第20章:虚飾の奇跡、あるいは泥濘の真実
「……これは、何だ」
ウラジミールの呟きは、雪原を吹き抜ける風に虚しく霧散した。
彼の駆る『パラディン・ホワイト』のセンサーは、目の前の赤い機体が内側から焼き切られていることを克明に伝えていた。だが、その光景に宿るのは聖なる浄化の輝きではない。ただの残酷な処刑の熱、そして、自らの背後にある指揮車両から放たれる、どす黒いマナの指向性信号だった。
彼は、自らが守るべき「正義」の最前線に立っていると信じていた。エリュシオンの教義こそが世界を救う唯一の理であり、カグツチというバグを消し去ることは、秩序を守るための聖業なのだと。
だが、通信回線から漏れ聞こえるヴァレリウスの笑い声が、その高潔な信念を泥足で踏みにじっていく。
「くくく……はははは! 見ろ、あの苦悶の表情を! 数千年前の呪いが、現代のガラクタを塵に変える。これこそが至福、これこそが神の審判だ!」
ウラジミールは、握りしめた聖剣の柄が軋むのを感じた。
自分は、この男の愉悦のために剣を振るっていたのか。この石版の受け渡しという「筋」の裏側で、教国は、最初からこの赤い機体と、その中にいる少年少女を「処刑」するために、自分を囮として配置したのか。
「……ヴァレリウス卿! 直ちに術式を停止せよ! これは正義ではない、ただの虐殺だッ!!」
怒号を上げるウラジミール。だが、ヴァレリウスの答えは冷酷だった。
「黙れ、青二才が。貴公はただの『看板』だ。光り輝く騎士の影で、私がこの世界の『汚れ』を間引く。それがこの国の、真実の姿よ」
その言葉に、ウラジミールの視界が暗転した。
民の希望、騎士の誇り、白亜の権威――。彼が命を賭して守ってきたすべての価値が、ヴァレリウスの笑い声一つで、脆い砂上の楼閣のように崩れ去っていく。彼は、自らの聖剣が、実は罪なき者を屠るための屠殺包丁に過ぎなかったという事実に、激しい嘔吐感を覚えた。
だが、その絶望を切り裂いたのは、一筋の「ノイズ」だった。
「……? 何だ、この波形は」
ヴァレリウスの余裕に満ちた声が、微かな困惑に震えた。
指揮車両のモニター。そこには、カグツチを焼き切るはずの「呪いの数式」が、見たこともない速度で書き換えられていく光景が映し出されていた。黒いマナの奔流が、突如としてその色を変え、物理的な『振動』へと変換されていく。
「馬鹿な……!? 誰が介入している! 私の術式は、教国最深部の魔導演算機で暗号化されているはずだ! 外部からのハッキングなど、物理的に不可能……ッ!」
ヴァレリウスは狂ったようにコンソールを叩いた。だが、画面に現れたのは、かつて彼が「異端」として葬り去った、あの学者が遺した解析プログラムの残響。
そして、それ以上に彼を驚愕させたのは、その術式の同期信号だった。
「な、何だこの不規則な振動は……! 誰がこんなデタラメなリズムで、私の聖なる数字を汚している!?」
それは、カイの「故障した膝」が生み出す、演算不能な物理の拍動だった。
シエラの執念と、カイの欠落。ガンドックが抱える「歪み」のすべてが今、教国の築き上げた数千年の偽証を粉砕していく。
「――消えなさい。ゴミ箱への直行便よ、ヴァレリウス」
通信回線に割り込んだシエラの冷徹な宣告と共に、カグツチから放たれた衝撃波が術式を逆流させた。
石版の黒い光は、透き通った無色へと変質し、吹雪の中に巨大な物理の柱を打ち立てる。
「あり得ん……あり得んッ!!」
ヴァレリウスの悲鳴が響き渡る中、修道院の尖塔が内側からの圧力に耐えかねて爆散した。
崩落する瓦礫の中から、重力を無視して飛び出したのは、一振りの漆黒。
ウラジミールは失意の中で、ヴァレリウスは驚愕の中で。二人は、自分たちの文明が決して生み出せない、最強の産声を目撃する。
「……カイ、掴んで! 私の『心臓』が、あれを呼んでる!!」
リトの叫びに応え、カグツチの左腕が空を舞う漆黒の太刀を掴み取った。
瞬間、カイと直結したリトの意識が加速する。
機体の右側。本来なら腕のないはずの空間に、赤茶の光を放つホログラムが展開された 。
それは実体化したリトの右腕。彼女の幻影が、カイの左腕に添えられるように漆黒の柄を握り、失われた半身を補完する 。
「――抜刀」
漆黒の刃が鞘を離れた瞬間、戦場から「マナ」という概念が消失した。
超科学がもたらす極限の物理。その一閃が、今、白銀の戦場を両断する。




