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第10章:鋼の接吻《メタル・コンタクト》、あるいは物理の聖域

ガンドック号の地下ドック。重いシャッターが閉じられ、湿ったオイルの臭いと、白熱灯のチカチカとした光だけが支配する密室に、その「異形」は鎮座していた。

 赤い装甲を脱ぎ捨て、フレームを剥き出しにされたカグツチ――《リト》の姿を前にして、ロキは三十分間、一度も瞬きをせずに立ち尽くしていた。

「……ありえねえ」

 ロキの手から、愛用のスパナが床に落ちて、乾いた音を立てた。

魔導回路マナ・ラインが……どこにも通ってねえ。それどころか、マナを蓄積するための魔導核オーブを置くスペースすら、設計段階から削られてやがる」

 ロキの「眼」が、リトの背骨にあたる主軸フレームをなぞる。そこにあるのは、魔導工学の常識を真っ向から否定する、狂気的なまでの「歯車とクランク」の積層だった。

 近代の機体ギアが、魔力という万能の燃料で「浮いて」動くのだとすれば、この機体は、鋼と鋼を噛み合わせ、爆発的なトルクを全関節に伝達する――純粋な力学の化け物だ。

「カイ。お前、よくこんな『鉄の塊』を動かせたな……」

「……僕が動かしたんじゃないんだ、ロキ」

 カイは、リトの剥き出しになった神経系――銀色のフィラメントを、一本ずつ丁寧にウエスで拭きながら答えた。

「この子が、僕の神経に手を伸ばしてきたんだ。僕の右膝が砕けてることも、そのせいで重心が左に寄ってることも、この子は全部知ってた」

神経接続ニューラル・リンクだと? バカ言うな、そんなの……」

 ロキは言いかけて、言葉を呑み込んだ。

 カイが触れている箇所。そこから、かすかに橙色の光が漏れている。それは魔力の輝きではない。摩擦と演算が限界に達した時にだけ生じる、命の「熱」だ。

「ロキ、左脚の第三ジョイントを見て。……たぶん、そこが『詰まって』て、リトが泣いてるんだ」

「あ……?」

 ロキは言われるがまま、リトの巨大な膝裏を覗き込んだ。

 三ミリ。いや、コンマ五ミリ。

 数千年の重圧で歪んだシリンダーが、駆動軸をわずかに圧迫している。ロキほどの天才でも、実際に動かして悲鳴を聞かなければ気づかないような微細な狂い。

「……カイ。お前、こいつの『中』に、本当に潜ってんのか」

「潜ってる……っていうより、僕がこいつの右足になってる感じかな」

 カイは、自らの不自由な右足をさすりながら、少しだけ寂しそうに笑った。

「僕の足じゃ、もう全力で踏み込むことはできない。でも、リトの足なら、三倍の重力にだって耐えられる。……ロキ。この子の歪みを、削ってあげて。僕一人じゃ、手が届かない」

 ロキの胸の奥で、職人としての誇りが、ゴウと音を立てて燃え上がった。

 恐怖は、いつの間にか消えていた。

 目の前にあるのは、自分たちを拒絶した「魔導文明」の否定。

 そして、自分たちと同じ「欠陥品」として捨てられた、最強の孤独。

「――よっしゃあ、任せとけ。カイ、お前はフィードバックを全部俺に叩き込め。一ミリの狂いも残さねえ」

 ロキは、散らばっていた工具箱から、最高硬度の超振動ヤスリと、バベルの闇市場で仕入れた「古代合金の端材」を引っ張り出した。

 

 作業は、そこから十時間を超えた。

 ガンドックの外では、バルガスが「飯の時間だぞ!」とハッチを叩いていたが、二人は返事もしなかった。

 

 チリッ、チリッ、と鋼を削る火花が散る。

 ロキが汗だくになって歯車を調整し、カイがリトのセンサーと意識を同期させ、その「感触」を言葉に変えていく。

 

「……今、少しだけ軽くなった」

「まだだ。軸受ベアリングに余計な遊びがある。……ここを締め上げるぞ」

「リトが、ちょっとだけ痛がってる……。あ、でも、今は気持ちいいって」

「機械の『気持ちいい』なんて聞いたの、生まれて初めてだぜ、クソッ!」

 ロキは笑いながら、夢中でスパナを回した。

 近代の整備は、壊れたチップを交換するだけの「点検」に過ぎない。

 だが、今二人が行っているのは、もっと原始的で、もっと官能的な、鋼との「対話」だった。

 

 やがて。

 

 ロキが最後の一本のボルトを締め上げ、カイが全システムの再構築リブートを命じた瞬間。

 

 ドォォォォォン……!

 

 ドック全体が、重低音の震動に包まれた。

 魔導エンジンの高音ではない。巨大な心臓が、力強く血液を送り出したような、圧倒的な「物理の鼓動」。

 

「……完璧だ」

 ロキは油にまみれた顔で、リトを見上げた。

 先ほどまでの死骸のような姿ではない。

 まだ装甲は欠け、腕も一本足りない。だが、そのフレームの隙間から漏れる橙色の光は、どんな帝国の最新鋭機よりも鋭く、澄み渡っていた。

 

(……ロキ。……ありがとう。……あなたの手、とても、暖かかったわ)

 

「――っ!?」

 ロキの脳裏に、直接届いた少女の声。

 彼は驚き、カイを見た。カイは「聞こえたんだね」と言うように、優しく頷いた。

 

 ロキは、照れ隠しに鼻を啜り、自分のスパナを握りしめた。

「……礼ならカイに言え。俺は、こいつが面白い鉄を持ってたから、ちょっと付き合っただけだ」

 

 ドックの隙間から、夜明けの光が差し込んでくる。

 それは、バベルを出発するガンドック号の、そして「鉄の反逆」の始まりを告げる光だった。

 二人の整備士と、一機のガラクタ。

 世界から見捨てられた者たちが、今、この狭いドックの中で、神話の再来を準備し終えたのだ。

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