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第12章(上):神速の降臨《フィジカル・ゴッド》、あるいは空を裂く一閃

 『これは、試合の前のあの感覚だ』

 カイは、リトの心臓部コクピットという狭く暗い聖域の中で、懐かしい感覚に身を委ねていた。

 かつて世界大会の決勝戦、開始の合図を待つ瞬間にだけ訪れた、絶対的な静寂。周囲の歓声は遠のき、空気の揺らぎさえもが凍りつき、ただ自分の鼓動と、相手の「起こり」だけが宇宙のすべてになる、あの極限の集中。

(……リト、聞こえる? 雑音が、消えていくよ)

(ええ、カイ。……わたしたちの感覚が、一つの『理』に溶けていく……)

 ガンドック号の格納庫ハッチが、ゆっくりと、けれど重々しく開いていく。

 外は、爆煙と魔導弾の閃光が飛び交う地獄絵図だ。バルガスのテツカブラが、三機の帝国機に囲まれ、排熱の蒸気に塗れながら必死に防盾を掲げている。シエラの指揮するガンドック号も、船体左舷から火を噴き、断末魔のような軋み声を上げていた。

 だが、カイの「眼」に映る景色は、それとは全く異なっていた。

 リトの物理演算回路が、戦場を「数値」と「軌跡」へと解体していく。

 吹き荒れる風のベクトル。敵機が噴射するマナの密度。重力加速度の減衰値。

 すべてが、カイの脳内に透明な「糸」となって視える。

「――カイ! 行けぇッ!!」

 ロキの絶叫が通信機越しに響いた。

 その瞬間、カイの意識が「前」へと踏み込んだ。

 

 ドォォォォォンッ!!

 

 爆発音ではない。

 リトの脚部、数千の歯車と超圧縮クランクが、一億分の一秒の狂いもなく噛み合った際に生じた「物理の咆哮」だ。

 赤いガラクタ――カグツチは、ガンドック号の甲板を「粉砕」して跳躍した。

 滞空時間は、存在しない。

 魔力で浮遊する近代機には不可能な、純粋な反発力による超高速移動。

 

「……なっ、なんだ!? 赤い……影か!?」

 テツカブラを追い詰めていた帝国軍のパイロットが、センサーの異常を疑った。彼のレーダーには、何も映っていない。魔力を一切発しないカグツチは、近代の魔導センサーにとっては「存在しない空虚」でしかないからだ。

「――一本」

 カイが呟く。

 リトの右腕はない。だが、その欠落すらも重心制御の一部として組み込んだカイは、左腕一本で、すれ違いざまに敵機の首筋――マナの循環が集中するネック・ジョイントを、手首のスパナを振るうような軽やかさで叩き切った。

 ガッ……。

 一瞬の接触。魔導シールドが反応するよりも速い、物理的な破砕。

 一機のアイアン・グレイが、何が起きたかも理解できぬまま、頭部を失って砂漠へと垂直に墜落した。

「何だと……!? 先遣隊の一機が沈黙! 敵の増援か!?」

 後方で指揮を執っていたゼノスの顔が、驚愕に歪む。

「馬鹿な、マナ・サインが皆無だぞ! 物理光学カメラで追え! 拡大しろ!!」

 モニターに映し出されたのは、あまりにも無惨な、けれど美しく躍動する「赤い化け物」だった。

 右腕を欠き、装甲の隙間から橙色の真空管の光を漏らすその姿は、近代的なギアに慣れた彼らの目には、死者の執念が鉄に宿った呪物にしか見えなかった。

「リト、左から二番目。……その次は、三時方向の岩影」

(了解。……リミッター、解除。……『音』を、置き去りにしましょう)

 リトの全身が、微かに震える。

 それは恐怖ではない。全関節が同調し、物理法則の極北へと挑む歓喜の震えだ。

 次の瞬間、戦場から「音」が消えた。

 

 ――超音速突破ソニックブーム

 

 リトが大地を蹴るたび、円形の衝撃波が砂塵を吹き飛ばし、周囲の空間を歪ませる。

 帝国軍の放つ魔導弾。それは美しい光を放ちながらカイを追うが、リトの計算された機動の前では、止まっているも同然だった。

 カイは、飛来する光弾の「隙間」を縫うように走る。一条流の身のこなし。最小限の動きで最大の結果を出す。

「当たらねえ……! 奴、ミサイルより速いぞ!!」

「化け物め、マナを使わずにどうやって動いて――」

 言い終える前に、リトの左拳が敵機の胸部装甲を突き破っていた。

 魔導障壁シールドが紙細工のように引き裂かれる。シールドはマナによる干渉を遮断するが、リトのような「圧倒的な質量と速度」による物理圧力には、かえって脆かった。

「……二人目」

 カイの意識は、加速し続ける。

 右足が動かないという事実は、リトという「巨大な義足」を得たことで、最強の武器に変わっていた。

 脳が焼けるような演算量。だが、カイの精神はどこまでも澄み渡っていた。

 

 バルガスが、唖然としてコクピットからその光景を見ていた。

「……おい、嘘だろ。あのボロ……いや、カイか? あんな動き、人間ができるもんじゃねえぞ……!」

 シエラもまた、ブリッジでモニターを凝視したまま凍りついていた。

「魔力を使わずに、空気抵抗を計算して推進力に変えてる……? まるで、戦場そのものが、あの子の味方をしてるみたい……」

 そして、ロキだけが、自分の膝の震えを必死に抑えて笑っていた。

「へっ……ざまあ見ろ。これが、俺たちの『0.5ミリの真実』だ。……行け、カイ! 世界をぶっ壊してこい!!」

 戦場の中央。

 赤い一閃が、円を描くようにして帝国軍の陣形を次々と分断していく。

 一腕のリトが跳ねるたび、帝国の「誇り」である最新鋭機が、音を立ててスクラップへと変わっていく。

 

 ゼノスは、自分の拳が震えていることに気づいた。

 それは、石版を奪われた焦りではない。

 自分が信じてきた「魔力」という世界の理が、ただ一機の、腕もない「ガラクタ」によって、無慈悲に、そしてあまりにも美しく否定されていることへの――根源的な恐怖。

「……総員、最大出力で迎撃せよ!! あれを……あの『赤い災厄』を、生かして帰すな!!」

 ゼノスの絶叫とともに、帝国軍の残存全機が、一斉に魔導剣を抜き放ち、リトへと殺到する。

 だが、カイは笑っていた。

 視える。

 敵の絶望、恐怖、そして迷いが生む「不協和音」。

「……リト、最後の一撃。……一条流、奥義」

(ええ、カイ。……最高の一撃を、叩き込みましょう!)

 砂塵の向こうから、一筋の橙色の光が、太陽を置き去りにして奔った。

 

 それは、ガラクタが神話へと変わった、最初の黎明だった。

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