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幕間:折れた秒針と再起動《リブート》の産声――一条カイの独白

警告音が鳴り響くガンドック号の格納庫。その喧騒が、今の僕には遠い水底の音のように聞こえる。

 リトのコクピット。鋼とオイルの臭いに満ちたこの狭い空間で、僕は目を閉じ、あの日、僕の世界が止まった瞬間のことを思い出していた。

 ――パキィィィン。

 一年経った今でも、その音は耳の奥で鮮明に響く。

 全日本中学剣道選手権の決勝。勇吾という、僕が唯一「対等」だと信じた好敵手の熱を、真っ向から受けていたあの瞬間。

 僕は「速さ」を求めた。誰にも届かない場所へ、コンマ数秒を切り裂く神の領域へ。けれど、僕の未熟な骨格は、その加速に耐えきれなかった。

 膝が砕け、視界がアスファルトのように暗転したとき、僕が見たのは勇吾の呆然とした顔。そして、観客席の最上段で、酷く美しく、歓喜に震えて微笑んでいた姉・澪の顔だった。

「――ああ、やっとゴミを捨ててくれたのね」

 彼女のあの笑みを、僕は一生忘れない。

 僕が血を吐きながら積み上げた「天才」の称号も、「神童」としての輝きも、彼女にとっては僕を縛り付けるための不必要な装飾に過ぎなかった。

 足を失い、歩けなくなった僕を、彼女は献身という名の檻に閉じ込めた。

 白磁のような指先が僕の傷跡をなぞるたび、僕の心は腐っていった。絶望している僕だけが彼女の計算通りであり、彼女にとっての「完璧な人形」でいられたから。

(……ずっと、このままでいいのよ。私が、あなたの足になってあげるから……)

 あの時、僕は死にたかったんじゃない。ただ、誰かに「お前はまだ戦える」と言ってほしかったんだ。でも、一条家には、僕の居場所はもう「壊れた人形」としてしか残されていなかった。

 だから、この世界に放り出されたとき、僕は本当は、自分を笑っていた。

 魔力すらない。足も動かない。そんな「ゴミ」が、血とオイルの戦場に放り出されて、何ができるっていうんだ。

 そう思って、泥水の中で目を閉じた僕に、この世界はあの一言を投げつけた。

「おい、坊主。死ぬ前に飯を食え」

 バルガスさん。あの人の差し出したバベル煮は、ひどい臭いで、熱くて、ひたすら力強かった。

 「完璧」を求めて自滅した僕に、あの人は「壊れたら直せばいい」と笑った。一条家にはなかった、泥臭い生の肯定。

 そしてロキ。あいつは僕の「眼」を、呪いではなく「才能」だと言ってくれた。

 一条家で姉にトレースされ、奪われるだけだった僕の視覚。それが、この世界では「鉄を癒すための力」になった。

 松葉杖をつきながら、バベルのゴミ溜めを這い回る毎日は、確かに鈍重で苦しかった。

 でも、あの清潔な檻の中にいた頃より、僕はずっと「生きて」いたんだ。

 僕はもう「天才・一条魁」じゃない。

 ただの、泥にまみれた整備士見習いのカイだ。

 そして、暗闇の底で出会った、君。

(……あつい、ま力が、あつい……! きて……こないで……!)

 リト。君が悲鳴を上げていたとき、僕は自分を見た気がした。

 誰にも理解されない力を持ち、それを疎まれ、無理やり変えられようとして、最後には「欠陥品」として打ち捨てられた君。

 君も、僕と同じように「速さ」を求めたんだね。

 魔力という安易な力に頼らず、ただ物理の理を突き詰めた結果、世界から拒絶されたんだね。

 僕を「足」として支配しようとした姉。

 でも、リト。君は僕を「半身」だと言ってくれた。

 

 神経が繋がっていく。

 銀色のフィラメントが僕の体に絡みつき、意識がリトの深淵へと溶け込んでいく。

 今、僕の右足には感覚がない。でも、リトの駆動肢フレームを通して、バベルの荒野の感触が、地響きが、風の抵抗が、手に取るようにわかる。

 

「……不思議だね、リト」

(なにが……?)

「一条家で姉さんに抱かれていた時より、今、この鉄の塊の中にいる時の方が、ずっと自由な気がするんだ」

 勇吾。君に届かなかったあの一撃。

 あの日、パキィィィンと折れた僕の秒針。

 それが今、リトの心臓部コアが刻む重厚な鼓動に合わせて、再び回り始めている。

 

 外ではバルガスさんが、シエラさんが、僕に居場所をくれた人たちが命を懸けて戦っている。

 ロキが、汗まみれになって僕を送り出してくれた。

 

 姉さんは「足なんて治らなくていい」と言った。

 でも、リト。君となら、僕はあの日失った「速さ」を……いや、それ以上の、世界さえも置き去りにする「本当の真実」を掴める気がするんだ。

 

 リトの赤い装甲が、僕の怒りと呼応して熱を帯びる。

 欠損した右腕。ボロボロの機体。

 それがなんだ。僕たちは、最初から「欠陥品」として出会った。

 だからこそ、二つ合わされば、どんな完璧な神様よりも強く、速くなれる。

 

「……見ていて、勇吾。……そして、姉さん」

 

 僕は一条魁。

 あの日死んだ少年の名は、もう過去のものだ。

 

 僕は今、リトと共に、この腐った理《魔力》を切り裂く、一振りの「剣」になる。

 

「行くよ、リト。……僕たちの速さに、誰も追いつかせない」

(ええ、カイ。……全回路、直結。……わたしたちの秒針を、今、動かしましょう)

 

 ハッチが開く。

 眩しい光。煤混じりの風。

 僕は松葉杖を捨て、リトの意識という「新しい足」で、深淵から一気に跳ね上がった。

 

 ――パキィィィン。

 

 脳内で鳴ったのは、あの日と同じ音。

 けれどそれは絶望の音じゃない。

 僕を縛っていた呪いの鎖が、粉々に砕け散った音だった。

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