第24章:深緑への道標、あるいは騎士の背中
北嶺の空は、どこまでも高く、澄み渡っていた。
昨夜の吹雪が嘘のように、朝日は雪原を白銀の海へと変えている。その眩い光の中で、教国の回収艇が、静かな羽音のような駆動音を立てて着陸していた。
ガンドック号のハッチ前。
ウラジミールは、バルガスから借りていた厚手の防寒コートを脱ぎ、ボロボロになった聖騎士の法衣へと着替えていた。その布地には血と泥が染み付いているが、彼はそれを恥じる素振りもない。むしろ、その汚れこそが新たな「正装」であるかのように、背筋を伸ばして立っていた。
「……世話になったな、傭兵たちよ」
ウラジミールが短く告げる。
その視線は、バルガス、シエラ、ロキ、そしてカイへと順番に向けられた。
「おう。達者でな、騎士様。……次に会う時まで、その首洗って待ってろよ」
バルガスが腕組みをしてニヤリと笑う。
「ふん。貴公こそ、その腹の肉を少しは絞っておくことだ。……鈍った刃では、私の『泥』は払えんぞ」
憎まれ口を叩き合う二人の巨漢。だが、そこには以前のような殺気はなく、奇妙な男同士の敬意が流れていた。
ウラジミールは、最後にカイの前に立った。
身長差のある二人。騎士は、少年を見下ろし、静かに口を開いた。
「一条 魁。……貴公の言った『生きる味』、確かに受け取った」
「……うん。あのスープ、口に合ったなら良かった」
「塩辛くて、雑味だらけだった」
ウラジミールは微かに目を細め、フッと自嘲気味に笑った。
「だが……あんなに温かい食事は、久しく記憶にない」
彼は右手を差し出した。
カイは一瞬驚いたが、その泥だらけの手をしっかりと握り返した。
強く、分厚い手。
「カイ。次に会う時、私は教国の盾として、全力で貴公らを阻むだろう。……手加減はせんぞ」
「ああ。……その時は僕も、全力でその盾を砕きに行くよ」
握手は一瞬で解かれた。
ウラジミールは踵を返し、一度も振り返ることなく回収艇のタラップを昇っていった。その背中は、以前の煌びやかさはないが、何か重い覚悟を背負った男特有の、揺るぎない大きさを感じさせた。
回収艇が空へと消えていく。
それを見送るガンドック号の面々の顔には、一つの時代の終わりと、新たな嵐の予感が刻まれていた。
◇
「さて……感傷に浸ってる暇はないわよ」
ブリッジに戻ったシエラが、タバコを吹かしながらモニターを叩く。
画面には、あのアタッシュケースの中の石版から解析された、複雑な波形が表示されていた。
「ウラジミール卿が去って、石版の『信号』が変わったわ。……まるで、邪魔者がいなくなったのを喜んでるみたいにね」
「信号? ……今度はどこを指してるんだ、シエラ姉さん」
ロキが整備用端末を覗き込む。
シエラは地図データを展開した。
北嶺から南下し、帝国領を大きく迂回した先。大陸の東側に広がる、広大な緑色の領域。
「座標C-9エリア。……反帝国連合に属する独立国家群の一つ、『森の国・シルヴァン』よ」
その名を聞いた瞬間、ロキの顔色がサァーッと青ざめた。
「げぇっ……!? 森ぃ!? 嘘だろ、勘弁してくれよ!」
「どうしたんだよ、ロキ。そんなに嫌な場所なの?」
カイが不思議そうに尋ねると、ロキは頭を抱えて悲鳴を上げた。
「嫌な場所どころか、地獄だぞ! マナの影響で異常進化した植物がうじゃうじゃ生えてるし、湿気はすげえし! 何より……虫だ! 機械の隙間に入り込んで巣を作る、手のひらサイズの虫がいるんだよぉッ!」
「……うわぁ」
カイの顔も少し引きつる。
だが、シエラは淡々と続けた。
「文句は却下よ。……この信号の波形、ただの座標じゃないわ。明らかに『共鳴』してる。……リト、貴女なら分かるでしょ?」
シエラに話を振られ、実体化していたリトがカイの隣で静かに頷いた。
彼女は自分の右肩――欠損したままの断面に手を当て、どこか遠くを見つめるような瞳をしていた。
『……ええ。聞こえるわ』
リトの声は、微かに震えていた。
『私の……『右腕』。……あそこにあるわ。深い、深い森の底で……ずっと私を呼んでる』
その言葉に、ブリッジの空気が引き締まった。
カグツチの右腕。
それは、単なるパーツではない。リトが本来持っていた「マナ干渉能力」を司る、最強の矛だ。
「……決まりだな」
バルガスが操舵輪を握り、ニヤリと笑った。
「虫だの湿気だの、ガタガタ言うんじゃねえ! 俺たちのガンドック号は、どんな悪路だろうが突き進むだけだ!」
「ひぃぃ……! 錆止め剤! 錆止め剤を大量に調達しねえと……!」
ロキが半泣きで倉庫へ走っていく。
カイは、隣のリトを見た。
彼女は不安そうに、けれど期待に満ちた目で、東の空を見つめている。
「行こう、リト。……君の片割れを迎えに」
『……ええ、カイ。……お願い、連れて行って』
ガンドック号のエンジンが唸りを上げる。
白銀の北嶺を背に、鉄屑の船は大きく舵を切った。
目指すは東方、未踏の樹海。
そこには、古代の罠と、未知の守護者、そしてリトの「完全な姿」への鍵が眠っている。
――第三幕『深緑の迷宮』、開幕。




