第61章:極彩色の悪夢、あるいは鉄の響き
氷刃の谷に、金属が拉滅ひしゃげる悲鳴が響き渡った。
『ガァァァァァァッ!!』
無数の白亜の残骸と雪がドロドロに溶け合った『氷雪の融合異形』が、巨大な腕を振り下ろす。
それを真っ向から受け止めた《アイアン・ボア》の極厚のタワーシールドが、ミシリと嫌な音を立てて歪んだ。
『チィッ! さすがに重てえな……! ダンパーの油圧が悲鳴を上げてやがる!』
バルガスが操縦桿を力任せに押し込み、機体の姿勢を保つ。
融合異形は、もはや戦術や計算といったものを完全に放棄していた。ただ純粋な「質量」と、傷ついても極彩色の糸で即座に修復される「無尽蔵の再生力」による、理不尽な暴力の塊だ。
『バルガス、足元だ!!』
ウラジミールの《パラディン・ロスト》が、スラスターを吹かして異形の側面に回り込み、レゾナンス・ランスを突き立てる。超音波振動が異形の脚部を粉砕するが、次の瞬間には別の残骸が吸い寄せられ、失われた足を補填していく。
その間に、異形の背中から生えた巨大な氷の棘が、ウラジミールの機体を掠め、白亜の装甲を大きく削り取った。
『……クソッ、デカいマトのくせに、撃っても撃ってもキリがねえ!』
後方の《コフィン・ネイル》から、ギリアスが徹甲弾を絶え間なく撃ち込む。異形の頭部や関節を正確に粉砕しているが、そのすべてが数秒で再生されてしまう。
三騎士の完璧だった防衛線が、純粋な物量と再生力の前に、少しずつ、だが確実に神殿の入り口へと押し込まれていた。
機体は限界に近づき、大人たちの息も荒い。
だが、誰一人として後退のレバーを引く者はいなかった。
背後の神殿の奥では、赤い繭がまだ、苦しげな心音を立てて脈打っている。あの中の少年が目を覚ますまで、この命が燃え尽きようとも、この鉄壁は絶対に崩さない。
◇
一方、その赤い繭の内部。
カイの意識は、深く暗い泥濘の底を彷徨っていた。
『……カイ。私の可愛い、カイ』
暗闇の中から、甘ったるく、花のような香りを纏った声が響く。
極彩色の糸が、カイの首に、腕に、そして不自由な右脚に絡みつき、彼を深い底へと引きずり込もうとする。
『外の世界は痛いでしょう? 寒くて、苦しくて、泥だらけで……野蛮なエラーばかり。あなたの美しい羽根が、汚れてしまうわ』
幻影の姉――一条澪が、暗闇の中から白磁のような手を伸ばし、カイの頬を撫でた。
その冷たい感触に、カイの身体が本能的な恐怖で硬直する。武道館で砕かれた右膝の激痛が、フラッシュバックして脳髄を焼く。
『頑張らなくていいの。もう痛い思いはしなくていいのよ。……私の鳥籠に戻っておいで。私だけが、あなたを完璧に護ってあげる』
極彩色の糸が、カイの心臓を締め上げる。
抗えない圧倒的な支配。思考が溶け、すべてを諦めて、その甘い闇に身を委ねてしまいたくなる。
「……姉、さん……」
カイの瞳から、光が失われかけた、その時だった。
――ガガァァァァンッ!!
暗闇の世界に、鈍く、重い『鉄がぶつかる音』が響いた。
それは、外の現実世界で、バルガスたちが異形の攻撃を身体を張って食い止めている音だった。
「……?」
カイの意識が、わずかに引き戻される。
――ガシャン! カキィンッ!
剣が弾かれ、盾が軋み、空薬莢が床に落ちる音。
そして、カイの背中を、小さく温かいものが強く抱きしめた。
『……カイ! 負けないで!』
リトの声だった。
彼女の身体から放たれる淡い光が、カイを絡め取っていた極彩色の糸を、ジリジリと焼き切っていく。
『聞こえる!? あの不器用で、泥臭い大人たちの音が! あなたの帰る場所を作ろうと、命を懸けてくれている家族の音が!』
「……リト……」
『あなたはもう、一人で暗い部屋に閉じ込められていた子供じゃない! 痛くても、不格好でも、自分の足で大地を踏みしめると決めたんでしょう!?』
リトは、カイの前に回り込み、その黄金の瞳を真っ直ぐに見つめた。
『私が、あなたの完璧な「翼」になる。あなたの抱えるその重い熱を、すべて私が空を飛ぶための力に変えてみせる。……だから、こんな過去の幻影なんかに、負けないで!!』
リトの叫びと、外から響き続ける重厚な鉄の音。
カイの右脚の K-Link が、呼応するように力強い油圧の鼓動を鳴らした。
そうだ。僕はもう、逃げない。
姉さんの創る、痛みのない完璧な世界には、僕の欲しいものは何もない。
「……どけよ」
カイは、自らの首に絡みついていた極彩色の糸を、自らの手で強く握りしめた。
「……僕の足は、ここにある。僕の翼は、ここにあるんだ!」
ブチィッ!!
カイが力を込めた瞬間、彼を縛っていた極彩色のトラウマが、粉々に千切れ飛んだ。
暗闇が晴れ、カグツチの《クリムゾン・コア》が、カイの闘志に呼応して莫大な熱量を爆発させる。
◇
現実世界、氷の神殿の入り口。
ついに、三騎士の防衛線が限界を迎えていた。
『……チィッ、ここまでか……!』
バルガスの《アイアン・ボア》の盾が弾き飛ばされ、機体が大きく体勢を崩す。
ウラジミールの槍も折れ、ギリアスのライフルも排熱限界を超えて沈黙していた。
『ガアアアアアッ!!』
氷雪の融合異形が、がら空きになった神殿の入り口――その奥で眠る赤い繭へ向けて、建物を丸ごと叩き潰すほどの巨大な腕を振り上げた。
万事休す。誰もが死を覚悟した、その瞬間。
――ドクン。
神殿の奥から響いていた赤い繭の心音が。
ピタリと、止まった。
『……!?』
バルガスたちが、息を呑んで背後を振り返る。
静寂。
猛吹雪の音すらも消え去ったかのような、絶対的な無音。
直後。
赤い繭の表面に、ピキッ、と一本の亀裂が走った。
その亀裂の奥から、マナの光とは異なる、太陽の表面を思わせるような超高熱の赤い蒸気が、一条の閃光となって漏れ出す。
王の羽化の時が、ついに訪れようとしていた。




