第七幕:プロローグ:極彩色の遊戯、あるいは狂った姉弟愛
神聖アルカディア帝国の帝都が、美しい赤蓮の炎に包まれていくのを、一条澪は酷く退屈そうな目で見つめていた。
彼女がいるのは帝都ではない。遥か西方、教国軍の総本山たる移動大聖堂の最奥。
豪奢な天蓋ベッドに寝そべりながら、空間に投影された無数の極彩色のモニターを、白磁のような指先で気まぐれに弾いている。
「……あーあ。つまんないの」
澪の赤い唇から、甘ったるい、けれど絶対的な冷酷さを孕んだため息が漏れた。
モニターの一つには、帝国の最高権力者である皇帝が、自身の最も信頼していたはずの近衛武官たちに滅多刺しにされ、血の海に沈む光景が映し出されていた。
「『絶対に裏切らない、演算で証明された忠誠』だなんて、馬鹿みたい。心なんて、ただの電気信号の集まりじゃない。私の『糸』を一本、脳髄の奥の恐怖中枢に繋いであげるだけで、こんなに簡単に壊れちゃうのに」
澪にとって、帝国の誇る魔導演算など、出来の悪い子供のパズルにも等しかった。
痛覚を麻痺させ、自我を極彩色のマナで上書きする。たったそれだけで、無敵を誇った帝国の軍隊は、彼女の指先一つで踊る完璧な操り人形へと成り下がった。
皇帝の暗殺も、帝都の同士討ちも、彼女にとっては「盤面を綺麗に掃除する」程度の暇つぶしでしかない。
「あ、でも……このオモチャは、少しだけしぶといわね」
澪の指先が、一つのモニターを拡大した。
燃え盛る帝都の裏路地。血まみれになった紅蓮の魔導鎧が、一人の少女――フィオナ皇女を庇いながら、澪の操る近衛兵の群れから必死に逃走を図っている。
帝国の最高頭脳、カイゼル・フォン・プロシュタットだ。
「私の糸の動きを読んで、生存確率が〇・一パーセントでもあるルートを必死に計算してる。……健気ねぇ。でも、そういう『足掻き』って、どうしてかしら。無性に、ぐちゃぐちゃに踏み潰したくなっちゃうのよね」
澪はくすくすと笑いながら、空中で指を絡ませた。
帝都を包囲する極彩色の糸が、フィオナ皇女の逃走ルートを塞ぐように、まるで蜘蛛の巣のように緻密に張り巡らされていく。
「お姫様を護る騎士様ごっこなんて、虫酸が走るわ。……この世界で、誰かに護られていいのは、私の可愛い弟だけ。カイの足の代わりになれるのは、私だけなんだから」
澪は、胸元から取り出した『竹刀の欠片』を、愛おしそうに頬にすり寄せた。
その瞬間、彼女の虚ろだった瞳に、ドロドロとした暗い情念と、狂おしいほどの愛の炎が灯る。
「……ねえ、カイ。私、知ってるわよ」
澪の視線が、モニターの群れを越え、遥か北東――猛吹雪に閉ざされた『氷刃の谷』の方角へと向けられた。
「あの忌々しい赤いガラクタの中で、あなたが丸まって眠っていること。……サナギになって、私から逃げるための『羽』を作ろうとしているんでしょう?」
彼女の異常な知覚は、数千キロ離れた北の最果てで、巨大な熱量が『繭』となって鼓動していることを正確に捉えていた。
普通なら、未知の力への恐怖を抱くはずだ。
だが、澪の顔に浮かんだのは、獲物を見つけた肉食獣のような、歪んだ歓喜の笑みだった。
「いいわ、カイ。いっぱいあがいて、いっぱい絶望して。……あなたが一番希望に満ちた顔で羽化したその瞬間に、私がその羽を、一枚ずつ綺麗に毟り取ってあげる。そして、あの赤いガラクタごと粉々に解体して、もう二度と、私の腕の中から出られないようにしてあげるわ」
澪は、天蓋ベッドからゆっくりと身を起こした。
彼女の背後で、数万の教国軍と、洗脳された帝国兵たちが、極彩色の糸に操られて一糸乱れぬ敬礼を捧げている。
「さあ、急ぎなさい私のオモチャたち。帝都のゴミ掃除はパパッと終わらせて。……可愛い弟のお迎えに行かなくちゃいけないんだから」
極彩色の厄災が、悪意に満ちた産声を上げる。
それは、世界を巻き込んだ姉と弟の、最も理不尽で残酷な「姉弟喧嘩」の始まりであった。




