幕間:鉄の重み、あるいは古兵《ふるつわもの》の酔い言――バルガス・ギリアムの独白
安っぽい合成ウイスキーの琥珀色が、ひび割れたグラスの中で揺れている。
バベルの夜は、相変わらずオイルの焦げた臭いと、行き場を失った連中の湿った吐息に満ちてやがる。
俺の愛機――テツカブラの、ボロボロになったハッチの上に腰掛けて、ガンドック号の静かな寝息を聞く。この時間が、俺にとっては唯一、帝国の「騎士」だった自分を完全に忘れられる時間だ。
「……はぁ、全くだ。えらいもんを拾っちまったもんだ」
グラスを煽り、喉を焼くアルコールの刺激に目を細める。
視線の先には、格納庫の奥で静かに佇む「赤いガラクタ」がある。カグツチ。かつての神話の残滓。
昼間の戦いであいつが撒き散らした熱量は、今でもこの鉄の壁に染み付いてる。帝国軍の最新鋭機を、ただの「速さと重さ」だけで叩き潰した、あの無慈悲なまでの物理の輝き。
あれを見た時、俺の古傷が、奇妙な歓喜で疼きやがった。
俺は、かつて帝国の「内側」にいた男だ。
『神聖アルカディア帝国』。あの白磁のように美しく、氷のように冷徹な巨大な機械仕掛けの国。
あそこでは、魔力がすべてだ。魔力の多い者が正義を語り、魔力の低い者は、文字通り「歯車」として使い潰される。
俺は、その『完璧』に吐き気がした。だから、部下を連れて逃げた。
規律と魔力に支配された騎士の称号を捨てて、泥にまみれた「傭兵」の道を選んだんだ。
だが、逃げた先で出会ったあの少年――カイ。
あいつをバベルの泥の中から拾い上げた時、俺は正直、すぐに死ぬだろうと思ってた。
足は折れ、魔力もなけりゃ、生きる気力も枯れ果てていた。あの虚ろな目は、戦場で使い捨てられた敗残兵のそれと同じだったからな。
それがどうだ。
あいつは今、リトという名の新しい「足」を得て、空を裂く一閃になった。
あの赤い機体、リト。
ありゃあ、ただのレガリアじゃねえ。
ロキの奴は「物理の化け物」なんて震えてたが、俺には分かる。
あいつは「怒り」なんだ。
魔導文明という、安直で、傲慢で、人の意志を奪うシステムに対する、数千年の時を超えた「鉄の意地」そのもんだ。
魔力がないからと切り捨てられたカイと、魔力を拒絶したからと打ち捨てられたカグツチ。
あの二人が出会ったのは、偶然じゃねえ。
この歪んだ世界が、自分たちを正すために生み出した「カウンター」……あるいは「劇薬」なんだろうよ。
だが、事態は呑気にガラクタ弄りをしてられるほど甘かぁねえ。
シエラが命懸けで持ち出し、今も船の奥で眠っている『石版』。
帝国の至宝にして、超古代機を呼び覚ますための起動キー。
俺たちの任務は、こいつを北の**『聖エリュシオン教国』**――魔導国へ送り届けることだ。
帝国アルカディアとは対極をなす、魔導の頂点。
あそこなら、リトを本来の姿に戻すための「失われた技術」も、帝国から逃げ切るための「聖域」も手に入るはずだ。
だが、そこへ辿り着くためには、帝国の封鎖線を真正面からぶち破らなきゃならねえ。
今日、俺たちはゼノスの小隊を退けた。だが、あいつは規律の化身だ。負けたことを、絶対に認めねえ。
次は、より大きな軍勢を、より残酷な最新兵器を引き連れてくるだろう。
平和な、ただのジャンク屋でいられる時間は、もう終わりだ。
明日から、ガンドック号は「バベルの裾野」を離れ、極寒の北嶺を越えて魔導国へと船を向ける。
シエラは、また請求書の額を見てため息をつくだろう。
ロキは、リトの改修に寝る間も惜しんで没頭するだろう。
そしてお前は、カイ。お前はさらに深く、あの赤い魔女とのシンクロを深めていく。
俺の仕事は、その道中の「掃除」だ。
このテツカブラが動く限り、お前の背中と、この家族の居場所は俺が守ってやる。
お前が、あの忌々しい帝国の境界を越え、本当の「自由」を掴み取るその時までな。
……あのアホ面の弟子が、まさか世界をひっくり返すレジスタンスの旗印になるとは。
拾った時の俺に教えてやりたいぜ。
風が冷たくなってきたな。
夜明けは近い。
灰色の煤に覆われたバベルの空が、少しずつ白んでくる。
カイ、ロキ、シエラ。
お前たちは俺の誇りだ。
不器用で、欠陥だらけで、けれど誰よりも眩しい鉄の家族だ。
「……行くぞ、ガンドック。……出航だ」
俺は最後の一滴を飲み干し、空になったグラスを甲板に置いた。
腹の底から、震えるような武者震いが込み上げてくる。
第一幕は、ここまで。
ここから先は、氷の山脈と、帝国の追撃が待ち受ける修羅の道だ。
だが、構やしねえ。
俺たちは、自由を掴むためにこの鉄の船を動かしてんだからな。
さあ、第二幕の幕を上げろ。
聖なる地を目指して、世界がひっくり返る音を聞かせてやろうじゃねえか。




