59章:皇女の覚悟と、白銀の誓い
帝都アルカディア、南大門広場。
一条澪の極彩色の糸に操られた数千の帝都守備隊と、超大型魔導砲の砲列が、満身創痍の《イフリート・カスタム》を完全に包囲していた。
メインモニターには『生存率〇パーセント』の警告が虚しく点滅し続けている。
「……今度は、私が」
フィオナ皇女は、震える手でコックピットのハッチ解放レバーへと手を伸ばした。
自分が外へ出て囮になれば、あるいは交渉のカードとして名乗り出れば、その一瞬の隙を突いてカイゼルだけでも逃げ延びることができるかもしれない。
だが。
ガチャリ、と。
血まみれになったカイゼルの手が、フィオナの細い手を力強く制止した。
「……何をするのです、カイゼル。このままでは二人とも――」
「殿下。……どうか、私の計算式演算を侮らないでいただきたい」
カイゼルは、ひび割れたモニターの光に照らされた顔で、不敵に笑った。
いつもの冷徹な余裕ではない。泥と血に塗れ、それでも絶対に折れない「人間の意地」を宿した笑みだった。
「機械コンピュータは、敵の戦力とこちらの被害状況から『〇パーセント』というありきたりな絶望を弾き出しました。……しかし、私の頭脳だけは、この盤面にたった一つ、究極の『例外変数バグ』を組み込んでいたのです」
「変数……?」
「ええ。理屈も、限界も、空気抵抗すらも無視して……己のすべてを投げ打ってでも、必ず貴女のもとへ駆けつける『世界一の馬鹿』の速度を」
カイゼルは、広場を塞ぐ巨大な南大門――帝都を外敵から守る、厚さ数メートルにも及ぶ絶対防壁を真っ直ぐに見据えた。
彼が地下水路を抜け、あえてこの「完全に塞がれた南大門」を最終地点に選んだ理由。それは逃げ道を探すためではない。外から来る「彼」と合流するための、完璧な待ち合わせ場所だったのだ。
カイゼルが、血の滲む唇でカウントダウンを始める。
「三、二、一……。――来い、シュバルツ!!」
敵の巨大魔導砲のトリガーが引かれようとした、まさにそのコンマ一秒前。
ズガァァァァァァァァンッ!!!!
帝都が誇る絶対不抜の南大門が、外側からの『常軌を逸した物理的質量』によって、まるで薄いビスケットのように粉々に砕け散った。
「なッ……!?」
包囲していた帝都守備隊の機体群が、吹き飛んだ数百トンの鉄扉の破片と、爆発的な衝撃波をモロに食らい、次々とドミノ倒しのように薙ぎ払われていく。
舞い上がる土煙と、城壁の残骸。
その向こうから、限界駆動オーバーヒートによる真っ赤な蒸気を全身から噴き上げながら、一機の巨大な白銀の巨神が、地響きを立てて広場へと踏み込んできた。
大剣《無塵》を構え、一切の魔導の光を持たずに立つその機体。
『――遅くなりました、カイゼル。そして……フィオナ殿下』
外部スピーカーから響いた、深く、重く、そしてどこまでも頼もしい声。
ユーゴー・フォン・シュバルツだった。
「ユーゴー様……ッ!」
フィオナの目から、せき止めていた涙が止めどなく溢れ出した。
『……フッ。到着誤差、わずか〇・二秒。計算通りだ、不器用な特務騎士殿。君が南門を外から叩き割る『重さ』だけが、我々の唯一の生存ルートだった』
カイゼルが、安堵と疲労の入り混じった息を吐き出す。
『恩に着る、カイゼル。殿下を……俺の命に代えても護りたかった人を、ここまで繋いでくれて』
白銀の機体は、ボロボロの《イフリート》の前に進み出ると、まるで主君に忠誠を誓う騎士のように、その巨大な膝をガシャンと大地についた。
『殿下。白銀騎士団長ユーゴー・フォン・シュバルツ、只今帰還いたしました。……これより先は、私めが殿下の絶対の盾となります』
その光景は、炎に包まれた地獄の帝都において、あまりにも美しく、気高い「騎士とお姫様」の誓いそのものであった。
だが、その美しさが、盤面の外にいる怪物の「逆鱗」に触れた。
『……あはっ。なんだか、とっても気に食わないわ』
広場に倒れ伏していた教国機の残骸から、極彩色のノイズと共に、一条澪のひどく冷酷で、ドロドロとした嫉妬に塗れた声が響き渡った。
『お姫様が、血だらけの騎士様に護ってもらう? ……そんな吐き気のするお伽話、私の箱庭にはいらない。……「護られる」のは私だけでいい。私のカイだけが、私のために戦ってくれればそれでいいのよ!』
澪の理不尽極まりない悪意が、極彩色の糸を通じて広場の全軍勢へと伝播する。
帝都守備隊の機体たちが、関節から不気味な軋み音を上げながら、一斉にユーゴーとカイゼルへと魔導砲の照準を合わせた。
『消えなさい、目障りなエラー。……跡形もなく、燃えカスにしてあげる』
「カイゼル! 殿下を連れて俺の背後に回れ!!」
ユーゴーの咆哮と同時に、数千の砲口から、空間を焼き尽くすほどの魔導の光雨が一斉に放たれた。
それは、いかなる最新鋭の魔導障壁であっても一瞬で消し飛ばされる、絶対的な飽和攻撃。
だが、ユーゴーは障壁など張らなかった。
「オオオオオオッ!!」
ユーゴーは、自らの内に宿る莫大なマナをすべて、機体の「装甲強度」と人工筋肉の「筋力」へと強制変換した。
物理的な密度を限界まで高めた《シュネー・ヴァイス》の巨大な大剣が、下段から凄まじい風圧を伴って跳ね上げられる。
ガギィィィィンッ!!!
大剣の腹と、極限まで硬化された白銀の装甲が、迫り来る魔導の雨を『物理的な弾き』で強引に上空へと逸らした。
熱線が白銀の装甲を焦がし、ユーゴーの生身の神経に激痛を走らせる。だが、彼は一歩たりとも退かない。
「俺の誓いは、お前みたいなバケモノの嫉妬なんざで……折れるほど軽くはないッ!!」
ユーゴーの放つ圧倒的な物理のプレッシャーが、極彩色の魔力空間をこじ開けていく。
「行くぞカイゼル!! 俺が道を抉り開ける! 俺の背中から離れるな!!」
『承知した! 殿下、しっかり掴まっていてください!』
白銀の巨神が、粉砕された南大門の瓦礫を踏み越え、極彩色の砲火を強引に弾き返しながら、外の世界へと死の行軍を開始する。
炎の時計盤と化した帝都から、理不尽なまでの物理の暴力が、一筋の血路を切り拓いていった。




