幕間:鋼の妖精、あるいは鉄塊の中の迷い子――ガンドック号、真夜中の大騒動
バベルの荒野を後にしたガンドック号は、ゆっくりと、しかし確実に北へと進路を取っていた。甲板には、昼間の激戦の痕が生々しく残り、ロキが懐中電灯片手にリトの応急処置に精を出している。カイは、その傍らで自分の右膝をさすりながら、リトの「心音」に耳を傾けていた。
「……あの子、疲れてるかな。あんまり話してくれないや」
「そりゃそうだろ、バカ。今日一日で、帝国の精鋭小隊をぶっ飛ばしたんだ。お前と違って、あいつは繊細なんだよ」
ロキは口ではそう言いながらも、いつもよりずっと優しい手つきで、リトの装甲を拭っていた。彼の指先から伝わる微かな橙色の熱が、カイには感じ取れた。
その日の夜中。
ガンドック号の静寂を切り裂いて、シエラの悲鳴が響き渡った。
「――っっ!? な、何よ、あんた誰なの!?」
団員全員が飛び起きる。ロキはスパナを片手に、バルガスは寝間着のまま愛銃を構え、カイは松葉杖も忘れそうになりながら、ブリッジへと駆けつけた。
そこには、震えるシエラが、まるで幽霊でも見たかのように青ざめた顔で立っていた。そして、その視線の先――。
「……ここが、ブリッジ……? あら、思ったより散らかっているのね。計算ミスだわ」
そこにいたのは、煤けた軍服を纏い、片腕を失った、けれど気高く美しい銀髪の少女だった。
彼女は透き通るような白い肌を持ち、年齢はカイと同じくらいだろうか。しかし、その瞳には数千年の時を視てきたかのような、深い叡智が宿っている。
そして何より、その姿は、カイの脳内にしか存在しなかった**「リトの意識の具現化」**そのものだった。
「リ、リト……!?」
カイが震える声で呟くと、少女は彼を一瞥し、ふわりと微笑んだ。
「ええ。……どうしたの、カイ。まるで初めて会ったみたいな顔をしているわね」
「いやいやいやいや、初めて会うだろ普通に! お前、なんでそこにいるんだよ!? 機体の中じゃねえのかよ!?」
ロキが叫んだ。彼の頭は、完全に混乱していた。
「……機体? ああ、私の身体のことね。少し演算が過熱したから、一旦システムを切り離して、主従の神経バイパスから直接情報を抽出しているのよ。実体化……とでも言うのかしら」
少女は、何でもないことのようにあっけらかんと言い放つ。その背後には、ブリッジに設置された多連装魔導砲の制御盤がある。彼女は無意識に、その制御盤の配線に指先を触れていた。
途端、制御盤のランプが一斉に明滅し、船体の魔導砲が奇妙な唸り声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 勝手に艦のシステムに触らないで! 機密なのよ機密!」
シエラが悲鳴を上げた。彼女の厳重なセキュリティを、少女はただ触れただけで軽々とハッキングしているのだ。
「フン……。ブリッジに少女が迷い込んできただと? シエラ、お前も色男と良い仲になったもんだな……って、おい、その娘……」
バルガスが、頭を掻きながらブリッジに入ってきた。彼の視線が少女の顔を捉えた瞬間、彼の目が見開かれた。
「……カグツチ……? いや、まさか。あの古代機が、こんな姿に……?」
バルガスの記憶の奥底に眠る、古代の伝承。そこに描かれた「神」の姿が、目の前の少女と重なったのだ。
「ふふ。久しぶりに、外の空気が吸いたくなったの。それに、私の身体の『調整』がどれだけ進んでいるか、あなたたちの『身体』で確認したかったのよ」
リトはそう言うと、片腕を失った自身の肩を撫でた。その表情には、どこか寂しげな色が浮かんでいる。
「待て待て待て待て! 身体で確認ってどういうことだ!? とにかくお前、俺たちの任務の邪魔はしてくれるなよ!」
ロキがスパナを振り上げて詰め寄るが、リトは涼しい顔で、彼の鼻の頭についたオイルを指先で拭った。
「あら、汚れているわよ、主任整備士殿。……大丈夫。邪魔はしないわ。ただ、もう少しこの『家』の様子を見ていたいの」
リトの指先が触れた瞬間、ロキの顔は真っ赤になった。そして、彼とリトの間で、奇妙な「熱」が伝わったような気がした。
「……あ、あの……リトさん。あの、俺……ロキって言います」
「知っているわ、ロキ。あなたの手は、とても温かかったもの」
リトは微笑み、ロキは顔を真っ赤にしてフリーズした。シエラはそれを見て、タイプライターを叩く指を止め、眉をひそめた。
「……カイ。あんた、こんなとんでもないものを、一体どこから拾ってきたのよ……」
シエラの冷たい視線がカイに突き刺さる。
カイはといえば、ようやく手にした松葉杖をガタガタと震わせながら、目の前の光景に呆然としていた。
(……リト、これ……僕のせい、なのかな……)
(ええ、カイ。あなたが私を呼んだのよ。……さあ、これからもよろしくね、私の『半身』)
ブリッジに迷い込んだ美少女。それは、ガンドック号に新たな混乱と、そして希望をもたらす「鋼の妖精」の誕生だった。
ガンドック号は、北の魔導国へと向かう航海の中で、さらなる騒動の渦中に巻き込まれることになる。




