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第60章:三騎士の銘、あるいは泥と鉄の防衛戦

氷刃ひょうじんの谷の最奥、氷の神殿。

 分厚い蒸気に包まれた『赤い繭』の表面は、触れれば火傷するほどの異常な高熱を放っていた。

「……カイ。頑張って、カイ……ッ」

 実体化したリトが、繭の表面にそっと小さな両手を当て、祈るように瞳を閉じていた。

 繭の内部で、カイはカグツチの《クリムゾン・コア》の熱量と、新たに得た『鋼の翼』の莫大な推力データを生身の神経に最適化させるため、文字通り身を削るような過酷な同調と同化の試練に苛まれているはずだ。

 うなされるような低い呻き声が、分厚い蒸気の壁越しに微かに聞こえてくる。

「過去の記憶ノイズに負けないで。……あなたの外には今、こんなにも力強い『鉄の音』が響いているんだから」

 リトは、神殿の入り口の方角へと視線を向け、微かに微笑んだ。

 ◇

『――レーダーに感あり! 谷の入り口から、教国軍の別働隊が殺到してくるわ!』

 猛吹雪の中、神殿の入り口付近に停泊したガンドック号のブリッジ。

 副長のシエラが、高速で流れるホログラムモニターの戦況図を睨みつけながら、全回線に鋭い指示を飛ばしていた。

「敵の総数およそ数千! 先陣に白亜の魔導鎧が数十騎! 残念だけど、この猛吹雪と磁気嵐の中じゃガンドックの主砲は射線が通らないわ。防衛ポイントは神殿の入り口ただ一箇所よ!」

 シエラはインカムを叩き、血を吐くような二十四時間を戦い抜いた「彼」を呼んだ。

「ロキ! 機体のバイタルはどう!? すぐに動かせるの!?」

『……ハッ、誰に聞いてんだよ、シエラ姉』

 神殿の入り口。

 凍傷で紫色になった指先を震わせ、氷の床に大の字で倒れ伏すロキの頭上で。

 二十四時間の死闘の末に叩き起こされた三機の古代機体レガリアのモノアイが、猛烈な光を放って起動した。

『……ハッ。こいつはたまんねえな』

 中央に立つ、鈍い赤銅色の超重装甲機のコックピット。バルガスが、太い操縦桿を握りしめて獰猛な笑みを浮かべた。

 機体の半分以上を覆い隠す超高密度合金の『大城壁タワーシールド』を構え、背部にマウントされた『爆圧重斧ブラスト・アックス』の排気バルブを鳴らす。

『テツカブラより頑丈で、猪突猛進しかできなさそうな不器用な面構えだ。……気に入ったぜ。今日からお前は『アイアン・ボア(鉄の猪)』だ』

『では、私はこちらを』

 その右隣。白亜に金色のラインが入った、流麗な高機動機のコックピットで、ウラジミールが静かに目を伏せた。

 魔法の光はなく、剥き出しの物理スラスターを備えたその機体は、左腕に軌道を逸らす『偏向中盾パリング・シールド』、右手に超音波振動で物質を粉砕する『共鳴騎槍レゾナンス・ランス』を握っている。

『泥を被る覚悟を決めた今の私には、いささか白すぎる装甲だ。……だが、かつての正義パラディンは失われた。その戒めとして、この名を背負おう。頼むぞ、『パラディン・ロスト(喪われた白騎士)』』

『……ケッ。どいつもこいつも棺桶に片足突っ込んでるくせに、元気なこった』

 最後の一機。深い苔色モスグリーンの異形機のコックピットで、ギリアスがシケた葉巻に火を点けた。

 脚部の巨大な『固定用アンカー』を氷の床に打ち込み、身の丈の倍はある巨大な『超長距離対物ライフル・改』のボルトを乱暴に引く。ガシャァン! と、機体の肩部から巨大な空薬莢が吐き出され、カランッと心地よい音を立てて床に落ちた。

『俺がこいつで、連中の棺桶に最後の釘を打ってやるよ。……お前の名前は『コフィン・ネイル(棺桶の釘)』だ』

 剛の『アイアン・ボア』。

 聖の『パラディン・ロスト』。

 射の『コフィン・ネイル』。

 三人の大人たちが、己の半身となる機体に「銘」を刻み込んだ瞬間。

 吹雪の向こうから、極彩色の糸に操られた白亜の魔導鎧アームド・メイジと狂信歩兵が、感情のない雪崩となって神殿の入り口へと殺到してきた。

『行くぞ! 勝算は俺たちの泥臭い陣形のみだ!』

 バルガスの咆哮と共に、三機の巨神が神殿の入り口へと並び立つ。

「……おい!!」

 床でへばっていたロキが、最後の力を振り絞って上半身を起こし、血の滲む喉で絶叫した。

「俺の徹夜で調整した機体を……絶対に、壊して帰ってくるんじゃねえぞ!! 親父! 兄貴! ウラジミールの旦那ァッ!!」

『おうよ!! 最高の鉄クズだ、任せとけバカ息子!!』

 ロキの怒号を背に受け、バルガスの《アイアン・ボア》が、猛吹雪の中へ一番槍として躍り出た。

 ズガァァァァンッ!!

