第18章:白亜の騎士と赤い鬼、あるいは赤いガラクタ
雪煙を上げ、ガンドック号のハッチから飛び出したカグツチの前に、それは立ちふさがっていた。
吹雪の白に溶け込むような、汚れなき白磁の装甲。魔導国エリュシオンが誇る最新鋭魔導鎧、『パラディン・ホワイト』。その手には、高密度のマナが収束した美しい輝きの長剣が握られている。
「止まれ、異端の機体よ」
外部スピーカーから響くのは、凛として迷いのない青年の声。ウラジミールだ。
「私は聖騎士団長ウラジミール。北方諸国連合、および我が教国の合意に基づき、貴殿らが運んでいる『石版』の引き渡しを要求する。……武器を収め、速やかにこちらへ渡すがいい」
カグツチのコクピットで、カイは操縦レバーを握る手に力を込めた。隣に座るリトの吐息は荒く、モニターの端では石版との異常共鳴を示す警告灯が真っ赤に明滅している。
「……リト、大丈夫か?」
「……ええ。でも、あの機体……癪に障るほど『綺麗』ね。あの中に、不純なマナの匂いが充満してるわ」
カイは外部回線を開き、白亜の騎士へ向けて言い放った。
「断る!……この石版は渡せない。僕たちは、依頼を放棄したんだ」
「……何だと?」
ウラジミールの声に、微かな困惑が混じる。
「この任務は、国家間の正式な合意によるものだ。報酬も支払われるはず。なぜ今になって、そのような不誠実な真似を……。傭兵とはいえ、貴殿らにも通すべき筋があるはずだろう」
ウラジミールにとって、これは純粋な法と秩序の執行だった。石版を受け取り、速やかに帰還する。それが民を救い、均衡を保つための「正しい」手続きだと信じているのだ。その石版がカグツチを焼き切る「猛毒」であることなど、彼は露ほども疑っていない。
「筋だって……?」
カイの脳裏に、苦しむリトの姿と、シエラが語った残酷な真実が過る。
「あんたたちの言う『筋』は、この子を殺すための罠だ! 僕たちは、仲間を見捨てろって命令には従わない。……それが、ガンドックの『筋』だ!」
「――問答無用というわけか。残念だ」
ウラジミールは静かに剣を構えた。マナの奔流が周囲の雪を蒸発させ、白銀の世界に一本の「道」を刻む。
「国家の合意を違え、聖域を乱すというのなら、容赦はしない。……我が剣に懸けて、その『不具合』をここで断つ!」
『来るわよ、カイ! くるくる回る魔導演算なんて、あなたの「剣理」で叩き潰してやりなさい!』
リトの叫びと同時に、カグツチが雪原を蹴った。
一腕の赤い鬼と、白亜の聖騎士。正義と真実、相容れぬ二つの光が、凍てつく空の下でついに激突した。
大気が悲鳴を上げた。
カグツチの左腕に握られた大型スパナが、『パラディン・ホワイト』の聖剣と真っ向からぶつかり合う。物理の重質量と、マナの光波。火花というにはあまりに猛烈な熱が、周囲の積雪を一瞬で水蒸気へと変え、視界を白く染め上げた。
衝撃波で周囲の雪が円形状に吹き飛ぶ中、ガンドック号のハッチが再び勢いよく跳ね上がった。
「野郎ども、教国のお坊ちゃんたちに『現場の厳しさ』を叩き込んでやれ!」
バルガスの咆哮と共に、三機の無骨なシルエットが雪原へと躍り出た。ガンドック傭兵団の主力機、『テツカブラ・寒冷地改』だ。
「へへっ、ロキ特製、排熱循環仕様だ! オイルが凍る前に敵をバラバラにしな!」
甲板から叫ぶロキの言葉通り、テツカブラの各部からは、無理やり出力を上げた排熱の蒸気が荒々しく噴き出している。
「オラオラ! 洗練されてるだけの動きじゃ、この雪の中じゃ通用しねえぞ!」
