の残骸を見て戦慄した。
そこに突き刺さっていたのは、魔力を帯びたクリスタルではない。
手のひらほどもある、巨大で、無骨で、黒ずんだ「鉛の塊」だった。
純粋な質量。
原始的な火薬の爆発力。
それを神業的な計算で一点に集中させることで、魔法障壁という「理屈」ごと物理的にぶち抜いたのだ。
「……ひっ、うわああああああ!!」
隊長は恐怖に駆られ、森の奥へと逃走を図った。重い機体を軋ませ、背中のスラスターを全開にする。
だが、その背中に、冷徹な死刑宣告が迫る。
ズドンッ。
最後の一発は、逃げる隊長機の動力炉を、数ミリの狂いもなく貫いた。
断末魔を上げることもなく、機体は爆発四散し、森の静寂へと帰っていく。
戦闘時間、わずか40秒。
12機の重装甲部隊は、敵の姿を一度も見ることなく全滅した。
後に残されたのは、鉄屑と化した残骸と、風に乗って漂う「灰」の匂いだけ。
◇
惨劇の現場から、直線距離で3000メートル。
誰も踏み入ることのない断崖の影に、その「影」は潜んでいた。
森の闇に溶け込む、ボロボロの布を纏った何者か。
その手には、身の丈を超える巨大で無骨な鉄塊――超長距離対物ライフルが握られている。
ジャキッ。
重々しい金属音が響き、ボルトが引かれる。
排出口から巨大な空薬莢が弾き出され、カラン、と岩肌に乾いた音を立てて転がった。
男か、女か。あるいは、人の形をした別のナニカか。
スコープの奥で光る眼の色さえ、深く被ったフードの闇に遮られて窺い知ることはできない。
ただ一つ確かなことは、その銃口から立ち昇る紫煙が、森の湿気と混じり合い、不吉なドクロのような形を描いて消えたことだけ。
「…………」
影は一言も発することなく、シケた葉巻に火をつける。
その動作はあまりに手慣れていて、そして無慈悲なほどに事務的だった。
帝国が恐れる「森の死神」。
その正体を知る者は、この森にはいない。なぜなら、その姿を見た者は例外なく、音が聞こえるよりも早く頭を吹き飛ばされているのだから。
死神は、静かに紫煙を吐き出し、再び森の闇と同化していく。
その殺意の境界線へ、今また一つ、新たな鉄の足音が近づいていることを、森だけが知っていた。
北嶺に刻んだ無限軌道の跡は、新たな雪によって既に白く塗り潰されていた。
だが、ガンドック号の格納庫には、確かにあの激闘の熱と、不器用な騎士が残した「塩辛いスープ」の記憶が温かく残っている。
別れは短く、そして重かった。
『次に会う時は敵同士だ』
そう告げたウラジミールの背中は、以前よりも大きく、そして迷いのないものだった。
彼もまた、腐敗した塔へ戻り、内側から戦うことを選んだのだ。ならば、こちらも止まるわけにはいかない。
進路は東方。
大陸の広大な面積を占める連合国家群、その一角に位置する『森の国・シルヴァン』。
景色は一変する。
視界を埋め尽くす白銀の世界は終わりを告げ、窓の外には、空すら覆い隠す巨大な樹々と、むせ返るような濃密な緑が広がっていた。
異常進化した植物。マナを含んで発光する胞子。そして、鉄を蝕む湿気と錆の匂い。
ここは、機械仕掛けの旅人にとっては「緑の地獄」。
だが、赤い少女――カグツチにとっては、自身を完全な姿へと導く「約束の地」だった。
『……聞こえるわ。カイ』
リトは、深緑の彼方を見つめ、自身の欠損した右肩を押さえる。
『あの深い森の底で……私の「右腕」が、ずっと誰かを待っている』
最強の「物理干渉能力」を秘めた、カグツチの右腕。
それが眠る古代遺跡は、マナによる結界と、帝国の執拗な監視網によって閉ざされた聖域だ。
忍び寄る影は、一つではない。
雪辱を誓う帝国の諜報部隊『幻影』。
そして、森の静寂を愛し、侵入者の眉間を無慈悲に撃ち抜く、伝説の「灰色の死神」。
物理と魔法。
鉄と自然。
相反する理が交錯する樹海で、少年たちの「音速の旅」は新たな局面を迎える。
――北の雪原を越え、東の樹海へ。
物理と魔法、鉄と自然が交錯する
ようこそ、鉛と湿気の地獄へ。
その森には、怠惰な死神が眠っている。
――第三幕、開幕。