 教国軍の先陣が放った無数の魔導砲の直撃。

 だが、アイアン・ボアは魔導障壁など張らない。超高密度合金の大城壁タワーシールドを大地に深く突き刺し、極太の脚部ダンパーでその莫大な衝撃を「純粋な物理」として真っ向から受け止めた。

『効かねえな! マナでお湯沸かして動く俺たちの理不尽さ、たっぷりと味わいな!!』

 アイアン・ボアという「動く城塞」がすべての攻撃を堰き止めた、その背後から。

 ウラジミールの《パラディン・ロスト》が、物理スラスターの爆発的な推力で吹雪を切り裂き、教国軍の陣形のど真ん中へと突撃した。

 完璧な連携で迎撃の剣を振るう教国機。だが、ウラジミールは曲面的なパリング・シールドでその太刀筋を物理的に「滑らせ」て無効化し、すれ違いざまに二股の共鳴騎槍レゾナンス・ランスを敵機の胸部へと深々と突き立てる。

 ピィィィィンッ……!!

 音叉のように震える槍先が、超音波の物理震動を魔導装甲の内側へと直接叩き込み、教国機を内部のパイプごとミンチにして粉砕した。

『完璧な重心バランスだ、ロキ! ……さあ、陣形を崩すぞ!』

 タンクが耐え、遊撃が切り崩す。

 その混乱の隙間――敵の指揮官機や、障壁の結節点となる重要な機体が顔を出した「〇・一秒」の死角を、後方から覗く一つの単眼が捉えていた。

『……風速三十。気温マイナス四十度。……関係ねえな、鉛の弾丸には』

 ギリアスが、コフィン・ネイルの引き金を静かに絞る。

 ドォォォォォォンッ!!!

 魔法のビームではない。極限まで圧縮された火薬とマナの推進力で撃ち出された「巨大な鉛の弾丸」が、極超音速で吹雪を一直線にぶち抜いた。

 回避不能の物理狙撃。教国の機体は、自分が狙われたと演算する間もなく、コックピットごと上半身を完全に吹き飛ばされた。

 ガコンッ、カランッ……。

 巨大な空薬莢が吐き出され、雪原に落ちる。

『次。……棺桶の準備はできてるぜ』

 一条澪の操る「感情のない完璧な群れ」。

 だが、ガンドックの大人たちが形成した泥臭くも完璧な『物理のトライアングル陣形』は、その極彩色の最適化演算を、純粋な質量の暴力でことごとくすり潰し、一歩たりとも神殿への侵入を許さなかった。

 雪原は、教国軍の白亜の残骸で埋め尽くされていく。

 三騎士の圧勝。誰もがそう確信しかけた、その時だった。

『……チッ。やはり、タダじゃ終わらねえか』

 バルガスが、アイアン・ボアの盾の裏で顔をしかめた。

 吹雪の向こうで、機能を停止したはずの無数の教国機の残骸から、不気味な『極彩色の糸』が溢れ出したのだ。

 糸は周囲の雪と氷、そして味方の鉄屑をドロドロに溶かしながら強引に縫い合わせ、黒鉄の峡谷に現れたのと同じ、巨大な『氷雪の融合異形』へと姿を変え始めた。

『バババババ、バグゥゥゥゥッ!!』

 融合異形が、人間と機械が混ざり合ったような悍おぞましい咆哮を上げる。

 それは、もはや戦術すら放棄した、力任せの巨大な質量の塊。澪の「どうして思い通りにならないの」という癇癪そのものだった。

『……デカけりゃいいってもんじゃねえぞ!』

 バルガスが爆圧重斧を構え直す。

 大人たちの眼に、退く気配は微塵もなかった。あの繭の中で、カイが過去のトラウマと決別し、新しい「翼」を手に入れるその瞬間まで、この命に代えても護り抜く。

 極寒の地で、泥と鉄の三騎士と、極彩色の絶望との、真の死闘が幕を開けた。

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