第58章:演算の限界、あるいは死の迷路
炎上する帝都アルカディアの大通り。
カイゼルの駆る紅蓮の専用機は、完全に袋の鼠となっていた。
前後左右、すべての退路を塞ぐように展開した数百騎の『元・帝都守備隊』。
彼らの機体は、寸分の狂いもない完璧な等間隔で配置されており、すべての魔導砲の射線が、イフリートの装甲の最も薄い関節部へと正確に照準を合わせている。
『……予測ルートCからF、すべて敵機の火線で埋まっています。……生存率、〇パーセント。完全なるチェックメイトです』
イフリートのメインコンピュータが、無機質な合成音声で絶望の計算結果を告げる。
「……私の思考の、常に三手先を読むか。あの教国を操る極彩色の怪物は、私以上の『演算機バケモノ』というわけだ」
カイゼルは、コックピットの操作盤に血が滲むほど強く拳を打ち付けた。
背後のサブシートでは、救出されたばかりのフィオナ皇女が、青ざめた顔で震えを堪えている。
彼女は泣き叫ぶことはしなかった。ただ、自らの無力さに唇を噛み締め、カイゼルの背中を静かに見つめている。彼女もまた、帝国の皇族としての矜持を必死に保っていた。
「殿下、衝撃に備えてください。……計算論理ロジックで勝てないのなら、盤面ごとひっくり返すまで!」
カイゼルは、イフリートの自律演算システムを強制的にシャットダウンした。
そして、手動マニュアル操作に切り替えた操縦桿を、力任せに手前に引き絞る。
「魔導炉心、限界突破オーバーロード! 足元へ向けて、最大火力の爆炎放射ッ!!」
敵の魔導砲が一斉に火を噴くコンマ一秒前。
イフリートの足元から、大通りを構成する分厚い石畳を丸ごと溶かすほどの、凄まじい爆発が起こった。
自らの足場を破壊し、帝都の地下に張り巡らされた「巨大水路」へと、機体ごと自由落下したのだ。
ズガァァァンッ!!
頭上で、数百の魔導砲が交差し、虚空を焼き尽くす。
「……ハァ、ハァ……! 地下水路ルートへ入りました。このまま帝都の南門を目指します!」
カイゼルは、落下による強烈なGに耐えながら、薄暗い地下水路を爆発的な推力で駆け抜け始めた。
帝都の地下網は、まるで迷路のように入り組んでいる。ここなら、地上からの包囲網をやり過ごし、城壁の外へ出られるはずだ。
そう、普通の軍隊相手ならば。
『――あはっ。赤くて大きな虫さんが、泥水の中を這いずり回ってる。滑稽ね』
「なッ……!?」
イフリートの閉鎖されたはずの通信回路に、鈴を転がすような少女の酷く無邪気な声が響いた。
『隠れても無駄よ。この街のネズミも、鳥も、兵隊さんも……全部、私の「糸」で繋がっているんだから』
ザバァァァンッ!!
一条澪の狂った嘲笑と同時に、地下水路の前方の壁面が爆薬で吹き飛ばされた。
瓦礫の中から、水飛沫を上げて十数騎の教国軍の白亜の機体が現れる。彼らは、カイゼルがこのルートに逃げ込むことを「あらかじめ知っていた」かのように、完璧な待ち伏せを敷いていた。
「待ち伏せだと!? 演算予測すら通さない、完全な先回り……!」
カイゼルは歯を食いしばり、イフリートの腕部から紅蓮の魔導剣を発生させて突撃する。
右から迫る敵機を斬り捨て、左からの刺突を強引に装甲で受ける。
ガリィィンッ! と、イフリートの分厚い肩部装甲が削り取られ、火花がコックピットの窓を焦がす。
「カイゼル様! 右腕が……!」
フィオナが悲鳴を上げる。
「構いません! 殿下さえ無事ならば、この機体などただの鉄の鎧に過ぎない!!」
普段は装甲に傷一つ作らないエレガントな戦いを好むカイゼルが、機体をボロボロにしながら、まるで狂戦士のように地下水路を強行突破していく。
彼の脳裏には、黒鉄の峡谷で、理不尽なまでの物理の暴力で敵を粉砕していった『白銀の親友』の姿があった。
(……ユーゴー。君なら、こんな理不尽な盤面を前にしても、決して足を止めはしないのだろうな!)
カイゼルは血を吐きながら、次々と現れる極彩色の狂信兵たちを炎で焼き払い、ついに地下水路の出口――帝都の『南大門』へと続く巨大な広場へと躍り出た。
だが。
地下から地上へと飛び出したイフリートを待っていたのは、希望の光ではなかった。
「……なんてことだ」
カイゼルは、操縦桿を握る手の力を抜き、絶望に碧眼を揺らした。
帝都からの脱出口である巨大な南大門は、すでに内側から固く閉ざされていた。
そして、その門の前に広がる広場を埋め尽くしていたのは、何重にも陣形を組んだ数千の帝都守備隊と、彼らが配備した巨大な『要塞防衛用・超大型魔導砲』の砲列だった。
イフリートのメインモニターが、無慈悲に赤く点滅する。
『警告。全方位からの高出力マナ反応。……回避不能。防御不能。生存率、〇パーセント』
もはや、奇策も力技も通じない。
一条澪の張り巡らした極彩色の糸は、帝国の最高頭脳が足掻くすべてのルートを、残酷なまでの正確さで「死の袋小路」へと誘導していたのだ。
イフリート・カスタムの左腕はすでに失われ、装甲のあちこちから黒煙が上がっている。魔導炉心の出力も低下し、立っているのがやっとの状態だった。
「……申し訳ありません、殿下」
カイゼルは、血まみれになった顔で、背後のフィオナを振り返った。
その声には、計算外の事態に屈した、一人の人間としての深い後悔と謝罪が滲んでいた。
「私の……帝国の演算のすべてが、あの怪物には及ばなかった。……貴女をお守りすることが、できなかった」
死の雨が降るまで、あと数秒。
何千もの銃口と砲口が、確かな殺意を持って二人を照準に捉えている。
だが、カイゼルの悲痛な謝罪を受けたフィオナは、絶望して泣き崩れることはしなかった。
彼女は、泥と血で汚れたドレスの裾を強く握りしめると、凛とした、王族としての強い光を瞳に宿してカイゼルを見つめ返した。
「謝らないでください、カイゼル。……貴方は、最期まで立派な帝国の騎士でしたわ」
フィオナの脳裏に、かつて自分に不器用な優しさを向け、上着を肩にかけてくれたあの『白銀の騎士』の背中が浮かぶ。
彼が命を懸けて守ろうとしたこの世界で、自分だけがただ泣いて怯える無様な姫君で終わるわけにはいかない。
「……今度は、私が」
フィオナは、震える手で、コックピットのハッチの解放レバーへと手を伸ばした。