先陣を切ったバルガスのテツカブラが、その巨体に見合わぬ瞬発力で雪を蹴った。最新鋭の魔導鎧を凌駕する「重厚な突進」。聖騎士団の『パラディン・ジュニア』が放つ流麗な刺突を、肉厚の装甲で強引に弾き飛ばし、大型の破砕槌を振り下ろす。
「なんだ、この機体は!? マナの波形がデタラメだぞ!」
驚愕する聖騎士たち。ナッツとガストンのテツカブラも、ロキが即興で取り付けた「融雪用バーナー」を攻撃に転用し、視界を奪いながら泥臭く敵を翻弄していく。
「悪いっスね! こっちは生き残るのが仕事なんスよ!」
戦場は、高潔な決闘の場から、泥と油にまみれた「乱戦」へと変貌した。その中心で、カイとウラジミールは、周囲の喧騒が消えたかのような極限の集束の中にいた。
「――っ、何という重さだ……!」
ウラジミールは、操縦席に伝わる「規格外」の衝撃に目を見張った。魔導演算による補助があるはずの機体が、ただの「鉄の塊」に押し込まれている。
対するカイの視界も、警告の赤一色に染まっていた。
「くっ……リト! 補助演算なんて頼るな、僕の膝のリズムに合わせろ!」
『言われなくても……やってるわよ! カイ、右! 物理法則を捻じ曲げるマナの位相が来る!』
パラディン・ホワイトの肩部から、青白い魔導障壁が展開される。それは物理的な盾ではなく、空間そのものの「硬度」を書き換える概念防御だ。カグツチの渾身の振りが、障壁に弾かれ、空を切った。
「無駄だ。我らが『奇跡』は、貴公のような歪な力を通しはしない」
ウラジミールが冷静に聖剣を振り下ろす。絶対零度の冷気を纏った一撃が、カグツチの右側の空隙――腕のない、最も脆い部分を狙い撃った。
「――させない!」
カイは反射的に、右膝の「悪いリズム」を逆手に取った。カグツチの脚部スラスターが、関節の歪みに合わせて不規則な爆発的加速を起こす。赤い機体は物理の限界を超えた挙動で冷気の刃を回避し、そのままパラディン・ホワイトの懐へと潜り込んだ。
「何……!? 演算不能な加速だと……!?」
ウラジミールの青い瞳が驚愕に揺れる。彼が学んだ「正しい」戦術の中に、膝の故障を加速に変えるようなデタラメな理屈は存在しなかった。だが、騎士団長の反射神経もまた常人を超えていた。
「だが、浅い!」
ウラジミールは至近距離で聖剣を逆手に持ち替え、光の壁を作るように薙ぎ払った。
――キィィィィィィィィン!!
カグツチの左腕にあった大型スパナが、光の刃に触れた瞬間、バターのように滑らかに切り飛ばされた。鉄の残骸が雪原に突き刺さり、カグツチの武器は完全に失われた。
「終わらせる。……聖域を汚す残骸よ、土に還れ!」
ウラジミールが勝利を確信し、とどめの刺突を放とうとした、その時。後方の指揮車両から、禍々しい黒のマナ信号が戦場を塗りつぶした。
「……くくく、時は満ちた。始めろ。聖なる封印の『開放』だ」
ヴァレリウスの冷酷な合図と共に、修道院の尖塔から極太の光条が放たれ、シエラの持つ石版を中継点としてカグツチへと直撃した。
「あああああッ!!」
リトがのけぞり、全身から青白い火花を上げる。彼女の演算人格を内側から焼き切る、数千年前の「呪い」が牙を剥いたのだ。
「リト!!」
カイの叫びも虚しく、メインモニターは死を告げるノイズに染まり、カグツチの全身からオーバーヒートの白煙が噴き出す。
武器を失い、半身を焼かれ、動くことさえ叶わない。
雪原に響くのは、ヴァレリウスの嘲笑。
そして、己が信じた「決闘」に泥を塗られたウラジミールの、凍りついた沈黙だけだった。
「……これが、お前たちのやり方か……ッ!」
カイの絶望的な呻きが吹雪に消える。
赤いガラクタは動かない。絶体絶命の闇が、戦場を支配した。




